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神よ、あなたの世界は 1(幻水紡時 レネ様過去捏造)

一年前の三都(幻水オンリーイベント)に出したレネ様過去捏造本です。
今後、陽の目を見ることはないだろうと判断し、こちらに上げることになりました。
自分で読み返すとまだまだ稚拙な感じがして赤面モノなんですが、少しでも誰かに楽しんでいただければ幸いです。
以下、本に書いてあった注意書きです。

・この話はオリジナル要素を多分に含んでいます。
・原作に準じていないほぼ全ては執筆者の捏造・妄想です。









神よ、あなたの世界は






【プロローグ】

 この世界は、信仰に溢れていた。
 神を知り、神を学び、神を信じ、神を語る。生活のあらゆる場所に、それは存在していた。
 『オル聖皇国』それがこの世界の半分以上を占める巨大国家の名だ。大いなる天神オル・フェリアを唯一の神とし、国教と定めた宗教国家でもあった。
 この国は聖皇が国の元首を務めている。聖皇は世襲する代もあるが、必ずしもそうとは限らず、また賢者や司祭、枢機卿が大きい発言力を持っている。更に、神の名の下に正義の剣を振りかざす軍事国家でもあった。徹底的に追い詰めて廃絶させ、そして同志を優遇する。宗教とは、そういうものだ。他の信仰と交わることはない。だが、一つこの国が、他の国と異なる点は、その寛容さにあった。
 同じ信徒には種族や文化に拘らず、必ず平和が約束される。外面だけでも改宗さえすれば、異教徒さえも受け入れた。
 改宗は、人の信条を左右する。そのため容易なことではない。けれどこの国は、その絶対的な軍事力と技術力を盾にじわじわと領土を広げ、今では世界で一番広大な領土を持つ大国にまでなった。

 彼はそんな中、高い地位につく枢機卿の息子として生を受けた。
 繁栄を続ける国は未だ衰退の影を見せることはなく、その平和が約束された地で、彼は敬虔な使徒として――また、聡明な学徒として育った。その才能は神官としても学者としても高く、若くして彼は研究学者となる。それは、あまりにも順序良く進み、まるで変化のない『綺麗に舗装された道』であるかのごとくに見えた。

 だが、世界は違った。
 ここ数年、常に戦争はどこかしらの辺境で勃発していたが、その程度でこの国が揺らぐ事はなく首都やその近郊の街にしてみれば、些細な事だった。
 戦いなど遠い遠い場所での出来事で、どこぞの部族や小国が、何を理由に、何故戦っているかなど興味すらなかった。
 正義は我が神にあり。神の理こそが全てで、世界であり、生きる道だった。
 そんな世界で、彼は育った。

 どこかの小国で、伝承に残る『宿星』が現れたらしい。

 それを噂で聞いた時、胸の鼓動が早まったのを彼は覚えている。過去に幾度となく現れ、超人的な力を振るったとされる宿星。その力は、現在進められている様々な研究に深く関わるものであったし、それを解明できれば、この国は更なる進化を遂げる事ができるだろう。
 魔術の力を礎にした聖皇国の技術は、近隣の国々から見ても高い水準にあったのだが、学者達は勿論のこと、国は更なる技術の進化を求めていた。
 『宿星』の力を間近で観察し、そしてそれを研究したいと望む熱心な学者達は、こぞって戦地へと繰り出していった。その時「彼」は司祭の務めを果たすために皇都を離れることはできなかったが、研究者達がその報告を持ち返るのを心待ちにしていた。
 これで、きっと人類は新たなる力を手に入れる。人々はもっと豊かになれる。神の説いた楽園がこの世に造られるに違いないのだ。
 ところが届いた報告は凄惨なものだった。
 我々の国の民は、すべからく神の使徒だったはずだ。
 だが、学者たちは研究者だった。学者たちは神の使徒である前に、研究者だった。
 宿星の一人を捕らえたらしい彼らは、人で実験を行った――らしい。と、いうのも既にその場に居合わせた者は、誰しも帰らぬ人となり、噂だけが残ったからだ。
 力が暴発した。世界に流れる、または世界の力そのものと言われる『宿星』の力は、何らかの形で大暴走を引き起こし、そして瘴気を撒き散らした。そこから、異形の存在が生まれた。見たこともないカタチのその生物は、植物を食べ、動物を喰らい、そして人までも飲み込んだ。見たこともない遠くの地では異形の影が数を増やし、そこへ続く辺境までの道は全て封鎖された。
 この件は、民には伏された。事を知る誰しもが、一時的なものですぐに収まるだろうと思っていたのだ。
 しかし、事件は収束しなかった。増え続けた化物は、封鎖された街道をやすやすと突破し、そこを起点に世界を侵食し始めたのだ。
 ようやく深刻な事態だと気付いた聖皇国は、すぐさま地方に散らばる皇国直属の軍隊の半数を招集し、出陣させた。また、各都市や街村に厳戒令をしいた。この時になって、初めて国の民は世界が脅かされている事を知ったのだ。

