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秩序と混沌のカラナック(幻水紡時 ザヴィドとゼフォン)

登場人物:ゼフォン ザヴィド、レネフェリアス

CP傾向:ザヴィド×ゼフォン

制作時期:2012年10月


『落日と光明のフィナーレ』の続き物。
長めのシリアスです。
ゼフォンの過去、レネフェリアスとゼフォン、そして二人のお話です。






 もし、時間が永遠に止まるのであれば、それでもいいと思った。時間を遡るためのチカラは存在している。それを、天間星になって知った。
 けれども、時間を止めるための方法は、どう願っても、どう調べても出てこないのだろう。存在しないからだ。
 こんな感情は、一時の迷いが生み出したものだ。ただの傲慢だ。
 かたちあるものは、いずれ壊れ、再生される。長い時間の中で、壊れないものなんてない。それを知っているから、変化を生もうとしているのに、これでは一緒じゃないか。
 ゼフォンは、邪念を振り払うように、森羅宮へ飛び込んだ。



「ここは任せろ。術が効くテラスファルマは、全部俺が止めておく。その代わり、絶対に終わらせろ!」

「わかった! だけど、無理はしないで!」

 別れは、驚くほどあっさりとしたものだった。
 いや、時間をかける暇などなかったし、変に口を挟むと疑われてしまう。

「お兄さん、武運を!」

 だから、別れは淡泊に、言葉は必要以上にかけなかった。これが、自分と、彼の、最後の別れ。二度と会うことはないのだろう。
 扉をくぐる最後に、背中を見た。テラスファルマと対峙する姿が見えた。寧ろ、ここで別れられたのは幸運なのかもしれない。未練など見せたくないのだから。

 ――お兄さん、ありがとう。
 君の生きる世界は、僕が友と刺し違えても、返してあげるからね――

 そう心で呟いて、走った。もう二度と振り返らずに。





 始まりの時代樹の間に聖皇はおらず、僕らは邪魔されることなく過去へ遡った。そこで久々に見た過去の友は、久しい者を見るような顔をして驚いていた。
 ああ、この時代の自分は、既に隣に居ないのかもしれない。そう思うと胸が傷んだ。この時に、僕が気づいて戻っていれば。もしかしたら避けられた事はあったかもしれない。
 けれど、後の祭りだ。
 君は変わった。否、これから変わる。

 ねぇ、どうして君は変わってしまうの?あんな選択を選んだの?

 言っても無意味な言葉を、飲み込んだ。僕と君は、話してはならない。それは、現代の君にも言えることだった。本当は話したいことが沢山あったのに。聞きたいことも、昔の話も、今の話も、君のことも、僕の事も、彼らの事も、世界のことも。なのに、結局、話せる暇なんてなかった。
 僕では駄目だ。それは天魁の星のみが介入できる話。どこかで『天間の星』がそう告げていたのかもしれない。
 けれど、それを僕は破ることもできたはずなのだ。それをしなかった。できなかった。
 これは君を捨てた僕への罰で、願えども祈れども、二度と昔には戻れないのだと。世界樹でいくら過去戻れども『君と生きた時間』も、『君を捨てた時間』も、『君を取り戻す時間』も塗り替える事は叶わないのだと、知っていたからだ。

 だから決心したのだ。君を止めて、君と滅ぶ。その未来を。
 本当は、君が何を考えているかなんて、大体の想像はついていた。それを察知できる情報は断片的に拾えたからだ。
 そして、君の目指した完璧なる秩序の世界は、小さな歪みを少しずつ広げて、やがて大きな歪みになった。
 そして今日に、倒されるべくして、倒される。
 僕は、何よりも大事に想った相手に刃を向けなければいけない。それもきっと、罰なのだ。





 時を越えた白い世界は、百万世界の力の本流の中だった。本来入れない時の回廊に、宿星の絆の力で、立ち止まっているに過ぎない。
 天魅の星の君と、その輝きに呼応した星の二人は、驚いていた。そんな彼らに、僕は謎かけみたいな言葉しか紡げない。
 そう、ここは、君たちへのご褒美といったところだろうか。本来は交わる事のなかった時の道が、再び別れる。その時が近づいていた。
 少しずつ、身体が朽ちていくのがわかる。体に貯まっていた力が少しずつ零れて行くのだ。おそらく、この空間から出てしまったら……急速に命が削られるのだろう。
 宿星に流れ込んでいた力が止まる。即ちそれは、自分にとっての消滅を意味している。けれど、彼らの声を振り切って、光の中へと歩を進めた。これから死ぬのだとわかっていても、不思議と怖くはなかった。

