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神よ、あなたの世界は 3(幻水紡時 レネ様過去捏造)

神よ、あなたの世界は 2 の続きです。










【そしりを受けつつも】

 枢機議院では既に新聖皇即位の話は広まっていた。レネシアが聖皇に即位する。聖皇自らによってその議題が真っ先に振られたからだ。議院の反応は、それほど驚かなかった。どうやら聖皇が元から、次期聖皇の選定についての噂を流していたらしい。枢機議院の承認は、逆にレネシアが驚くほど早く、一日で降りた。
 民衆は、新たな王を望んでいる。このままでは不安や混乱を抑えきれない。枢機議院もそれを薄々気づいていたのかもしれない。
 新聖皇即位、しかもそれが先の戦いで神の名を与えられた『レネフェリアス』となれば、一時的だろうが民衆の支持や士気はあがる。それにかこつけて、移住を行なってしまえというわけだ。
 そして、元聖皇である聖クレオブロス卿は、最後まで国に残り民衆と共に在ることをここで告げた。残っても救われる。生きる者たちへの糧になる。その象徴として。これで混乱は最低限に留まり、移住できる能力のある者の故郷への未練を断つ事ができるだろう。未来を掴み担うものと、残留し過去となるもの、その二つに綺麗にわけてしまうというわけだ。
 しかし、レネシアの計画はそれだけではなかった。新たな聖皇として、そして司祭枢機卿として、声をあげた。
「皆に聞いて欲しい事がある」
 枢機議員の目が、一斉に集まる。新たなる頂点の提案に、彼らは息を飲んだ。
「『人柱』の役を、私に務めさせていただきたい」
 ざわり、と場がどよめく。
 『人柱』の選定は、ゼフォンで決まったばかりだった。どのような副作用が出るかわからず、故に孤児であったゼフォンが適任であろうという決定が降りたのだ。
 それをわざわざ次期聖皇が崩し、自らが被るというのである。
「私は常々感じていた。人柱は激務になるだろう。自由を奪われるかもしれない。人としての生活を無くすかもしれない。だがそれを、まだ幼いとさえ言える少年に任せてしまうのは、道徳的、または倫理的観念に反しているのではないか――と」
 しん、とその場が静まり返る。
「ならばこそ、だ。私は人々を守りぬくために聖皇の座を望んだ。その役目こそ、私に相応しい。どうか、私に任せてはもらえないだろうか」
 鎮まり返っていた室内は、無音だった。皆、動くことすら忘れていた。言葉を吟味し、それが正しいかどうかだけでなく、今後どのような変化が生まれるのか考えているのだろう。けれど、それよりも空気が張り詰めていた。誰も、何も言えない。
 だが、はじめに聖クレオブロス卿が膝を折った。そして神に祈りを捧げるがごとく、レネシアに頭を垂れる。
それに続いて、一人の司祭が膝を折り、祈る。
 そして、もう一人。また一人。気がつけば、議会に出ていたほぼ全ての枢機議員が、折屈んでいた。
「我らが神よ、あなたの意のままに」
「聖皇陛下は、必ずや我らがお守りいたします」
「枢機議院の多数は、あなたの心に寄り添います」
 議院たちは口々に思いを呟く。それはまさしく、神が、聖皇が、ここに誕生したことを知らしめる光景だった。