 世界が、試されようとしている。
 研究者が侵した領域は、神の領域だったのかもしれない。これはきっと、神の怒りで、我ら信徒に裁きの炎が下されるのだ。
 故に信徒たちは祈らねばならない。許しを乞えるまで、祈り続けなければならない。オル教は、そう説いた。それを人々は信じた。

 そうして、二年の歳月が流れた。






【鍔音やむことなく】

 その日も、空は晴れていた。まるで、遠くの地で戦いが起こっていることなど、何かの嘘のように、聖皇国は今日も晴れ渡っていた。
 モーリュ教会の聖堂では、ステンドグラスから零れた陽の光を全身に浴び、一人の青年が膝を折り熱心に祈っていた。深い海色の長い髪が地に滑り落ちているが、気にする素振りはない。
 今日も一日、神に愛されし全ての信徒が健やかでありますように。早く神の怒りがおさまりますように。
 あの災厄が世界に訪れた日から、この祈りを欠かした事はない。それは既に習慣となっていた。
 その時、背を向けている扉が勢い良く開かれた。その音に彼はゆっくりと振り返る。そこから入り込む逆光で、一瞬誰なのかわからず眩しそうに目を細めるが、飛び込んできた蜂蜜色の髪を見て肩の力を抜いた。
「レネシア!」
 立ち上がった青年に、勢いよく駆けてきた少年が飛びつくように抱きついた。それを青年レネシアは優しく受け止める。
「どうしたのだ、ゼフォン。やけにご機嫌じゃないか」
 ゼフォンと呼ばれたこの少年は、三年前に父に拾われて来た戦災孤児である。おそらく、聖皇国との戦いに巻き込まれた部族なのだろう。聖皇国の民には希少な薄めの蜂蜜色の髪に、透き通ったエメラルドのような瞳、そして褐色の肌をしていた。
 レネシアの父である大司祭ソロンはそんな彼を引き取り、家でもあるモーリュ教会にて保護し、そしてここまで育ててきた。今では家族の一員であり、一人息子であったレネシアにとっては弟のような存在になっている。
 この国では、例え孤児であっても、人として当たり前の生活と権利、そして子供には教育が約束される。それがこの国が高い生活水準と文化力を持っているという証拠でもあり、そんな国の方針に守られるかたちで彼は家に来たのだった。
 そんな生活の中、この少年は目覚しい能力を開花させた。
 たった一年で、言語や神の言葉、様々な基礎知識を吸収した。二年目はレネシアが高等教育で学んだ範囲に到達するようになり、ここ最近は更なる高みを目指していた。探究心が強く、知識欲が強い。一度学んだ事を忘れることはなく、飲み込みが早く、それでいて計算力に優れ、そのひらめきも冴えていた。