 歩きながら、長い長い時間の事を思い出す。これが走馬灯なのだろうか。
 色々あったけれども、言うならば僕はとてもツイていたのだ。
 最初は、人より少し知識欲が旺盛な子供だった。それ以外に取り柄もなかった。だが、小憎らしいことに、その子供は天才の片鱗を見せた。若くして賢者の一員となり、百万世界の力を取り出す事に成功したのだ。
 もしかすると、その時には既に宿星が決まっていたのかも知れない。今となっては、確める事はできないが。
 かくして、百万世界の力は帝国の絶望的な状況を救った。結界世界に閉じこもる選択肢を選んだ事が、救いであったかは甚だ疑問だが、それしか道は残されていなかった事は確かだった。
 そして、更に賢者はリファイアントを生み出した。

命を燃やして戦う、強力な魔術師。
肉体を改造、強化して、不老を得て。
異形と戦う、異形と同じ力の、諸刃の剣。

 百万世界に流れる力を、引き出すことに失敗したのがテラスファルマならば。成功したのがリファイアントだ。
 『世界の守り役』という名の人柱を買って出た、聖皇レネフェリアスもそうだ。
 彼は、行動を制限されるかわりに、不老の力をより強固なものとした。他のリファイアントとは違い、始まりの時代樹から力を借りる特別な施術だ。

 また、時代樹を守り、管理するレネフェリアスに変わり、行動することができるリファイアントも生み出された。その一人が、ルガト・ルガムだ。
 しかし彼は移動制限を受けない代わりに、別のペナルティを受けることになる。則ち、始まりの時代樹から離れると、僅かにだが老化してしまうのだ。
 そんな中、更に特殊なリファイアントが生まれた。


 僕だ。


 リファイアントは、人体強化の完成例だった。その力の根元は、始まりの時代樹を中継して流れる百万世界の力。テラスファルマと同じだ。よって、時代樹の傍だと延命されるし、身体が楽になる。しかし始まりの時代樹は国家機密だった。故に、多くのリファイアント達が持続的に力を補充することはできなくなり、犠牲になっていった。
 幸いにして、賢者でありながらリファイアント施術を受けた僕は、暫く森羅宮にいた。
 あの時は幸せだった。生活は苦しいし、ないものだらけ。空気は重くて、テラスファルマの落とした影は簡単に拭えるものではなかった。けれど、幸せだった。
 あの力に目覚めるまでは。
 開花は、唐突ではなかった。思えば、賢者になるほど知識を高めた時から、その片鱗が見えていたのだ。
 例えば、一度聞いたことを忘れない。ものの本質を直感で理解する。あるものを突然にして閃く。知らない知識を、気がつけば知っている。奇妙な感覚だった。当然だと思っていた事が、他人はそうではないのだと、幼くて気づかなかったのかもしれない。
 その力は少しずつ深く根付き、結界世界に入ってなお、高まっていた。もしかしたら、そんな力には気づかないままだった可能性すらある。なのに、ある日唐突に気がついてしまったのだ。
 時代樹の力が及ばない外に出ても、魔術を使っても、他のリファイアントのように影響が出ない事を……。
 力の根元は直ぐにわかった。気味が悪いほどの直感だった。


 理由は、星に選ばれたから。しかも、厄介な星に。


 願えば直ぐにひらめく知識。謎を見つけても答えはすぐに出て、それを否定することもできなかった。知識が豊富すぎて、感情が追いつかず、もたらされる星の情報に、発狂しかけた事すらある。言ったところで誰も信じない絵空事から、口にしたら間違いなく気が触れたと思われそうな奇想天外、多岐に渡る莫大な知識。
 だが、それらを『嘘ではない』と確信を抱いてしまうほどの、強い星の輝き。絶対なる星の記憶。世界の真理を知る宿星。全てを知りすぎる呪われた星。天間星。
 いたたまれなくなり、僕は飛び出したのだった。
 身体は老いなかった。理由は解っている。宿星であるから。他のリファイアントが延命に使う百万世界の力。それを宿星に選ばれたというだけで、自分は与えられているのだ。そこには、中継の時代樹すら必要ない。
 苦労をして選ばれ、苦しんで施術をし、命を賭して戦い、綻び死んでいく者に、申し訳がなかった。忘れたかった。溢れこむ知識なんて使いたくなかった。
 だから、逃げ出した。



