登場人物:ゼフォン ザヴィド
CP傾向:ザヴィド×ゼフォン
制作時期:2013年1月
※ 秩序と混沌のカラナック の後の話です。(前にあれが最後のザヴィゼフォと言ってた気がするんですがw)
※ レネ様過去捏造話の流れも含んでおります。
新来者と帰還者のララバイ 海はこんなに青かっただろうか。海はこんなに広かっただろうか。何処までも続く海の上で、彼は船を漕いでいた。
見渡す限り海――というわけではない。右手側には常に大陸が見えている。もちろん男にとっては初めてみる景色ばかりだった。青い海に、くるくると移り変わる風景を時折眺めながら陸に沿って南下していく。
船の上には二人の男が乗っていた。その船はさほど大きくはないが、そこそこの量の荷物を置けるスペースと、大人が二~三人寝転べるくらいの広さがあり、船を漕ぐ男の反対側には毛布に包まれた少年がすやすやと眠っている。
この船で岸を離れてから、幾日が過ぎただろう。
初めは徒歩で旅をするつもりだった二人なのだが、用意を始めた途端に片割れの少年――ゼフォンが急速に体調を崩した。長期に渡る歩行での旅は無理と判断したザヴィドとゼフォンは、致し方なく港町ナヴァレへと向かった。
港町ナヴァレは親聖皇派の人間が多く、結界を解いた組織に対してよい感情を抱いていない者が多い地域だった。だからこそ、彼らが居た組織の者にはち合う確率は低いだろう、と踏んだのだ。
ナヴァレの街の人々は閉鎖的な思考が多く、外界にさほど興味を示さなかった。しかし、海の上を自由に動ける乗り物『船』には興味があるようで、二人の話をよく聞いてくれた――もちろん所属していた組織は秘密にした――。そんな人々の力を借りながら、二人は船の試作号を造り始めた。
元々ザヴィドは『朱キ斧』に所属していた時に、多少であれど造船技術を身に着けていたし、何よりゼフォンの知識が役に立った。そのようにして、十日もかからず最初の船が完成した。
きっとここから造船技術は広まって、このナヴァレからも多数の人々が外海へ旅立つことだろう。だが彼らには、それまでに降り立たなければならない場所があった。ゼフォンの故郷、聖都オムファロスだ。
三百年前の時代では最も大きく、栄えた都の一つで、おそらくそう遠くない未来に人々は発見するだろう。しかし、それを待っていたのではあまりにも遅すぎる。二人にはもう時間が残されていなかったからだ。
そうして二人は旅に出た。
「今じゃどうなってるか、正直わからないけどね。でも残骸は残っていると思うよ。三百年程度で朽ち果ててしまうような文明ではなかったから」
船に揺られながらのんびりと、ゼフォンはそう語った。ここのところ饒舌になったとザヴィドは感じている。これまでの秘密主義を転じさせたように、実に様々な事を語ってくれた。
例えば彼の故郷。かつての聖都だった場所は今よりも文明が進んでいたらしい。ザヴィドにはよく理解できなかったが『神』なるものを信仰している民たちが、集まってかたちになっている巨大な国だったようだ。
そして、その場所を離れるに至った経緯。簡易的に団長から話は聞いていたが、ゼフォンの話はより詳しかった。何せ、当事者だからだ。テラスファルマに襲われて追い込まれ、結界世界をつくった事は聞き及んでいたが、実際追われていた話を聞くと凄惨だった。何万、何十万という犠牲を払って、ここまで逃げたのだ。その時に民を先導していた指導者の一人が聖皇レネフェリアスだったそうだ。
その話を聞いても、心が揺らぐだけで憎しみは消えなかった。けれど、知らないよりはずっといいとザヴィドは思った。
櫂を動かす手は止めずに、ぐっすり眠っているゼフォンの顔を見やる。やはり少しやつれて見える。体が弱ってきているのか、ここ最近は寝ている事の方が多くなっていた。もとよりそれを承知でこの旅に出ることを決めたのだから悔いはない。けれど、そんな姿を見ていると、心が痛んだ。
この船というものは、以前いた組織で少しだけ乗ったことがある。あの時は謎の動力で動いていたのだが、この船はもっぱら風の力で動いていた。北から風が吹いている時は帆を上げれば勝手に進む。それ以外は帆を下ろして手で漕ぐ必要があったが、旅は穏やかで気ままなものだった。