 この日から、レネシアはレネフェリアスと名を改め、護衛がついた。情報が交錯する今、一人で出歩くことすら許されない。この程度の束縛は初めから覚悟していたことだ。
 そんな夜中、部屋を訪れたのは、ゼフォンだった。
 部屋に入ってきたきり、一言も声を発していないが、怒っているだろうことは容易にわかる。
「すまなかった」
 このような時は、素直に謝ってしまうのがいい。昔、ミュソン神父に言われた言葉の一つだ。
 ゼフォンは驚いたような顔をすると、すぐに怒りを露わにした。
「レネシアの馬鹿!!! なんで、なんで……僕をかばったりしたの!?」
「すまない」
 二度目の謝罪を口にする。ゼフォンが怒るなんてことは、端から見通せていた事だった。けれど、譲る気はなかったのだ。だから一言も告げなかった。告げればあっさり却下されただろう。そんな落ち着いたレネシアの態度が気に入らないのか、ゼフォンは怒りながらぽろぽろと涙を零しはじめた。
「君が聖皇になるのは、しょうがないってわかってる……だから許す。……けど! 君は『人柱』になんてなる必要はなかったんだ! どうして? どうして自分がやるなんて考えたの」
「すまない……」
「謝るんじゃなくて、理由を話してよ!」
 下手に知識をつけている子供の癇癪とは、怖いものだとひっそり思う。それでも、苦しんで泣く姿を見るより、今こうして泣きながら怒られる方がマシだとも思った。
「守りたかったからだ。人々もだが、何より君を」
「僕だって、僕だってそうだよ。やっと守ってあげられるって、君の力になってあげられるって思ったのに」
 レネシアはゼフォンに近づくと、少し屈んで目線をあわせる。癖のある蜂蜜色の頭に、手を乗せてゆっくりと丁寧に撫でた。
「私はね、ゼフォン。君がクロロスへ迎えに来てくれた時、嬉しかった。思えばあの時、既に救われていたのだ。とっくに報われているのだ。だから、次は私の番なんだよ。私が君を守る。君に辛い顔はさせたくないし、苦しい思いもさせたくない」
「僕だって……そうだよ」
 零れて滴る涙を、ゼフォンが無理矢理気味に擦り拭く。慌ててそれを止め、ハンカチで優しく拭いてやる。
「けれども、これから私には更なる困難が待ち受けているだろう。聖皇の座は、孤独で、冷たいのだろう。その時に、君がそばに居てくれたら、私はとても心強いのだが……?」
「そういう話し方、ずるいよ。僕は君の家族なんだから、ずっと一緒にいるよ。当然でしょ」
「ありがとう」
 にこりと笑いかける。こんな笑い方をできたのは、久しぶりだった。本当に、本当に嬉しかった。この子がいれば、どんな苦痛にも耐えられる、そんな気すらした。
 ゼフォンは、不意をつかれたような顔をすると、しょうがないとでもいうように、はにかみつつも笑ってくれた。
「君が自由に外を歩き回れないかわりに、僕がいっぱい外を見てきてあげるよ。それで毎晩、新天地のお話をたくさん聞かせてあげる」
「ありがとう、ゼフォン」
「寂しい時はずっと隣にいてあげる。レネシアが聖皇でいられるのは、僕のおかげってことになるんだからね!」
 なかなかに滅茶な物言いだが、あえて訂正はしなかった。
 その夜は、久しぶりに同じ布団で寝た。ゼフォンがこの教会に来たばかりの頃は、怖がったり寂しがったりするゼフォンとよく一緒に寝たものだった。今とて、まだ十三になったばかりの子供だが、もう怖がることはなくなったので、本当に久しぶりだった。
 この子を守る。当面その願いは届きそうだ。
 願わくば、この子の将来も――と祈りそうになって、はにかんだ。
 もう、神はいないのだ。神は己。守るべき、願いを叶えるべきは自分しかいない。誰も叶えてくれない。



 それから、新たなる聖皇の公表に二日を要した。公表と同時に国民には北西アタクトス地方への移住が求められた。楽園とは程遠いが、彼の地は最後の楽園と謳われ、力が残っているものはできる限り、山と砂漠を越えてアタクトスへ移って貰わなければならない。そのための物資は、できる限り国庫から解放された。
 砂漠を越えれば、人は新しい国で保護される。国は全ての情報を開示した上で、まさしく苦渋の決断であったかのように振る舞った。あたかも希望が待ち受けているかのように伝えられた計画を、民衆たちは大きな混乱もなく、受け入れた。それしか道がないことも、トクソンが陥落した時から噂となっていたのだろう。
 アタクトスへの出航は一週間後に決まった。決まればこそ、すぐに出立して『希望の種』を芽吹かせなくてはならない。その『希望の樹』が育ち、効力を発揮するには最低二ヶ月、十分な力を発揮できるには加えて一ヶ月近くかかるだろう。これも『希望の種』に『人柱』がリンクするからこその早さだ。
 即位式も一週間後に開かれる。アタクトスへの出航と同時に、それを執り行ってしまおうというのだ。そうする事により、レネフェリアスをより神格化させるのが狙いだった。
 苦行を乗り切れば、神のいる土地に行ける。神はそこで楽園を作り、人々を待ち望んでいる。
 その他の、病や老齢で動けない者は、元聖皇と共に生贄となるのだ。それは正義であり、悪ではない。これは人を生かすための、最後の聖戦なのだ。
 そう思わせなくてはならない。騙し切るのだ。レネフェリアスは胸が痛ませながら、この計画を全て受け入れた。