 神童。

 一部ではそう囁かれているのも知っている。モーリュ教会の跡継ぎでもあり、大司祭の息子であるレネシアを慮ってか、彼の才を良しとしない声も聞こえたが、自分にとって弟のような存在のゼフォンが褒められるのは素直に嬉しかった。
 それにゼフォンはまだ子供だった。現に目の前の彼の目は、歳相応にきらきらと輝いている。
「聞いてよ、僕、賢者候補にあがることになったんだ!」
「は?」
 だがしかし、末恐ろしいと思う事もまちまちである。今日の報告はなかなかに強烈だった。目の輝きは歳相応でも、飛び出す言葉が歳相応ではなく、レネシアの口からは間の抜けた音が漏れる。
「ターレス院教授の研究室にある本をしらみつぶしに読み漁って、なかなか面白かったから論文を書いて提出してみたんだけど」
「ターレス卿は、なんと……?」
「ううん、二、三質問はされたよ? 本の内容は全部覚えているのかとか……論文は本当に僕が書いたものなのかとか……あ、あと打開策を考えられるかとか」
 ターレス卿は、異形の生物――テラスファルマという名がついた――を研究し、対策を練るために抜擢された生物学や力学に精通している学者だった。信仰心は人並みだが、その知能の高さを買われて賢者にまで上がった、知の象徴たる人物だ。
 その彼を唸らせるとは末恐ろしい弟だと、レネシアは心のなかで苦笑する。だが、やはりなんだかんだで、可愛がっている弟分が優れているというのは誇らしいものだった。親馬鹿心理というのはきっとこのような感じなのだろう。
「そうか。よくやったな、ゼフォン」
 くせのある髪をくしゃりと撫でてやると、ゼフォンは得意げに喜んだ。やはり、こういう所はまだまだ歳相応だ。
「私からも報告がある。あまり良いものではないかもしれないが……」
「なぁに? 異動とか、降格とか?」
「似たようなものかな? 神官位は上がるようなのだが……次の出撃部隊に従軍し、神殿監察官として前線近隣へ赴く事になった」
「それって……」
 ゼフォンの顔が少し曇る。できるだけ安心させるために、レネシアは微笑んで見せた。
「大丈夫だ、私は前線で戦う事はしないよ」
 あの怪物が現れてから、聖皇国の軍はじわじわと撤退を余儀なくされていた。聖皇国軍はおろか、人が住める土地は少しずつ切り取られている。場所によっては、己の領土を焼き払いながらの撤退もあった。事態は最悪だった。
 ただ、あの怪物は食べるものがある限り、長い移動はしない。そして、長く海を越える事はなかった。
 そのため、聖皇国軍は今、東にあるトクソン大要塞にて鉄壁の防御陣を敷いていた。かの場所は、本来は蛮族を領土に踏み込ませないための防衛ラインの一つだった。
「だが、おそらく暫くは戻れないだろう。すまないな。留守は頼んだよ」
「うん……レネシアは剣なんか持ったことないんだから、絶対危ないことはしないでよ?」
「わかっている」
「バケモノが近くに来る前に、全力で逃げて来てよ?」
「大丈夫だ、私は神殿監察官として赴くのだからね。軍の者が背徳行為をしていないか見張ったり、戦死した者を弔ったり、怪我をした人を看病したりがお仕事だ。安全だよ」
「そんなことは知ってるよ……でも、危険な場所にかわりないじゃない」
「そうだね。とりあえずの任期は二年、その間にゼフォンはあのバケモノを懲らしめる魔法でも開発しておいておくれ」
 冗談を添えて、蜂蜜色の頭を撫でると、ゼフォンはかろうじて小さく頷いた。



 トクソン大要塞への行軍は、聖都オムファロスを出発してからおよそ半月を要した。単騎で駆ければもっと早く着くが、この度は兵糧や武具の輸送も含めたものだったので、そうもいかなかった。
 レネシアは司祭枢機卿として従軍するというかたちではあったが、与えられた役割が神殿監察官であったため、他の指揮官よりもかなり優遇された。
 神殿監察官は、軍に属さず個別に権限を持つ。高い地位にあれば、その場で指揮官の変更や解任、また軍の細かなことまで神の名の下に指導をすることができる、言わば軍上層部に近い存在だった。
 戦時においては、軍の非行や蛮行、神意にそぐわない行為を報告し、即時に処断できるなど、軍を戒められる能力を持つ。同時に戦時中の兵に神の言葉を説く移動神父の役割も担う。本来ならばやっかまれるような存在である神殿監察官が問題なく力を発揮できるのも、全てこの国が信仰で出来上がっている国だからだろう。
 特に戦死の可能性を秘めている兵士にとって、すぐに神の祝詞を賜われる環境というものは、聖皇国とオル・フェリア教の結びつきを考えれば、その心を安らがせるには絶大な力を持っていた。
 しかし、今回の敵は人ではない。無数に押し寄せる異形の影だ。対人ではない故に、非行や蛮行の監視が目的とは考えられなかった。
 すなわち、今回の目的は後者である。司祭枢機卿のような高位の神殿監察官を派遣するという事は、それだけ戦況がひっぱくしていることを表していた。
 兵士たちの精神安定剤、といった所だろうか。
 故に、同行していた兵士達は、忙しなく厳しい道程だというのに、よく神の言葉に耳を傾けてくれた。それに応えられるように、レネシアは熱心に説き続けた。
 その兵達に説く言葉は、彼らの魂を救う。そう、信じて。