道標は大陸だ。ゼフォン曰く、この大陸に沿って南下していくと半月ほどでかつての都に辿り着けるらしい。結界世界の南側から目的地までは地続きらしいが、途中に砂漠と山脈が立て続けにあり人が越えるのは骨が折れるようだ。だから、船なのだろう。大陸付近の移動であれば迷うこともないし、川があれば飲み水を補給できる。釣り糸を垂らせば魚が捕れたし、陸に上がれそうな海岸、入江を見つけてはそこで体を休めた。
今日もそろそろ陸に上がって野宿の支度をした方がいいだろう。夜の船旅はあまり安全ではない――と、ゼフォンが言っていた――からだ。
「ゼフォン、起きろ」
「うーん」
「陸に上がるぞ」
「……はぁい」
適当な入江を見つけて、船をゆっくりと接岸させる。船を波にさらわせないために、陸に降り立ったザヴィドは一番にロープで樹と船を固定させた。もそもそと起きだしたゼフォンが、ゆっくりと周囲を確認する。
「ここで良かったか?」
「うん、ばっちり。高波も避けられるだろうし、お兄さんも慣れたものだねぇ」
別に慣れたくて慣れたわけではないのだが、生きていくための知識が増えるのはありがたかった。外界に出るということは、一人でも生きていくための知識を否応なしに学ばなくてはならないと言うことだ。そもそも結界世界の中だけでは、それほど長い距離を旅する、ということを体験できない。
そういう意味では、ゼフォンの知識はかなり高いものだった。外界に出る前に最低限必要なものを話し合ったが、大体がゼフォンの知識だ。道具の使い方から、気候や風の読み方、知らない土地での野宿の仕方、更には食べられる果物や植物の判別。全くどこでこんな知識を蓄えてきたのか。
「何でも知っているな、おまえは」
夕餉を摂りながら、ふとそんなことを言ってしまった。ゼフォンは、いつもの小憎らしい笑いを浮かべながらあっさりと返す。
「何でもは知らないよ。昔に、とにかく読める本は全部読み尽くして、それを覚えてるだけだよ」
「それだけ知ってたら『何でも』と言ってもいいんじゃないか」
別に嫌味で言ったわけではない。おそらくこれが、天間という星の力の片鱗だったのだろう。それでも、ゼフォンはこの力をあんまり好んではいないのだと思った。
「いくら色々知ってたって、上手くいかない事だって、わからない事だってあるんだよ。人の心なんて、その最たる例だね」
「そうだな」
焚き火を囲み、食事をしながらそんな会話をする。ゼフォンは毛布に包まれてウトウトしていたが、そのうちザヴィドの肩にもたれ掛かってきた。
「もう食べないのか?」
ここのところ、随分と食が細くなったように感じる。こいつに会った頃は常に育ち盛りだというように、何でもかんでもガツガツ食べていたように思うのだが、今日も口にしたものは水と少しばかりの果物だ。
「うん、ごめん。最近味覚が欠けてきたみたいで……あまり食べられないんだ」
「だからと言って食べないともたんぞ。せめて水は飲め」
「そうする」
煮沸させた湯に砂糖を溶かしてゼフォンに渡す。本当は食べて欲しいが、無理は言わなかった。
ゼフォンの体調は、日に日に悪くなっていた。前に器に穴が空いている状態だと言っていた。一度だけは満たされたが、あとは零れていくだけらしい。おそらく食事から摂れるエネルギーすら、上手く体が取り込まなくなっているのだろう。
それでも、ゼフォンは生きていた。生きようとしていた。
否――生きるために、故郷に帰るその日のためだけに、眠り続け、味覚などの感覚を封じ込めて、生命力が流れ尽きてしまうのをセーブしているのだろう。
ゼフォンを抱きしめながら横たわる。もともと細かった体は、前よりももっと痩せ細っていた。
「ごめんね、付きあわせちゃって」
「いい、どうせ行く宛もないんだ。それに付き合ってやるって決めたしな」
「ありがとう。でもこんなに迷惑かけちゃうなんて思ってなくてさぁ」
「別に、迷惑などとは思っていない」
「君は優しい人だからね。そう言ってくれるって知ってるよ」
「……もう眠れ。俺ももう寝る」
自分の毛布を引き寄せて、更にゼフォンの上に被せる。
「うん、おやすみ。ザヴィド」
今日もまた、夜が更けていく。ただの旅の過程に過ぎない一日も、ザヴィドにとっては大切な一日だった。少しでも体の熱が逃げないように、布団にくるめて抱きしめる。
あと何度、こうやって抱き締められるのだろうか。
それから二日がたった。
この頃には、ゼフォンは食事を全く摂らなくなっていた。いや、摂ろうとしても体が拒絶してしまって摂れないのだろう。起きているのがひどく億劫なのか、ほとんど船の上で横になっていた。