 森羅宮がおかしくなったと気がついたのは、かなり後になってからだった。
 僕は、世間から逃げに逃げていた。人と関わってしまうと、自分の歪さがバレてしまう。だから、極力関わらないように……転々としながら過ごしていた。眠り続けても、力のおかげで死ぬことはなかったから、ずっと眠り続けた事もあった。座り続けた日もあった。空白の時間だった。
 最初のテラスファルマを撃退したと聞いた時は、ほっとした。多くのリファイアントがその後に散ったとも聞いたが、大勝利であったらしい。
 更に噂では、レネフェリアスは美しい妃を迎えたとも聞いた。どこかで、もう大丈夫なのだと思ったのは確かだ。狭くても、彼らの能力で、世界はまわっている。まわっていける。大丈夫。僕の力はもう不要だ。いらないものだ。
 だが、その幻想は暫くしたのちに砕かれる事になる。次々に大きな都市が独立を始め、そしてアイオニアが言論統制を始めたのだ。
 古い記憶の消去は、人自らの手で急速に進んでいた。
 既に結界世界の始まりから、人々は四世代、五世代目に入っていた。そして先のテラスファルマとの大勝利。彼らは、過去の知識を「不要」としたのだ。
 それだけならば、良かった。
 問題なのは、アイオニア……しいては森羅宮が、それを是としたことだ。
 本来ならば、それは捨ててはいけなかった知識だ。この世界の意味、結界のこと、生きる意味、人類の状況、そして目的、それを忘れると言うことだ。
 無知は罪だ。誰かがそう言った。けれど、この世界は無知で在ることを望んだ。
 知識はあればあるほど良いだなんて、昔の僕は本当にそう思っていた。知識欲を満たすために、存在してたと言っても過言ではない。読める本は片っ端から読んだし、新しい知識にはわくわくした。知識は人を豊かにする。知識こそが財宝。それはきっと、万人共通なのだ、と。
 しかし、違った。時に人は、知りすぎると壊れるのだ。あまりにも耐え難い現実から逃げるために。見えないように蓋をして、その箱すらも忘れてしまう。いらない知識もある。自分もそうやって知識を捨てた。彼らと一緒だ。

けれど

けれど――

「いつかまた、世界に出れますように」

って、そう願ったはずなのに……どうして?
どうして君はこんなことをするの?

 星に聞いても、答えは出なかった。そして、自力で考えれば考えるほど、悪い方にしかいかなかった。
 全ては今更だった。僕は君を捨てた。君から逃げ出した。もう僕は、君に会いに行く資格はない。つらいものを全て君に押し付けた僕に、君にとやかく言う権利もない。
 胸が苦しかった。ただ、見届けようと思った。それは、この結界世界の始まりの時から生きてきた、僕に許された役割だと思ったのだ。
 ただ、自分もアイオニアには見つかってはならないのは変わらなかった。一見ただの少年だが、言わば自身は歩く禁書だ。隠れながら、生活が続いた。

 世界はどんどん濁っていった。人を守るべく作られた国は、その存在のために人を傷つけるようになっていた。
 このまま、ではいけない。漠然とそう思い始め、小さな焦りがうまれた。
 明確に、何をするべきかが分かっていたわけではない。
 しかし、僕は、世界樹の苗木を手に入れた。全て、天間星の記憶だった。これで、宿星が過去に遡れる事も、それが必要になる時が来る事も、宿星が過去に散らばっている事も。名前も、顔も、声も、性別すらも知らない、天魁星に会えることも。
 けれども、これでこの世界が変わるならばと、僕は初めて自ら動いたのだ。たとえそれが天間星の呪いであったとしても。
 言ってしまえば、それは星の選択で、人の選択でもあった。
 全てをもう一度、秤にかけて、世界の在り方を決める。聖皇でも、国でも、僕でもない、世界が選んだ天魁の星に、選択を委ねるのだ。歪んだ秩序か、不透明な自由か。その選択を。



 それから百年。最期の、そして束の間の休息が訪れた。
 人はこれを『休息』とは呼ばないのかもしれない。けれど、長く孤独と罪に苛まれて来た自分にとっては、あの場所はひどく居心地が良かった。
 誰かと一緒に食べるご飯は美味しかった。
 何気ない世間話や、くだらない会話のやり取りが楽しかった。
 誰かの傍に在れて、誰かの役にたてるのは嬉しかった。
 何より、慈しみたいと思える『心』に出会えたのは、幸せだった。

 幸せだった。夢のようだった。

 本当に長い時を、現実を、この目で見てきた。嫌な事も、苦しい事も、嬉しい事も、幸せな事もあった。けれど、結局は償いの道を選んだ。ようやく、終止符を打つときが来たのだ。