【楽園を求めるは】

 ついに、その日が来た。時間がない中、そして移住計画が急速に進む中、新聖皇即位式に関わるあらゆるものが装飾された。聖皇の乗る旗艦は白く塗られ、そこへ至る歩道には白の絨毯が敷き詰められている。聖皇の衣装も、過去に使われた伝統装束の中でも特に華美で豪奢なものが使われた。歩くには少し重いくらいだ。
 そんなレネフェリアスの役目は、その絨毯の上を悠然と歩き、途中で元聖皇のクレオブロス卿より聖皇冠を戴冠し、一言二言、言葉を告げて旗艦に乗り込み、出港まで甲板に待機する。それだけだ。
 旗艦には、研究施設の装置ごと『希望の種』も積み込まれていた。他、必要な物資や生活必需品も詰め込まれている。既に何度か物資輸送の船が行き来しているが、向こうでは食料調達がまだ難しく、毎回多くの食物が必要となるのだ。特に今回は様々なものが必要で、そのため大船団となっていた。護衛船を含め、十隻ほどの大型船がずらりと並び、その様子は圧巻であった。
 レネフェリアスにはあまり手持ちの荷物というものは存在しなかった。大切なものといえば家族くらいのもので、とりわけ持っていくものはない。ゼフォンはとうとう賢者へと位を上げ――歳が若すぎるおかげで枢機議員にはならなかった――そしてレネフェリアスの家族扱いで乗船する事が決まっていた。しかし、本当に血のつながっている父は船に乗らなかった。まだモーリュ教会の神父として、大司祭として、やるべきことがあるのだという。その代わりにルガトが同行することとなった。

 盛大な着付けが終わったレネフェリアスは、まさに一人で動けないような出で立ちだった。これで馬車に乗ってオムファロスの軍港へ行くというのだから笑えない。同行するゼフォンもそれなりに着付けられているのだが、そのゼフォンにも笑われてしまった。それでもなんとか、もだつきながらも馬車に乗ると、馬の嘶きと共にゆっくりと進みだした。
 とうとうオムファロスを出立する。もう二度とここへ戻ることはないだろう。見慣れた街並みを目に焼き付けておこうと外を見ると、軍港へは行けないがせめて一目見ようと街道にはたくさんの民衆が集まっていた。
「レネフェリアス聖皇陛下、万歳!」
「どうか我らに救いを」
「北へ行く我が子に加護を!」
 口々に叫ぶ人々に、祈りの祝詞を捧げる。せめて、彼らに安らぎが訪れますように。全てを救う力がない己でも、せめて支えになれますように。人垣は途絶えることがなく、軍港まで続いていた。