はやく、はやく着かなくては――少しずつ気が焦る。この命が尽きてしまう前に、故郷を見せてやりたい。亡骸を故郷に返すなんて、御免だ。
日数的にはそろそろ着いてもおかしくはない。昔はこの行程を十日で抜けていたそうだ。だが昔の技術は今よりもずっと進んでいたようで、完全に日が沈んでしまうまでは航行できていたらしい。船の上に居住空間すらあって、長期の移動を可能としていたと聞いた。
ゼフォンはそんな船でやって来た。つまり今回のように小さな船で移動する場合、正確な日数を掴み切れなかった。
まだかまだかと焦る目に、やがてそれはゆっくりと姿を現した。遠くからでもわかる、人工の建造物。黒く高い壁が、海から生え出しているかのごとく。思わずザヴィドは立ち上がった。船が少しばかり揺れる。
「何か見えてきたぞ、あれじゃないか?」
気が逸った。
「――う……ん」
ゆっくりと、ゼフォンが身を起こす。目を凝らしているが、おそらく視界がぼやけて見えないのだろう。
ザヴィドは座り直すと、再び漕ぎだした。船で海に出てから、初めて目にする建造物だ。それは間違いない。早く見せてやりたくて、腕に力を込めた。
「そうだね。うん、間違いないよ。あれがかつての首都、聖都オムファロスだよ」
見たこともない、堅牢そうな高い壁が見える。近づけばところどころ欠け朽ちていたり、苔や雑草が生えていたりするのが見て取れるが、その壮大な外見は壊れずに残っていた。
ギシ、と船が軋む音がする。ふと見れば、ゼフォンが真っ直ぐに海の向こうを見ていた。
「――帰ってきたよ。とうとう帰ってきたよ……レネフェリアス」
あの聖皇と、いつかここに帰ると約束したらしい。あの絶望的な状況でのその夢は、道標にもならないほど遠く儚いものだっただろう。
「ねぇ、見えているかな? 聞こえているかな? 感じているかな? 君が捨てざるをえなかった世界は生きてるよ。ちゃんと綺麗だよ」
ゼフォンの声に嗚咽が交じる。きっと、泣いているのだろう。ザヴィドは黙って船を進めた。
ザヴィドには新天地でも、ゼフォンにとっては故郷なのだ。
船で中へ漕ぎ着けると、中も似たような感じに朽ちていた。長年手の入らなかった世界は鮮やかな自然に包まれながらも、遥か昔に人が生活していた姿をはっきりと残していた。
「ここが崩れ落ちるところは、残念ながら見ることはできなかったんだ。襲われる前に僕たちは逃げ出したから」
泣き止んだのか、ゼフォンの声のぶれはだいぶおさまっている。
「だから、僕もこの景色を見るのは初めてだよ」
「そうか……」
屋根が崩れている家もあれば、壁に穴が空いている家もあった。ほぼ無傷の家もある。ただ、どこも人が住んでいるようには見えない。人の消えた廃墟。それも三百年前に寂れた街。それがオムファロスなのだろう。
「そこを右に曲がって、船舶用の埠頭があったはずだから」
「……フトウ?」
「船着場のことだよ。そこに係船柱があると思うから、そこから上がろう」
聞きなれない言葉を耳にしながら、特に逆らう事もせず、言うとおりに船を勧める。景色を見ながら港の奥へと入っていくと、鉄のようなものでできた柱が並んだ場所に出た。その中でも一番奥へと船をつける。できる限りゼフォンの歩く距離を無くすためだ。
先に降りしっかりとロープで船を固定させると、ゼフォンへと手を伸ばす。
「降りられるか?」
「上手く跳べないと思うから、引っ張ってくれるかな」
弱々しく伸ばされたゼフォンの腕を掴む。そのまま勢い良く引き上げた。
「ごめん、これでも精一杯掴んでるんだけど」
「いい、気にするな」
伸ばしてザヴィドを掴んでいた手からは、ほとんど力を感じられなかった。握力もかなり落ちているのだろう。ザヴィドは無言で腰をかがめた。
「乗れ」
「おやまぁ」
おそらく既に、今のゼフォンはほとんど歩けない。立っているのもやっとだろう。流石に本人もそれがわかっているのか、黙って待っていると背中に重みを感じた。首に回された腕の力も弱々しい。抱え上げるように一度体勢を整えると、ゆっくりと歩み出す。高い建物の影が多数見える方向へ行けば間違いはないだろう。
「なんか懐かしいねぇ……こういうの。前にもあったよね」
「そうだな」
そう言われれば、こんな事をした事があった気がする。あの時も背負われていたのは、魔力切れを起こしてくたくたになったゼフォンだった。それをザヴィドは苦しい思いをしながらも、湖の砦付近まで背負って帰ってきたのだ。あの時は腕が痛くなって辛かったが、今回は櫂を漕ぎ続けていたおかげで大丈夫だった。