 光が、途切れる――
 その瞬間、全身に重い圧力が襲いかかった。





 完璧な造形の美しさを保っていた白の宮は今、破壊し尽くされた瓦礫となっていた。
そんな中、ゼフォンはただ一人、足を擦らせながら進んでいた。ゼフォン自身の肉体も、全身が軋むように悲鳴をあげており、既に限界など分からなくなっていた。
 先の戦いで柱が幾つか倒れてしまったらしく、いつ天井が崩れてもおかしくはなかった。しかし彼の足取りは迷う事なく前へ進む。
 会わねばならない人がいる。自分が生きているのだから、きっとどこかにいる。確証はないけれど。もし、もう会えないのだとしたら、神様はあまりに残酷だ。でも大丈夫、まだ大量の時代樹の力は、流れ出していない。だから、信じて重い足を引きずった。瓦礫に足をとられても、倒れることはなかった。

 ようやく、目的のものを見つけた時には、膝が笑っていた。
目線の先には、白い床に横たわる、人であって人でない影。

「みーつけた」

 なるべく、痛みを見せないように、明るく声をだす。少しでも、届くように。

「ゼフォン……か」

「すっかり、ボロボロだねぇ」

 彼には、既に脚がなかった。腕もボロボロで、とてもまともとは言えない状態だ。ただ、流れるように美しかった髪と、瞳の色は元に戻っていた。おそらくあのテラスファルマは、外面を覆うマスクのようなものだったのだろう。それが剥がれたのだ。
 だが、彼はもう、元には戻らない。一度混ざってしまったものを、取り除くのは不可能だ。それに、もう力が足りない。
 寝たきりのレネフェリアスは、顔を僅かに向けると、いつもの表情の薄い顔で、ぽつりと呟いた。静かな声なのに、やけに響いて、しっかりと聞こえる。

「こんな所に、何をしに来たのだ? 私に、引導を渡しに来たのかな」

 なんて酷い言い草だ。ゼフォンは苦笑を浮かべるが、これも自分のやったことなのだと思い返して、息を吸った。そして一言。

「違うよ。ただ、君に会いに」

 ゼフォンは引きずるようにして、レネフェリアスの傍に腰を下ろすと、そっとその頭を優しく包み込んで、膝に乗せた。レネフェリアスは、そんなゼフォンに少しだけ笑うと、と小さく呟いて目を閉じる。

「おやおや、いつもみたいに嫌味を言われてしまうのかな」

「ううん……。あとね、君に懺悔をしに」

「ほう?」

 空から柔らかく光が降り注ぐ。始まりの時代樹の、最後の輝きだろうか。レネフェリアスが、物珍しそうに瞼を開けるが、眩しいのか、はたまた力が足りないのか、眩しそうに目を細めてしまう。
 そんな光を遮るように、ゼフォンは顔を覗きこんだ。

「ずっと、ずっと後悔して来たんだよ。何故、君の傍にずっと一緒にいなかったんだろう、って。独りで君が苦しい決断をたくさんしてきたのに、何故僕はずっと傍にいなかったんだろう、って」

 レネフェリアスの頬に張り付いた髪を、指で梳かす。もう長い間、触れるどころか見てもいなかった髪は、相変わらず綺麗だった。苦労なんて見えない。苦労しても色が変わることはない。これは、呪いの色だ。
 けれど、だからこそ、愛おしかった。悲しかった。

「ずっと傍に居たら、君を変えられたとか、そんな傲慢な事は考えてないけれど。少なくとも手は握れたはずなんだ」

 頬をなぞっていた手に、冷たい何かが触れる。その感触に目やると、それはレネフェリアスのボロ布のような腕だった。
 昔から、ずっと冷たいままの手。何度も包んで、温もりを分け与えようとしたあの手だ。
 何故、あの気持ちを忘れて、逃げてしまったのだろう。ふるえて、動きの鈍いそれは……けれど、怒ってはいなかった。恨んでもいなかった。でも、忘れてもいなかった。それが、どれだけ辛いことか、今の自分には身にしみてわかるのに。

「バカだね、君は。本当にバカだ」

 あれだけ人のために頑張ったのに、身を粉にして働いたのに、心を砕いてまで生きてきたのに。結局、こうなってしまった。
 彼は、自分の道を信じて疑うことはなかった。人はそんな彼を「愚かしい」と笑うのだろう。
 けれど僕は、君の全てを知っている。何を考えて、どれほど人を愛して、そして歪んでしまったか。人はそれを拒んで罪としたけれど。それが罪だと言うのならば、自分も被らねばならないと思った。
何よりも、その罪を、彼だけに背負わせたくはない。

「僕はねえ、レネフェリアス。君と心中しにきたんだよ。だって独りぼっちは寂しいじゃない」

 独りぼっちは寂しかった。それを、つい最近に実感した。心を許せる者の傍が暖かい事も。

「ずっと独りにしてしまってごめんね。来るのが遅くなっちゃったけど、せめて最期だけは君の傍にいるよ」

「ゼフォン……」

 冷たい手を、頬にあてる。手で包み込んで、温もりを移すように。
 目じりが熱くなって思わず閉じた。それでも耐え切れずに零れた涙が、重ねた手に伝う。
 あんなに熱い涙なのに、もうちっとも手は温まらなかった。冷えていくだけだった。