 オムファロスの軍港はかつてないほど熱気に満ち溢れていた。ものすごい歓声だ。出航は一般民衆にも公開され、遠巻きではあるが新聖皇の姿を見ることができる。そのため多くの民衆が詰め寄っていた。
 軍港はいつもより華やかに見えた。このような場所が華やかに見えるなど、どうかしている。まして今は戦時中だというのに。きっと少し前の自分ならそうやって切り捨てただろう。しかし人を騙すためには必要な工作なのだと、今は自分に言い聞かせる。
 厳かに見えるように、悠然と時間をかけて馬車を降りると、歓声がより一層強まる。聖歌隊の賛美歌や軍楽隊のラッパや太鼓の音が青空に響く。その中を、ゆっくりと進んだ。本心ではさっさと終わらせてしまいたいが、この衣装では早く歩くことは不可能だった。それに、民衆は歓んでいる。このために聖皇は存在しているのだ。
 歩んだ先には聖クレオブロス卿が静かに待っていた。いつもの柔和な笑顔は今も変わらなかった。この聖皇は常に微笑んでいた。それはきっと民たちの救いになったのだろうと、今ならわかる。表情が表に出にくいレネフェリアスにはできないことだった。
 音楽がフィナーレに近づき、人の声も次第に薄く消えていく。人々の声が消えるのを待って、クレオブロス卿が声をあげた。
「皆、今日はよく来てくれた。今、この時、新たな王がここに誕生する。彼の者はただの聖皇にあらず、神に認められ、神が降臨し、神と同化した真なる聖皇である。彼が造る新たな国は、必ずや神の威光と秩序により繁栄を約束されるだろう。皆は神の誕生に立ち会う神の使徒である。同時に神の力である盾であり矛である。神に感謝を、そして祝福を! 我らの新しい神を、聖皇を讃えたまえ!」
 わっ、と歓声があがる。その中、レネフェリアスはクレオブロス卿より聖皇冠を戴いた。既に頭には装飾がなされているのに、それに加えての聖皇冠は正直重かった。これが、この歓声分の――否、それ以上の命と信仰を預かる重みなのだろう。周囲を見渡すと、その人の多さに足が竦みそうになる。己にかけられた期待の眼差しの、なんと強いことだろう。深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。高ぶっている気を少しでも抑えたかった。そうして、右手を掲げると、また歓声は徐々に静まっていく。それでも、ここで退いてはいけなかった。再び息を吸い、声を張り上げる。
「我が愛する民たちよ。今、この世は沈みゆこうとしている。その穴の底は広く、そして深い。人の力で抗うには強すぎる闇だろう。――だが、私はそこから人々を救える力を持っている。人々を守れる力を持っている。私は約束の地で、その力を振るおう。そして待とう、皆が来るのを。必ずや導こう、神の国へ」
 民衆がどよめく、歓声に近いどよめきだ。
「どうか、絶望はしないでほしい。嘆かないでほしい。これは、人の存亡をかけた戦いなのだ。たとえ斃れたとしても、その屍は必ずや誰かの盾となる。人を救った魂は、必ずや楽園へと導かれるだろう」
 魔術で拡張された声が、空にまで響き渡る。この声はあの人垣にも届いているだろうか。
「我が愛する民たちよ。今こそ我らの意志と信仰の力を示す時だ! 聖皇レネフェリアスの名のもとに――オル聖皇国に栄光あれ!!」
 割れるような歓声が軍港に響く、大人も、子供も、青年も、少年も、女性も、男性も、軍人でさえ叫んでいた。最高潮にまで高ぶっていた。その高ぶりの中、おもむろに背を向け、歩み出す。歓声を背に受け、期待の声に包まれながら船へ上がっていく。
 厳かな鐘の音ように、汽笛が鳴り響く。出航の合図だった。レネフェリアスは甲板へ上がると、改めて民衆の前に姿を表した。彼らの声はまだ鳴り止まなかった。ゆっくりと岸から船が離れていく。海風が頬をなぞり、衣服や髪を揺らす。
 父の顔が見えた、いつも威厳に溢れていた父は涙ぐんでいるようにも見えた。それを見て、悟る。きっと父とは二度と会えない。父はアタクトスには来ない。父の性格を鑑みればそれは分かっていたことだった。『神に父はいらない』きっと、そう思っている。本当は泣きたかった。生まれ育った街を失うのを知りつつ離れ、そして父が死ぬのを知ってなお去らねばならない。けれど、堪えた。神が泣いてどうする。既に人としての幸せなど、失ったのだ。この出航は、終わりであり、始まりだ。それを忘れてはならない。


 アタクトスへの船旅は十日ほどを予定していた。天候は晴朗で、船旅としては申し分がない。その間も船員たちは休むことなく働いていた。やれ掃除だの、やれ整理だの、やれ魚を釣って保存だの、忙しない。陸に降りても忙しいのだろう。ただ体調を崩さないためにも、休息の時間はしっかりと確保されているようだった。