それに、これくらい背負えなくてどうするのだ。とも思う。
「あの時は、まだ僕達も仲が悪くってさぁ……いや、ううん? あのあたりでお兄さんは優しい人だって気がついたのかな? どうだっけ?」
「俺ははっきり言って、あの時はお前のことが好きじゃなかったぞ」
「うわぁ、ひどいなぁ」
ゼフォンが楽しそうにクスクス笑う。今が昔とは違うだなんてことは、とうの昔に知っている。だから、こうやって背に乗せてもらっているのが純粋に嬉しいのだろう。
「あーあ、せめて嗅覚ぐらい残ってれば君の匂いがわかるのにな……でもまぁ、いいか。かろうじて背中が温かいのはわかるもの」
「で? どっちに行けばいいんだ?」
「ん、一番太い道を真っ直ぐ。そのうち大きな建物が見えてくるよ」
「わかった」
港もそうだったが、街全体の道は石畳で整備されていたようだった。ところどころ石畳を突き破って草花が顔を出しているが、それでも歩くのには何の支障もない。かなり高度な技術を持っていたのだろう。
廃墟と化した街も、テラスファルマに壊された箇所を除いては綺麗に残っている。三百年放置されても、崩壊しない建築技術があったのだろう。その様式は聖都タクシスにかなり近いものがあった。所々崩れているのと、人が居ないという異様さを取り除けば、美しい都であると言えただろう。ここで散っていったはずの、人々の骨さえ見当たらない。午後の日差しを受けて青々と花が咲き誇り、小鳥が歌っている。さながら、秘密の楽園のようだとザヴィドは思った。
その後はゼフォンに言われるがままに街中を歩き、ようやく辿り着いたのは比較的崩壊を免れている建物だった。他の建物より装飾が多く施されており、白亜の壁が美しい。表の扉は木と鉄でできていたのだろうか、内側に向けて倒れ、木の部分は朽ち果てている。
それをまたいで通ると、ザヴィドは息を呑んだ。暗いと思った室内は明るかったのだ。天井や側面にはガラスがはまっていたのだろうか、ぽっかりと空いており陽の光が零れ落ちている。その先には、室内だというのに草花が育っていた。
「まだちょっと面影があるね。ここは聖堂だったところだよ」
「セイドウ?」
「神様のために祈りを捧げるところ」
神様など、言葉すら知らなかった。そんな存在が居るとすれば、それは聖皇レネフェリアスだと言われていたからだ。けれどその神は、小さかった頃にザヴィドの世界を壊した。だから、そんなものならばいらないと切り捨てたのだ。
ゼフォンが言うには、それとは全く違う神が存在していたらしい。その神も人々が過去の記憶を捨て去るのと同じ方法で捨てられたのだと言う。
「奥に見える左側の扉に入って。緩いカーブのかかった廊下に出ると思うから、そこをずっと真っ直ぐ。……突き当りの左に、下りの隠し扉があるはず」
「わかった」
瓦礫を避けながら奥へ進むと、ゼフォンの言ったとおり突き当りはただの壁になっていた。左側も石壁なのだが、よくよく見ると綻びが見える。その壁を押すと、ゆっくり奥へと開いた。たいした隠し扉ではないが、意図的に探さなければ見つかることはないだろう。
中は真っ暗で、神聖な場所とはかけ離れているように感じる。よくよく目を凝らすと仄かに奥に明かりが見えた。
「ここは何なんだ? 先程の空気とは違うが」
「このあたりはね、研究者たちが使っていた神殿内の施設の一部だよ。いわゆる『賢者』と呼ばれる者たちが、世界樹やテラスファルマといった百万世界の力を研究していた場所への入り口……ってところかな」
「ほう?」
「一応、国家機密を扱っていたから、こんなところにあるんだよ」
何かにつまづかないように、慎重に暗闇を進んでいく。内部が崩れているとすれば瓦礫が落ちていてもおかしくないのだが、不思議なことに砂利一つ足に当たることはなかった。
「ここには、結界世界とは少し違う知識が残っていると思うから、暇になったら書庫の本でも読んでいけばいいよ。残ってたらだけど。……あと読めたらだけど」
「本が残っているいないの他に、何か問題があるのか?」
「あの結界が造られた後に言語統制されたから、結界内では言語が一緒だけど。その前は幾つかの言語が存在していたんだよ。一番一般化した――君たちの使っている言葉の元になったものにも旧字体があってねぇ」
「つまり、どういうことだ?」