「ごめんね。僕ももう、温かくないのかなぁ」

 子供のままの体温で、ずっと温めることができたのに。もう、何もかもが昔と違うのだろう。
 そんなゼフォンを気遣うように、レネフェリアスはゆっくりと口を開いた。
 
「ゼフォン、私はね。君が生きていてくれただけでも嬉しいのだよ。あの時、私は君が逃げてくれて、良かったと思っていた。君がくびきに選ばれなくて、良かったと、あれほど思ったことはなかったね」

 これには、驚いた。ゼフォンはゆっくり瞼を上げる。もう視界はぼやけて、ほとんど何も見えなかった。
 あの時、森羅宮に彼を残して、そのまま戻らなかったのは、自分だったはずだ。
 レネフェリアスは、いつでも優しかった。弟のように可愛がってくれた。ずっと傍にいた。他の賢者とも、リファイアントとも違った。
 逃げてからかなりの時がたった後、よくよく考えてみれば、あれは自分を心の拠り所にしていたのかもしれない、と気づいた。買い被りすぎかもしれないが。
 けれども、あの時のレネフェリアスは優しかった。世界に絶望なんてしていなかった。人を犠牲にするより、まず自分を犠牲にするような人だった。
 だから、人々に絶望した時に、もし隣にいたなら、手だけでも握ってあげられたのに……そう何度も何度も悔やんできた。
 そんな自分に、かけられる言葉ではない気がした。

「なぜ」

 理由を問う。そこまで想われる、理屈が合わない。

「私に自由はなかったけれど、だからと言って君も不自由になるべき道理はなかったのだ。君が隣に居た日々は、確かに幸せで、何もかもそれだけで耐えられた。けれどね、それは私の我が儘だったのだ。それだけの理由で、君の自由を縛るなどあってはならない。守役は、私が自らに課した枷であり、君が負うべきことではないからだ。ゼフォン。君には空が似合う。花や、川や、風もね。それらは君と共にあって欲しいと願った。私はそれを奪う事はしたくなかったのだ。……私はね、離れていても、ずっと君の幸せを願っていたよ」

 もう殆ど見えないであろう、同じ色の瞳は、ただ懐かしそうに宙を見ていた。
 その静さに、ゼフォンは憤る。
 違う、もっとなじってくれていいんだ。彼にはその資格も理由もある。

「バカじゃないの、結果的に君を殺したのは僕なのに。君の夢と希望を壊したのも、全部僕なのに……」

 自分が天魁星の側についた事など、とっくに分かっていたはずだ。邪魔をして、邪魔しかえされて、そして最終的に完全に思惑を打ち砕いた。
 こうなると分かっていて、大切だった人を地に落としたのだ。なんて最悪で最低なのだろう。
 留まっておけば、言葉で、知識で、未来を変えられたらかもしれないのに、それができなかっから、暴力と星の力を使ったのだ。卑劣としか、言い様がない。相手も卑劣だったとしても、相殺されることではない。

「おやおや、私がこの未来を、全く予期しなかったとでも思っているのかな?
 確かに私の望んだ未来ではない。だけれどね、それと、友の幸せを願う気持ちはまた別なのだよ」

「と……も……? 君は僕を、まだ友達だと?」

「君も、そうだろう? 今ここに来てくれたのは、私のためなのだろう? ここまで私を想い続けてくれた気持ちと、君の望んだ未来は、別だったはずだ。いつでも世界はそうなのだ。どちらも叶えるなど、傲慢な事は許されない。どちらかを選び取るしかない。それすらも叶わないことすらある。そう考えれば、片方が叶った私は、きっと幸せ者なのだな」

 そう言って、彼は、笑った。

「いやだ。それじゃ君の幸せが足りない。君が幸せになってないじゃないか!」

 彼が、こんな顔をするなんて、思っていなかったから、つい怒鳴ってしまった。
 悲しくて、項垂れると、するりと抜けた手が優しく頭を撫でた。手は細かく振るえていて、温かみなどなかったけれど、ますます目尻は熱を持つばかりだ。

「君がここに来てくれただけで、私は充分に幸せだよ」

 本当に、良かったと言うのだろうか。彼は幸せなのだろうか。ならば、ならば――もう、思い残す事はない。

「ゼフォン、手を……」

「レネフェリアス?」

「もう片方も、繋いでおくれ」

「う、うん」

 もっと酷い状態になっている片腕をそっと拾いあげる。そちらはもう、感覚すらないのだろう。動く気配すらなかった。
 長い間、この世界を治めていた、その手は、ここにきて機能を失ったのだ。