 レネフェリアスは聖皇としてさほど仕事は割り振られなかったが、その代わりにこの船中でしておかなくてはならない事があった。『希望の種』とのリンクだ。そのために研究機材を大量に積み込んだと言っても過言ではなかった。
 希望の種とリンクし、発芽するまで魔力を送り込み供給する。その過程で体の構造を『希望の種』寄りに変化させなくてはならない。それには賢者としてゼフォンやルガトも携わっていた。薄暗い広めの部屋で、その儀式は執り行われた。光はいらない、見えさえすれば問題ないからだ。節約も兼ねて、船中は暗い事のほうが多かった。
 厳重に封をされた容器から『希望の種』が取り出される。見るのは初めてだった。大きさは大人のこぶし二つ分くらいだろうか、薄暗い中でのそれは黒くさえ見えた。
「本当にいいんだね? レネフェリアス。今ならまだ、僕に変わることだって」
「いいんだ。さぁ、始めよう」
 特殊魔力剤で描かれた魔術陣の上で、『希望の種』を抱える。植物の息吹を感じた。意識を集中させ、魔術式を高らかに説く。なぞられるように陣が光り始め、魔力を種へと流しこむ。流れこんだら、その流れを固定化させる。
 ここより先は、己が『希望の種』と同化するのだ。痛くはなかった。ただ、急激に力を吸われていく、そんな気がした。これも同化してしまえば『共同体』になるため、過度に力を吸われることはなくなる。逆に云えば、こちらが負傷した時などは生命維持に力を貸してくれるだろう。それがリンクだった。
 これで人類は救われるのだろうか。いや、必ずそうさせなければいけない。力を貸してほしい。共に歩んで欲しい。そう語りかけながら優しく抱き込む。すると、不思議と種は温かくなって、何かがそっと心に触れた気がした。
 部屋に溢れていた光が、ゆっくりと収まる。おそらく、成功だ。体中の精気を吸われて少し目眩がする。だが成功した。何も言うことはない。ほっとしてゼフォンを見やると、今にも泣き出しそうな彼がこちらを見ていた。
「ゼフォン? 大丈夫だ、体に問題はない」
 ふるふる、と彼が首を振る。
「そうじゃない。そうじゃないよ……やっぱり……」
 そっとゼフォンが手を伸ばす。その指が、レネフェリアスの髪を一房掬った。濃い青色だった髪は、翡翠ような色に変わっていた。同化で色が抜けてしまったのだろう。
「瞳の色も……かわってる」
「おそらくは、同化の影響でしょうな」
「大丈夫だ。これくらい、痛くも痒くもない。たったこれだけの犠牲なら、相当安いものじゃないか。そうだろう、ゼフォン?」
 ゼフォンの頭をくしゃりと撫でると、その反動で雫がぽたりとこぼれていった。こうなるのがこの子でなくて良かった。言葉にせず、心の中でそう呟いた。

 その後、レネフェリアスは片時も『希望の種』から離れることはなかった。できれば、早めに発芽させ根を出さなくてはならない。出来る限りのスピードで樹へと育てなくてはならないのだ。そのために栄養のあるものを沢山摂ったし、たくさん休息もとった。『希望の種』と共に甲板へもよく出た。その甲斐もあってか、目的地へ着く前日、とうとう希望の種は芽を出した。






【神を名乗りて】

 開拓地アタクトスの玄関口は、湾状になっているその奥だった。波が穏やかで、船が海流に流されにくい。物資が海上輸送に限られているため、この地は好条件だったのだろう。北には森や沼地が広がっているようで土壌は豊かだった。西には高い山がそびえてみえる。南はケルソス砂漠へ繋がっているのだろう平野が見て取れた。
 テラスファルマは海を容易に越えることはできない。砂漠や高山も餌が少ないため越えてくるのに時間がかかる。沼地や平野は地形を有利に活かせば迎撃がしやすい。ここは守りやすい場所なのだ。
 降り立ってすぐ、希望の芽は埋められた。聖皇と側近用に、人が住めるであろう簡易施設が用意されていたが、他はまだ軍用テントやコテージが目立つ。開拓よりも、今は物資輸送の方が優先事項なのだ。
 アタクトスの気候はやや温暖で、皇都オムファロスよりも暖かく感じた。風が湿っているのもあるだろう、しかし重くはない。軽やかな風が吹いていた。ここが新大陸。残された人類はまさしくこの場所に根付き、生きていくのだ。そして自分が、彼らを守っていくのだ。
 開拓地アタクトス。その場所は、聖皇の到着により正式に皇都へと名を変えることとなる。聖都タクシス――それがこの地の、新たな名前だった。