「この世界が広かったから、違う言葉で書かれた本や、古い言葉で書かれた本があるってこと」
「知らない言葉と言うことか」
「まぁお兄さんは賢いから、辞典を見つけたら大体読めるよ。僕の書いた論文も残ってるかもだし。あ、見つけたら感想書いてね」
「面白かったらな」
「けちー」
他愛ない会話をしつつ薄暗い通路を進むと、次第に見たことのない材質の扉の前に出た。がっちりと閉じている扉には取手がない。ただ扉の右側の壁に不思議な球体が顔を出している。それは淡く青色に光っており、この周囲を照らしているのだと気づく。おそらく遠くから見えていた光はこれなのだろう。だが一体何の力を元にして光っているのかよくわからない。こういう鉱石か何かなのだろうか?ザヴィドは不思議に思いつつも、背中の人間に声をかける。
「着いたぞ」
「……うん。やっぱり破られた形跡はないね。もうちょっと近づいて」
言われた通りに近づくと、背中から伸びてきた手がためらいもなく光る球体に重なる。何か仕掛けがあるのかと察したのも束の間、背後から魔力の奔流を感じた。
「おい!魔力を使うとやばいんじゃないのか?」
ゼフォンの中を満たしているのは、厳密に言えば魔力ではない。魔力に変換される前の、百万世界の力というのが正しい。けれども、使えば消えていくのは一緒だ。
残り少ない力が、命が、流れていってしまう。ザヴィドは本能的に恐怖を感じた。
「残念だけど、僕の魔力かレネフェリアスの魔力でないと、この扉は永遠に開かないよ。賢者の魔力反応が認証コードになってるから」
「ニンショウコード?」
「鍵ってこと」
青白く光っていた球体は一瞬だけ緑色に光ると、すぐさま扉が開いた。重い音がするでもなく、いたって静かで、そして無機質だった。
「開いた……」
扉が開いた瞬間、光が目を刺した。先程まで暗い場所にいた反動だろうか、眩しさに目がくらむ。
「ここから先は、さっきとは雰囲気が違うと思うよ。何があるかわからないから、気をつけて」
背負ったゼフォンは、やはり魔力を使いすぎたのだろう。先程よりも辛そうにしていた。
「何があるのかわからないのに行くのか?」
こうまでして行かなければいけない場所などあるのだろうか。故郷の国へ戻って来たのだ。一番思い出の深い、暖かい安全な場所で、もっともっと優しい光と風に包まれるような穏やかなる世界で、余生を過ごせば良いだろうに。
しかし、そんなザヴィドの考慮を打ち消すように、ゼフォンははっきりと告げた。
「確かめなきゃいけない事があるんだ」
もう何も言えなかった。もしゼフォンが安寧を望めば、ザヴィドはそれを叶えてやれただろう。けれど彼はそれを望んでいなかった。決心し歩を進める。まるで焼かれてしまうような――光の中へ。
降り立った世界は確かに変わった世界だった。入った時から眩しかったが、それは入り口だけと言うわけではなく、杖の光をかざさなくとも廊下は常に明るかった。白い壁が光っているらしい。
そう歩くことなく、二人は三路地に分かれた広間へ出た。左右の道の先はゆるく曲がっていて先は見えない。直進の通路の先だけは扉が見えていた。
「真っ直ぐ行って」
その声に導かれるままに歩く。見えていた扉はいたって普通の扉で、取手を押せば難なく開いた。通路よりもうんと天井が高い。そして、広い。そんな空間に出た。
「ここは?」
見渡すとここには、比較的見覚えのある家具がある。広いテーブルに椅子、本棚、はしご、物置棚、黒板。そしてよくわからない謎の装置。装置はともかくとして、先ほどの廊下よりも『かつて人が居た』気配を感じた。ただ、空気は完全に止まっている。
「地下の中央研究室だよ。この場所は緊急時のシェルターにもなっていたんだ」
「しぇ……るたー?」
「隔離施設、かな。外界との道を閉ざして、籠もって生活できる施設」
研究者用の要塞といったところなのだろうか。
「ならば人が生きている可能性があるのか?」
「それはない……と思うよ。閉じこもるにはあまりにも長すぎる。空調システム……えーと、空気を換気する能力はあったはずだけど、食べ物や水はどうにもならないし、人は籠もっていては生きていけないんだよ」
「そうか」
確かに人の気配は感じない。埃はあまり積もっていなかったが、それでも何十年も。いや、何百年も、何も動いてない気配は感じ取れた。