 だが次の瞬間、不意に爆発的な力の逆流を感じた。
 この力は、そう、百万世界の力だ。急激に、沈みゆくだけだった意識が覚醒する。流れて出ていくだけのゼフォンの力を、押し戻して、逆に流しこむ。見るまに体の痛みが引いた。

「っ!? レネフェリアス! 何をしてるの!! やめて!!!」

「私の身体のテラスファルマの部分は死んでしまった。だから、私はもうすぐ消滅するだろう。しかし、世界樹の力は、まだ少し残っているよ。これで君は、もう少しだけ生きられる」

 これは、命の力だ。リファイアントが糧とする、世界樹の力だ。
 そんなものが流れでてしまったら、レネフェリアスは――。

「やめて! いらない! そんなのいらないよ!! 君が、君が死んでしまう! 離して、レネフェリアスッ!!」

 振りほどこうとするも、手が離れなかった。否、途中からは、離せなくなった。流れこむ力の中に、レネフェリアスの意思を感じた。僕が、もう少し生きられますように。外の世界が、見られますように。

「私は沢山のものを失った。愛した国も、ついてきてくれた臣も、貫いた思想も、理念も。ただ君を除いて、もう何もない。だけどゼフォン、君は違うだろう? 君を待つ人がいる。帰るべき場所がある」

「もう別れは言ってきたんだよ。僕は君と死にに来たんだ! せめて最期は一緒だって!!! もう離れないって、君を独りにしないって、決めたんだ!! なのにっ」

 涙で、視界が霞む。君の顔を見たいのに、とめどなく溢れる涙は全く止まってくれなかった。
 少しずつ、レネフェリアスの体が光りながら乖離していくのが見える。
 握っても握っても、乖離は止まらなかった。力を失って、急速に『残りかす』となった体は、ただ朽ち果てて行くのだ。そこには、何も残らない。皮も、骨も。

「ゼフォン。いつか話したね。私たちの故郷を、もう一度見ようと」

「僕は一緒に見ようって言ったんだ!!!」

 力いっぱいに、泣き叫ぶ。ちゃんと、届くように。
 彼は、昔の約束をちゃんと覚えていた。覚えていたのだ。

「駄々をこねてはいけないよ。けれど、懐かしい気分だ。このまま逝けると言うのなら、悪くない」

「ばか、ばかだよ。君はずっと傷ついて、自分ばかり犠牲になって。悪いのは僕も一緒なのに。のうのうと生きてきた僕だけが残るなんて」

 そんなことって、ないよ。ここまで来た僕が、馬鹿みたいじゃないか。少しでも救われたと思った僕が、馬鹿みたいじゃないか。二人一緒に消えるなら、怖くなんてないと思ったのに。僕だけを遺して行くなんて。
 いつしか、周囲は光り輝いていた。とても、残酷で、美しい光景だった。君が、消える。いなくなってしまう。

「良いのだ、ゼフォン。私はね、君のために、傷つく道を自ら選んだのだから。ゼフォン、どうか、幸せに」

 ――親愛なる君の、残り少ない生が、どうか素晴らしいものでありますように――

 最後に流れ込んだ君の力は、確かにそう伝えていた。
 消えてしまった跡に、ぽたりぽたりと涙が落ちる。虚ろになってしまった、その腕の空間に、ゼフォンは一言呟いた。

「さようなら、レネフェリアス――」

 何よりも、僕の大切だった人。





 青年は、遠くの砦を眺めて佇んでいた。
 日暮れの赤に照らし出されたその砦からは、陽気な歓声が聞こえる。この離れた地まで届く声は、今日の大勝を意味していた。きっと今頃は、食べ放題飲み放題の賑やかな宴になっていることだろう。

 そう、戦いは終わった。

 箱庭から出るための、星と秩序の戦いは終わったのだ。結果は、歓声がどこに上がっているかを見れば、考えるよりも明らかだろう。
 この世界は、再び法も何もない、自由と混沌の世界を手に入れた。それは世界の始まりとも言えるだろう。そして、自然と人が集まり、どこかでまた秩序が生まれるのだろう。
 それが正しいものか、正しくないか、はたまた希望か絶望かなど、誰にわかるはずもなく、ただ人々は新たな出発地点に胸をときめかせているのだった。
 しかし、彼――ザヴィドには漠然とだが分かっていた。あの光り輝く星を持った彼は、間違いなく希望を掴むだろう、と。
 だが、その傍はザヴィドには優しすぎた。故に、居場所はないとし、道を分かつには今が絶好の機会なのだと判断した彼は、少ない荷物も、疲れが残る体もそのままに、ここまで来た。
 歩きながら、少し前までのことを思い出す。脳裏に浮かんだのは白い服の、あの少年だった。