 それから、聖都タクシスは目覚ましい発展を見せた。急速に家が立ち並び、簡易的にだが上水・下水や生活設備が整えられた。郊外には畑や農地、酪農地が開拓準備がされた。南では狼煙が焚かれ、砂漠を越えてくる民衆の道標とされた。続々と物資や人材は届けられ、新たな国は少しずつ造られ形をなしていく。それらをレネフェリアスは希望の芽を育みながら見守り続けていた。
 希望の芽は無事に根付いた。リンクしていたおかげで、慣れない土に根を張るのも、さほど困難ではなかった。『希望の種』作戦は、ひとまず成功していると言えるだろう。しかし、目標はもっと先だった。三ヶ月で、子供の背丈くらいは越えなければならない。そうしなければ、結界を生み出すに十分な力を回すことができないのだ。そのために、レネフェリアスは食べては眠り続けた。まだ足りない。リンクしているからこそ、それが理解できた。
 一ヶ月がたった。その頃にはそれなりに人々の生活も落ち着きを取り戻し始めていた。まだ簡易テントやコテージは見えるが、それでも軍人の大部分を収容できるまでになっていた。
 既に枢機議院は動き始めている。移住でその数は若干なりとも減っていたが、今でもその政治を司る機能は正常に働いていた。皇都に居た頃に続き、議題は山のようにある。開拓の指導や把握だけでいっぱいいっぱいだが、そのうち新たな法も考えなければならないだろう。枢機議院の議員は計画の立案から詳細の決定、視察や指導まで目を回しそうなほど忙しく働いている。本来、レネフェリアスはそういう仕事の方が好きだったし、得意としていた。なのに自分に与えられた仕事と言えば、食べて寝ることが先決で、少し面白くなかった。聖皇の仕事に面白いも面白くないも、ないのだが。
「レネフェリアス」
 議会が終わり、自室へ戻ろうしたところをゼフォンに呼び止められた。彼は議会には参加していないが、賢者の携わる研究などには参加している。発言はしないが、枢機議院に居合わせることは認められていた。聖皇レネフェリアスと賢者ルガト・ルガムを後ろ盾に持っている彼は、賢者の中でも強い発言力を持っているだろう。
「どうしたのだ、ゼフォン」
「希望の樹の部屋に帰るんでしょ? 僕も行くよ」
 枢機議院会は、長距離を移動できないレネフェリアスのために、隣室で催されている。芽が育ち、苗となり、成長するごとにいくばか離れられる距離も増えてきたが、それでもこの距離以上を離れることはできなかった。
 希望の樹の部屋は、天井が切り取られた簡易的な部屋だった。どのくらい大きくなるかわからないので、いつでも押し広げられるように設計されている。そのため、日中は明るく、レネフェリアスが日差しと空を感じられる唯一のところだった。
「あのね。話したい事があって……相談なんだけど」
 部屋に入ると、ゼフォンは言いにくそうに、ぽつりぽつりとつぶやく。彼がこのように言いにくそうにする時は、大抵良くない相談の時だ。
「聞くだけ聞こう、話してみなさい」
「うん。僕たちも……えっと、賢者のみんなね。みんなも、リンクしようかって話が出てて」
「何……?」
「勿論、樹の主はレネフェリアスだから、僕たちは補佐的に力を送り込むくらいしかできないんだけど。君と違って外にも出られると思うし、副作用も少ないと思うんだ。駄目……かな?」
「……駄目だ」
 思わず、即答した。ゼフォンの顔が曇る。
「と、言いたいが、希望の樹の成長を最優先に考えれば、私に止める権利はないのだろう」
「うん……」
 そんな事は、リンクしている自分が一番わかっていた。時間までに育てなければいけないのだ。早いのは問題ないが、遅いのは致命的なダメージを受けてしまうことになる。民を危険に晒す可能性があるのだとしたら、見栄は張っていられなかった。
「だが、一つ言っておきたい事がある」
「この樹は、リンク者の成長を止める力がある」
「っ!?」
「実際、私は今、体の時間が止まっているはずだ。成長も、老化もしない。寿命も止まるとなれば、長い時を生きることになるかもしれない」
「なんで、それを言ってくれなかったの? 大切な事じゃないか!」
「すまない、ここ最近まで確証が持てなかったのだ。補助的にリンクした者も、この呪いにかかる恐れがある。希望の苗にリンクするのは構わない、が……その旨を必ず伝え、了解を得てほしい」
 人によれば、不老不死というのは手に入れたい力なのかもしれない。その力が欲しくて、手を伸ばし滅びた者も山のようにいることだろう。だが、それはあくまでも栄華を掴み、平和の中にいるからこその感情だ。結界に閉じこもり、いつ人が滅びていくのかもわからない。いつ目の前が戦場になり、地獄になるのか、わからない。逃げようにも逃げられない。果てない世界は、ここにはないのだ。
 箱庭の中で、長い時を生きなければならない。それが幸せなことなのか、レネフェリアスには判別がつかなかった、もしかしたら不幸かもしれない。それならば、彼はここでゼフォンを止めるべきだったのだ。
 けれど、彼はそれをしなかった。今後続く孤独に、耐えられる気がしなかったからだ。後に彼はこの決断を悔やむことになる。
 そうして希望の樹に力を分け与えるため、もう数人の賢者が樹とリンクした。その結果、ゼフォンの蜂蜜色の髪も、ルガトの朽葉色の髪も白く色が抜けてしまったが、希望の樹は爆発的に成長した。
 その三ヶ月後、大人の背丈を追い越すほどに成長した『希望の樹』によって、聖皇国は結界を張り巡らせることに成功した。多大な犠牲をはらいつつも、人類はようやくひとときの平和を手にしたのである。