「さっきの三つにわかれてた右が生活空間。左が共同施設や倉庫になっていたはずだから、きっとどちらに行っても人の遺体が見つかると思うよ。テラスファルマは入らなかったみたいだから、骨と衣服は残ってると思う。この部屋にもあるかもしれないけど」
「探すか?」
屍があるとしたならば、それは彼の同郷の者だ。研究者であったなら、もっと近しい者かもしれない。
「ううん、いいよ。もっと奥へ行って」
「わかった」
広間を突っ切ると、部屋の奥には新たな扉があった。部屋の左右にも数々の扉があったが奥に続いている扉はこの一つだ。相変わらず眩しい光が目に入る。こちらの廊下はやや散らかっていた。そこら中に本が積まれたり、何かを書き込んだ紙が散らばっていたり、見慣れない器具が散乱している。それらを無視して、先の扉を目指した。
扉を開けた瞬間、外に出たのかと錯覚した。まるで太陽の下に出たかのように明るくて、そして地面には草が生え、花が咲いている。しかし何より目を引くのが、部屋の中心にそびえ立つ巨大樹だ。
「ここ……は……?」
「やっぱりあったね」
天井を突き抜けることは叶わなかったのか、その分横に枝を伸ばしているが、この樹は間違いない。
「これは、時代樹か?」
「うん。僕が――聖皇国が一番最初に作った、プロトタイプの時代樹だ」
何気ない問いに、ゼフォンはあっさり答える。
「森羅宮にあった時代樹には、ある特殊な技術が使われていてね。枯らさず急速に成長させることができた。でもこの苗にはその能力がなかったんだよ」
この樹には不可欠の力が備わっていなかった。発芽しても世界を守る力を持つまでに成長できなければ意味が無い。樹木の成長とは本来緩やかなもので、いきなり成木するわけではないのだ。だから破棄された。
けれど、やはり植えられていたのだ。誰かが僅かな希望にすがって、ここで育てた。
「ゼフォン、遺体が……」
「え?」
ザヴィドの言葉に引き戻される。時代樹に向けていた目を彼の視線の先へずらすと、そこには白骨化した遺体があった。壁に背を向けて座り込んだような格好のまま、おそらく最後まで時代樹を見ていたのだろう。華やかではないが上等で重そうな衣装がその身を包んでいる。
ゼフォンはその衣を見たことがある気がした。
「これは……まさか」
記憶の糸をたぐり寄せる。もう遠くなって、掠れてしまいそうな古い古い記憶。けれど、これは――この人は。そうだ。かつて自分を拾ってくれた人だ。
「ザヴィド、降ろして」
ゆっくりと降ろされたゼフォンは、遺体に近寄ると迷いなく触れた。その腕の合間から一冊の本を抜き取る。彼は日記を腕に抱いていたのだ。頁を開けると、ゼフォンにとってはとても懐かしい、記憶に遠かった文字体が目の前に現れた。
そこには、この場所での生活の始まりからが記録されていた。想像通り、ここでの生活はゆっくりと凄惨なものになっていったようだ。少しずつ尽きていく食料に研究者たちは絶望し、次々と衰弱死したり餓死していった。だが、互いに食料を奪い合って殺しあうような事はなかったらしい。いずれ死に至るのは見えていたからだろう。そんな中で、彼らは何を心の支えにしていたというのだろうか。それは想像するに難しくなかった。
「やっぱり、行かないと駄目だね。きっと待ってる」
「何処へだ?」
「ザヴィド。僕の耳飾りをかざして。それが最後の渡りの宝珠だから」
「なんだと?」
三百年前に戻るのだと察した。ゼフォンは耳飾りを外すと、ザヴィドへと手渡す。そのままゼフォンを左腕で支えるように抱えた。
「本当に、いいんだな?」
百万世界の力を借りて世界に行くことは、ゼフォンの体にどんな影響を与えるかわからない。もう一度満たされてくれるかもしれないし、その逆もあるかもしれない。そもそも、ゼフォンはいつ倒れてもおかしくはないのだ。
「いいよ。このために、ここまで来たんだ」
少しためらうも、一気に耳飾りを時代樹へかざした。宝珠が眩しく光り世界を埋め尽くしていく。時間が、逆行していく。
光が収まったところで目を開けると、そこは先ほどとそう変わらない景色だった。地面には草が茂り花が咲いている。ただ、緩やかに風も吹いていた。空調システムとやらが生きているのだろう。
「きみ……いや、あなた方は……」
部屋の入口から声が聞こえた。その声主を見やると、そこには先程の骨が着ていた衣装を身にまとった更年の男性が佇んでいた。その顔は驚きに満ちている。
「その声、ソロン大司祭だね。お久しぶり」
「ゼフォン!? ゼフォンなのか……何故ここに。お前はレネシアと共にアタクトスへ行ったはずでは……」