「だからね。幸せになって。君さえ自分を許せば、誰にも咎められない世界が来るよ」

 そう己に言った少年は、ついぞ帰ってこなかった。
 経緯は、団長から大まかに聞いた。まるで時代樹の精のように、消えてしまったのだと言う。
 虚無感が残った。怒りは沸かなかった。何となく、戻ってこないような気はしていたからだ。前夜の彼は、まるで残していく者を憂うようだった。
 その杞憂が、現実になっただけだ。それだけだ。
 なのに、理不尽だと思ったのも、確かだった。この世界は理不尽だ。そのように、もとから出来ている。それを知ったところで、どうすることもできない。
 マルティリオンで多くを失った時は、世界を呪おうと思った。次に信ずる者が殺された時に、世界を捨てようと思い、そして最後に、世界に償おうと思った。
 しかし、自分の性格は重々承知だ。人と関わるのが巧くないのだ。どうしても他者を不快にさせてしまう。その心根は、ちゃんと優しいのだと言ってくれた唯一は、失ってしまった。だから人と関わらず、人知れず外界にでも出ようと考えていた。いつか外に出る市民のためのいしずえになることで、報いられればと、思った。今が実行に移す時だ。
 賑やかな声に背をむけて、沈み往く太陽に向かって歩を踏み出す。
 すると、すぐさま声が降ってきた。

「そんなに急いで、どこに行くのかなあ。お兄さん」

まさか、と顔を上げる。

「ゼフォン!? お前、生きていたのか」

 声の方向を見やれば、木の枝の上に腰掛けている、見慣れた白いローブ姿があった。霞んでも、足が切れてもいない、妖精でも精霊でもない。いつもの彼だった。

「本当はね、消えるつもりだったんだけれど……もうちょっと生きろって、友達に叩き起こされちゃってさ」

 よっと、という掛け声と共に、ゼフォンがふわりと身を枝から踊らせる。咄嗟に受け止めるべきか迷ったが、着地に手を添えるだけに留めておく。腕に触れた体は、前よりも薄い気がした。

「だからね、お兄さんの所に帰って来たんだよ。ただいま!」

 そう、にっこりと笑うものだから、問いかけるべき言葉を大分と無くす。
 だが、心は軽くなった。そうか、そうやって笑うことが、できるのか。胸のつかえは、とれたのか。

「ここで何をしていた」

「お兄さんを待ってたんだよ」

「来なかったらどうするつもりだ」

「おやおや、僕を誰だと思っているの。それに、少し考えればわかるよ。君の事だもの」

 いつもの、強気な物言い。不遜な態度に隠れる優しさと、虚勢。
ザヴィドは一つ溜め息をつくと、一言「おかえり」と告げた。その言葉に満足したのか、ゼフォンは嬉しそうに顔を歪める。
 けれど、泣きはしなかった。
 まだ言うことがあるからだ。

「ねぇ、僕も連れて行ってよ。……ううん、僕と一緒に、外へ行こうよ」

 彼が外界に行くなんて、お見通しだ。そして自分の目的も一緒だった。だけれど、この旅はそれだけじゃない。

「好きにしろ」

「うん、ありがとう。でも、今回はそれだけじゃダメなんだ」

「どういう……事だ?」

 ゼフォンにとっては、もっともっと意味のある旅になる。これまでの戦いとは違う。他の外界へ出ていく旅人とも違う。それを伝えなければならない。

「あのね、僕の身体は、本来なら崩れ去るはずだったんだ。僕の力の根源は、百万世界の力で、それを供給してくれていたのが星の力。だからそれを失ったら、消えるはずだった。けれどね、友が……親友が、僕に力をくれて……生きろって言ってくれたんだよ」

 ザヴィドは、おそらく親友が聖皇だったと気がついている。先の戦いで亡くした人物と言えば、限られてくるからだ。仇敵の力だと、疎うだろうか。
 それでも、今ここに存在できているのは、彼のおかげなのだと伝えたかった。

「何故、その話を俺に……?」

「僕がいつ消えてもおかしくないからだよ」

 ザヴィドは少し息を飲んだ。力の根源を失ったのであれば、それは十分に考えられる事ではあった。一時的に満たしただけの器は、既に壊れていて、少しずつ中の力を零していくだけだった。
 すなわち、この旅は、片道切符どころか、どこで終焉を迎えるかも分からないのだ。