 それから数年後。
 レネフェリアスはテラスで風に吹かれながら、外を眺めていた。
 眼下には街並みが広がっていた。開拓はかなり進んでいるが、まだ建設途中の建物もぽつぽつ見える。それでも、区画整備されながら様式統一されて建てられた街並みは美しかった。
 その合間には行き交う人々が動いている。彼は、その粒のような大きさに見える人々を、じっと見つめていた。
「あんまり外に出られないから、ここに来たい気持ちはわかるけど。身体、冷えちゃうよ?」
「ゼフォンか」
 背後から声をかけられて振り向けば、そこにはゼフォンが立っていた。ここに来られる数少ない人物の一人だ。
「希望の樹と通じているから、滅多なことで病気にはならないとは思うけどさぁ」
 茶化すような口振りだが、別段連れ戻しに来たわけではないらしい。ゼフォンは隣へ来ると、先ほどまでレネフェリアスの目線の先にあったもの――眼下の街を見おろした。続いて、レネフェリアスももう一度街を眺める。
 活気に満ちた街並みの他に、遠くには新しく作られた道、そしてそれは地平線に吸い込まれるように細くなっている。あの先には、どんな世界があるのだろう。
「広いな」
「うん。――君の守ってくれた世界は、広くて、きれいだよ。君に見せてあげられないのがほんと残念」
「報告には聞いている」
 徐々に結界内の世界の探索は進められていた。どうやら人々が生きていくには十分な広さがあることが確認された。緑の深い森や豊かな土地だけでなく、雪降る山に、水が流れこむ川、乾いた砂漠、沼地、そして海。様々な人種が、己に適した土地を見つけられることだろう。
 その場所を実際に見ることは不可能だが、その道を選んだのは自分だ。
「それじゃあダメだよ。君が見てはいないじゃない」
 ゼフォンはそれが面白くないようだが、こうして土産話を聞ければ十分だ。何よりこの縛られた生活を強いられるのが、彼でなくて良かったと思う。やはりこの子は、青い空の下が似合う。その空の下で、様々なものを見て、体験し、そして心を動かしてくれるのであれば、言うことはなかった。
「あ、そうだ! あのね、新しい宮殿に庭を造ってもらおうと思うんだ」
「庭?」
「そう、庭園。お日様の光がいっぱいはいる明るい庭園。でね、そこに各地から色々な木や草花を持ってきて植えるんだ。すてきだと思わない? もし適応できなくとも、リンクしてしまえば枯れないしね」
 リンク――その言葉から、胸の痛む感情を拾い上げてしまい。レネフェリアスはすっと手をあげた。そのまま白くなったゼフォンの髪をふわりと撫でる。手触りだけは、前と変わらない。
「後悔はしてないよ」
「――私もだ」
 本当の事を言えば、ゼフォンを巻き込んでしまった事は少しだけ後悔している。けれども彼が、こうして笑っていてくれるのであれば、これ以上を望むことはないだろう。
「まだまだこれからだよ。僕が支えてあげるから、頑張ろうね、レネフェリアス!」
「ああ、この世界を守ってみせる。人々の命を、繋いでみせるよ」
「うん。いつか必ず、世界が開ける日が来るよ。そうしたら、あの地平線の彼方を一緒に見に行こう。また海を越えて、僕達の故郷に帰ろう」
 ゼフォンの言葉は叶わないくらいに、遠く儚い絵空事だったかもしれない。それでも、レネフェリアスは頷いた。