この時代ではまだ時間遡行の能力が発見されていなかった事を、ゼフォンは思い出した。
「この樹には、時間を遡行する力があるんだ。だから僕たちは、未来から来たんだよ」
「まさか!……いや、では……」
「うん、僕たち帰ってこれたんだよ。随分時間がかかって、遠回りしたけれど。人々は生き残ったよ。テラスファルマももういないよ。レネフェリアスが、守ってくれたんだ」
ただ喋っているだけなのに、ゼフォンの目尻からは涙が溢れていた。本当はレネフェリアスをこの人に、父に、会わせてあげたかった。神としての役目を終えて、人間に戻っていいのだと。ここに来たならば言えただろうに。
「そうか……そうか」
「遅くなって、ごめんなさい。僕だけ帰ってきて、ごめんなさい」
きっとこの人は、レネフェリアスでなくゼフォンがここへ来た時点で、自分の息子がどうなっているのかを察しているだろう。
「いいや、構わぬ。謝ることではない。よく帰ってきてくれたな。おかえり、ゼフォン」
それでも、ソロン司祭はゼフォンを抱きしめた。優しく優しく抱きしめた。ゼフォンは堪えきれなくなったのか、声をあげて泣きはじめる。その姿を、ザヴィドも堪えながら見ていた。
「お前を助けようとしてあの子が何をしたかは、お前の魔力を感じればすぐにわかる。それに、お前の状態も。よく頑張ったな」
暫くの間、ソロンはゼフォンの頭を撫でてあやしていたが、泣き声が止まるとゼフォンから体を離して姿勢を正した。
「さぁ、もう帰りなさい。ここで倒れるべきではないだろう」
ゼフォンは袖で涙を拭うと、一つ頷いた。それを見たソロンは、控えていたザヴィドへと目を向ける。
「共に来て下さったお方。血は繋がらずとも、ゼフォンは私の大切な息子です。どうかこの子を頼みます」
司祭はそう言って、深く――深く礼をした。ザヴィドは一瞬瞠目したが、すぐに頷き返す。
「ああ、必ず」
ふらつくゼフォンを抱きかかえると、ゆっくりと宝珠をかかげる。ゼフォンは後ろ髪を引かれる思いなのだろう、最後まで司祭の顔を見ていようとずっと顔を上げている。それをソロンは、穏やかな顔で見守っていた。
「ゼフォン。希望をありがとう……」
宝珠から光が溢れだし、ゆっくりと世界を塗り替えていく。
「っ! お父さん!!! ……さようなら」
目を開けていられないほどの光に包まれて、二人は現代へと帰った。
光が収まった時、腕の中のゼフォンはぐったりとしていた。時間遡行は本来、人に悪影響を与えるものではなかったはずだ。けれど、残った百万世界の力だけで生きているゼフォンにとっては、やはり重荷となったのだろう。
「おい、大丈夫なのか」
肩を揺するとゆっくりと瞼が開いて、ほっとする。もう自力で立つことができないのだろう、ザヴィドはゼフォンを抱きかかえると、花畑にその身体を横たえた。ここは陽に似た光が落ちてきていて、少しだけ暖かい。
「ありがとう、お兄さん。最後までわがまま言っちゃったね」
「わがままじゃない。お前のやりたかった事だろう」
「うん。でも、ちょっと無理しすぎちゃったかなって……。真っ暗で、もうお兄さんの顔が見えない」
視力を失ったのだろう。ゼフォンの焦点は合っておらず虚ろだった。思わずザヴィドはゼフォンの手を握る。指の感覚は、まだあるだろうか。温もりは伝わるだろうか。
「もうちょっと自重してれば、お兄さんと長く生きられたのかなぁって」
それでもゼフォンは、困ったように笑った。
「全くだ、だからいつも無茶するなと言ってるんだ」
「あれ、そんなこと言われたことあったかなぁ」
「それに、ここまで来て『お兄さん』はやめろ」
「そう、だね。――ザヴィド」
少しずつゼフォン声が細くなっていく事にザヴィドは気づく。覚悟をしていた。この日が遠くない未来に来ることを。それは避ける事ができないのだと、分かっていた。その時が来ても絶対に泣かないと決めていたのに、泣いたことなど人生でそう何度もなくて、泣き方などとうに忘れていたはずなのに――目頭が熱くなった。胸が苦しい。
「ザヴィド。ねぇ、ザヴィド」
「何だ。もうあまり喋るな」
「やだよ。僕は最後まで君とおしゃべりしてたいよ。他愛ない話でいいよ。君の声が聞きたいよ。君の考えていることが知りたいよ」
「俺は、お前に消えてほしくない、それだけだ」
「あはは、ありがと。そういやさ、前に僕の全てをあげるって言ったのに、もう完璧に反故にしちゃったね。ごめんね」