「僕は魔術を使うことも、もうできないし。体力も落ちている。きっと足手纏いになる。それに徐々に色んな不都合が出て来て、君にとても迷惑をかけてしまうかもしれないね」

 やはり、世の中は理不尽だ。
 長い生の中で、何度死んでしまいたいと思った事だろう。まさかここに来て、こんなに「生きたい」と思うだなんて、想像もしていなかった。生き残れるなんて、考えてすらいなかったのだ。
 覚悟は決めていたのに、なんて今更で、身勝手なのだろう。

「けれど僕は、君と行きたいんだ。一緒に生きたいんだ。残された時間を、最期まで」

 それが、それだけが望みだった。無限の中の限られた時間、広大な中の限られた世界、その中で、ゼフォンはザヴィドと過ごす道を選んだ。
 ついぞ、ゼフォンの目じりから溢れた雫が、ぽとりと落ちた。綺麗な泪だった。そしてザヴィドは、決意をした。

「最後まで、支えてやる。最期まで、傍に居てやる。それでいいのだろう」

 頭をくしゃりと撫でる。柔らかかった髪は少し荒れていたけれど、温かかった。ちゃんと、生きている温かさだった。
 ここからは、刻んで行こう。生きている記憶を。泣いて、笑って、触れて、話して、その一つ一つを、忘れないで行こう。

「ありがとう、ザヴィド」

 ゼフォンは、涙を拭いて、笑った。晴れやかな笑顔だった。





 どこへ続いているのかすら分からない道を、二人して歩く。この先は、結界の解けた外界だった。おそらく誰も、まだ越えていないだろう。
 この道は、かつて……そう、ざっと三百年前に、越えてきた場所だった。逃げてきた道だった。つまり、この先は――

「お兄さんに、僕の故郷を見せてあげるよ」

 そう言ったゼフォンは、いつもの食えない顔で、隣の顔を見上げた。意地が悪そうに見えるのだが、ザヴィドには既に慣れたことだった。

「残っているのか?」

 淡々と聞き返すと、ゼフォンは肩を竦めて見せた。これでようやく、いつもの調子だ。

「さぁね。けれど文明はここより発達していたし、それに残骸くらいは残ってるでしょ。道は忘れていないから大丈夫、きっと誰よりも早く着けるよ」

「……急ぐぞ」

「えー、急ぐの? やだなぁ歩き詰めはしんどいよ。お兄さん引っ張ってよー。それかほら、おんぶでもいいよ」

「へばったらな」

「っ!! さっすがお兄さん、優しいなー」

 たわいない会話が、幸せだった。きっと、もう少しだけ続けられる。まさかもう一度、こうやって隣に立てるなんて――その事に、感謝した。友に、感謝した。

――ねぇ、レネフェリアス。
君の守った世界から、君の夢見た世界へ、行ってくるよ。
世界はこんなに綺麗で、そして残酷だけれど。
僕たちが守って、苦しんで、見つけた答えは正しかったと言えるように。
君が消えた事も無駄なんかじゃないと証明するために、一歩を踏み出すよ。これは君の一歩でもあるんだね。

原初の闇で、再び君に会える時に、沢山土産話ができますように――


 二人の並んだ影が、長く尾を引く。
その道の先は、まだ見えないけれど、どこまでも続いていた。











【あとがき的な何か】

 まず初めに、ここまで読んで下さった方、ありがとうございました!
私にしてみれば長い時間をかけて、ちょこちょこ書き進めて来たもので……ようやく思い描いていたラストに漕ぎ着けれたと、ホっとしています。

 ずっとずっと、ザヴィドとゼフォンの馴れ初めを、そしてこの結末を書いてあげたくて、でもゼフォンの一番大切にしていた行動原理でもあるレネフェリアスを疎かにもしたくなくて……要するにこの最終部分が書きたくて、ゆっくり歩んできた感じです。

 テーマは特にないのですが『それぞれの大切なもの』と『幸せ』といった感じでしょうか?特に幸せは一人ひとり違うもので……中には「別に幸せにならなくていいし」みたいな奴も居て、そこからのスタートでした。

 また、心に思い描いたそのものを『読みやすい言葉』にして表現すると言う技術が、私はまだまだ未熟で、何度も躓きました。頭を抱えまくりましたが(笑)ようやくここまで来れました。矛盾とかあっても、もう見て見ぬふりしてやって下さい。あと地雷だった方、居たら申し訳ないです。絶望に突き落として、ちょっとだけ拾い上げるというのが私のスタンスなんです。

 これでザヴィドとゼフォンの話は一区切りつきました。続きの話も書こうかな~と思った時期もありましたが、とりあえずはここまででw
また書きたくなったら書いてると思います。暫くはちょっと忙しくて……

では、あとがきまで読んでくださってありがとうございました!

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