【畏れよ、我を】

 こうして、聖皇と賢者によって、結界世界は誕生した。
 聖皇国はレネフェリアスの神格化にともなって、国の名を風の神からとり、『アイオニア聖皇国』と改新する。民衆をテラスファルマから救ったのは、神と同化した聖皇であるという考えが広められ、これによりオル・フェリア教はゆっくりと、だが確実に名を忘れられていった。時を同じくして枢機議院も貴族議院に名を変えた。
 更に彼らは百年後に結界に綻びができることを知る。それは開拓が終わると同時に、要所の建設や物資の保存、武器防具の作成、武力向上、戦闘能力の強化を強いられる方策を取らざるをえない事を示していた。賢者たちはリンク技術を更に応用し、リファイアント化の技術を生み出した。未成長時の希望の樹は、その成長のために力を欲したが、成長しきった樹は逆にリンク者へ力を分け与え始める。その百万世界の力で、人体強化を施し、副作用と引き換えに強力な魔術を得るようになっていく。
 急激な時代の変化は、これだけでは収まらなかった。
 彼らは、希望の樹は百万世界の流れを汲み出す力があることも解明したのだ。――すなわち、希望の樹には時間遡行の能力がある。そうと知れるや『希望の樹』は『時代樹』へと名を変えた。だがこれは公表するには、あまりにも危険すぎる代物だったため、一般には公表されることはなかった。



 レネフェリアスが聖皇になっても、テラスファルマとの争いはまだ終わらなかった。そればかりか、人との対立も徐々に深まっていく。
 時代が移り変わり、人の心もまた移ろいていく。あやまちも恐怖も過去のものとなり、人々は伝聞すらも捨てる道を選んだ。
 そこへ取り残されたレネフェリアスは、少しずつ心を麻痺させていったのかもしれない。
 そうしながらも、聖皇レネフェリアスの絶対なる秩序の治世は、世代を交代していると見せかけながらも三百年ほど続く。
 後の歴史学者は、秩序の治世とは呼ばないのだろう。何故なら、彼を側面的にしかはかることができないからだ。
 三百年の歴史は、書物として残される事はほとんどなく、彼らの記憶に封じられたままで終わってしまった。
 それでもあの時、彼は滅び行く世界で、平和を願っていた。神に捨てられた人々の希望を守ろうとしていた。人が欲する救いの力に成り代わろうとしていた。
 少しずつ、少しずつ、歪みが生じていく、その時まで。



 これは、そんな彼がまだ若かりし頃の記憶。
 伝えきれなかった、希望と絶望と、神を信じた者達のお話。




Fin




以下どうでもいいあとがきです。





長い話を読んで下さりありがとうございました。
この話は紡時をクリアして暫くしてから考えていたものでしたが、正直長すぎて、しかも捏造だらけで、妄想で終わらせておこうと思っていました。
文字書きの端くれですが、そこまで自分の文に自信がないので(笑)本を出そうと決めた後も悪戦苦闘しまくってフォロワさんにもずいぶん迷惑をおかけしました。
書けない時はほんと書けないし、自分の文は稚拙だし、話も構成も本当にコレでいいのか、何が面白いのか、読み手さん(買い手さん)に金を出してもらえるほどの価値なんてあるのかとか、ずっとぐるぐる考えていたものです。

一年たって、ようやくこうして一般に公開するふんぎりはつきましたが、未だにちょっと恥ずかしいです。
が、もう誰にも読まれることはないんじゃないかなって思うと、せっかく書き上げたのに勿体無い気もしてですね……勿体無い性ですね(笑)


話の方は本当にもう稚拙で厨二病を患いすぎた感じで……ひええ。
お気づきの方もおられるでしょうが、FF11からプロマシアミッションの章タイトルを借りたり
流血女神伝最終巻の構想を一部取り入れたりしております。
書きたかったのはレネ様が神に裏切られて神になるまでのお話なので、後半かっ飛ばした感もあるんですが……まぁいいかと今では思ってます。

紡時はちょっと語られなかった謎な部分が多すぎて、勝手に妄想補完しておくしかないなーっと、こうやって捏造かましまくってきましたが
この作品と、この後に続くザヴィゼフォ連作(気づいたらそうなってた)の最終話で私の書きたい事は大体書き終えました。
もし大丈夫であれば、最後までおつきあいいただければ幸いです。

支えてくださった方、読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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