「構わん」
この関係は恋人と呼ぶのだろうか、それすらもあやふやなままで、身体を重ねることもついぞなかった。けれど、不満などなかった。
「でも、ザヴィドが僕でいいって言ってくれたときは、本当に、本当に嬉しかったんだよ」
不老の身体は精神を蝕んでいった。人と触れ合うことを怖れて、手をつなぐことすら怯えていたというのに。心だってそうだ。大切な人を亡くしてしまうのが怖くて、ずっと人を避けていた。でも、それは違うと、ザヴィドと居て気がついたのだ。
だから、彼にも気がついて欲しい。それとも、もう気がついているだろうか。
「ザヴィド」
「次は何だ」
「僕を亡くしても、君は独りじゃないからね」
「わかっている」
「――うん、うん。それでいいよ。きっと遅れてみんなが来るから、案内して導いてあげてね。お願い」
彼が己の罪を感じている限り、消えることはないだろう。けれども、それだけでいてほしくはない。償うにしても、だ。
「なんだか、ほっとしたら眠くなってきちゃったよ。まだ寝たくないのにな」
「いい、少しだけ休め。手は握っておいてやるから」
「ありがとう、ザヴィド。君の幸せを――願っているからね」
ひどくゆっくりとゼフォンの瞼が降りていくように見えた。そして、それきりゼフォンが言葉を紡ぐことはなかった。
握っていた腕から、完全に力が抜けているのがわかる。けれど、手は離さなかった。少しでも長く体温が残ればと、ザヴィドは暫く握り続けていた。
それから、ザヴィドは一人で黙々と、彼の亡骸を埋葬した。隣にあったソロン司祭の骨も、ゼフォンが寂しくないようにと埋葬した。だが、隔離施設の中にはもう数体の遺体もあり、それも後日に埋葬することを心で誓った。
元から寡黙な方ではあったが、隣に人がいないだけでこんなにも世界は沈黙に包まれるのかと、ザヴィドは暮れゆく空を見ながら思った。これがきっと、寂しいという感情なのだろう。亡くしてはじめて、それを痛感した。けれども、会わなければ良かったとは思わない。大切な存在を作った事に後悔はしていなかった。最後まで共に在れた事は誇りだと思えた。ゼフォンの言っていた通り、これからまた大切な人はできるだろう。もうそれを怖いとは思わなかった。
ザヴィドは、ここに留まる事を決意した。どこの建物も、すこし奥へ入り込めば雨風が凌げる部屋は残されている。幾日かはそこを整理しながら、食べ物を探し、そして残されていた本を読みながら過ごした。
数ヶ月後、遅れて別の船団が到着する時まで、そうやってザヴィドは本を読み漁って過ごしていたのだと言う。
それから数年の月日がたち、基盤が造られていたオムファロスは人々の新たな街の一つとなっていた。膨大な書物の中には、もちろん世界地図や様々な技術を記した書物もあり、それらのおかげで世界は急激に発展していった。
その中で、彼――ザヴィドは学んだ知識を生かした『学者』という地位を確立した。そんな彼は、調査のために近隣に出かけることはあっても、生涯オムファロスから離れることはなかったらしい。
彼の住んでいた場所には、今も複数の墓が並べられている。その中で一際目を引くのが、青い宝珠が埋め込まれた墓石だった。
そこには、とある一文が刻まれ、今でも花が添えられ続けているという。
『世界を守りぬいた偉大なる賢者』
ゼフォン
レネフェリアス
Fin
以下だらっとあとがき
色んな意味で優しくないザヴィゼフォを読んで下さりありがとうございます。
思い返せば結構長いことザヴィゼフォを書いてた気がしますが……これが本当に最期です。
ていうか前回の話で「最終話です!」とか言ってましたね。嘘すぎる……!w
話の最期は流れ的にゼフォンに死んでいただかないといけないのですが、書いてる本人が書きながら「なんでもっとザヴィドと一緒にいられないんだろう」とかホロホロしてしまいました。
まぁ、話の都合上そうなっちゃったわけですが……。
原作を考えると、あの時点で消えるよりかは長くいられる設定にしたのでいいのかなとも思いつつ。
最後に、ザヴィゼフォシリーズとレネ様過去捏造話にお付き合い下さった方、ありがとうございました!
ほんと甘い話とか書けない奴ですみませんです。
至らないところも沢山あったと思いますが、少しでも心に残りましたなら幸いです。
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