 トクソン大要塞は、扇状に展開した高い城壁を持つ、堅牢な砦であった。南半分は早い海流で有名なレイク海に面しており、逆の北側は、人はおろか動物すら登らないと言われる永久凍土の山脈がそびえている。その間に存在する、唯一の東へ通じる道さえ封じてしまえば、人どころか魔物や動物すら入ることができない。自然の要地だった。
 更に、北には武器や防具、工具で発展してきた、工業都市アイトーン。
 東には大小様々な農村が広がり、食物が流通する中心に広がる大規模な商業都市モロス。
 そしてすぐ南には、レイク海に面した軍港都市クロロスが存在しており、皇都オムファロスから海運を可能としていた。
 この好条件により、トクソン要塞は物資が枯渇しにくい特性を持つ。ここが破られさえしなければ、聖皇国は耐えしのぐ事ができる。
 誰しも、そう願っていたし、信じていた。ここは聖皇国の民が生きる残るために、全精力が注がれている要地だった。

 レネシアは戦う術を持たない、神の使いだ。
 けれど、トクソン大要塞に着いたその日、真っ先に戦場視察を申し出た。高い城壁を持つ要塞は今のところ安定しているが、定期的にテラスファルマの大軍勢が押し寄せるらしい。城壁を伝うほどの数さえ押し返してしまえば、暫くは小規模な戦いしか起こらないと言う。
 その日に見た戦場は小規模なものらしかった。といっても、レネシアにとって、その異形を見るのは初めてだ。異形の種類は様々だった。二足歩行のものもいれば、四足歩行のものもいた。小さいものから、大きいものまで。中には羽のようなものがついたテラスファルマも。軟体動物のようなものもあれば、体が鱗や殻に覆われているような個体もあった。
 そこには幸い、人の遺体はなかったが、テラスファルマの遺骸や、それと思わしきものは、城壁の外に山ほど転がっていた。
 それを貪ろうと寄ってくるテラスファルマを、弓兵が城壁から射抜く。または魔術で焼き払う。小規模な時は、そんなものらしかった。肉が焦げたような臭いや、腐臭に近いものが漂っている。おそらく、噴き出る瘴気も。
 けれども、あの遺骸は、敵の侵攻を妨げるには有効なのだろう。あの化物は、ただ食べるものを求めているだけなのだから。

 それらを、レネシアはつぶさに見続けた。これは人の過ちだからだ。同志が失敗し、生み出された人類の敵。テラスファルマ。
 おそらく、あの化物には星の力が流れているのだろう。人が手を出してはいけなかった禁忌に、触れてしまった。
 だが、だからといって、他の敬虔なる神の子らが、等しく死で償う必要はないのだ。

 神よ。

 レネシアは目を閉じて、膝をつき、祈った。まだ陽は高いというのに、神の象徴が大地を照らしているというのに、既にここは地獄だ。

 神よ。
 太陽に在りし我らの父よ
 願わくは、我らが人に許すごとく、我らの罪を許したまえ
 我らを悪より救いたまえ

 レネシアの滞在する場所は、厳密に言えばトクソン大要塞ではなかった。この要塞には、穏やかな生活空間は無いに等しかったし、もしテラスファルマに呑まれてしまった場合、取り返しのつかない事になる。そのため、別の場所を案内された。
 せめて己の身を守ることができるのであれば、この場所で戦う者の心を励ましたかった。しかし、戦えない者がこの要塞でどれほど足手まといになるのかは、言葉にされなくても肌で感じることができた。
 この要塞の兵士達は、常にここにいるわけではないらしい。数日に一度、周囲の都市へ気晴らしに出たりすることも許されているようだ。つまるところ、レネシアはその場で祝辞を捧げれば良いのだ。
 そうして案内された都市は、レネシアにとって、少し懐かしい場所だった。
 軍港都市クロロス。この場所で、レネシアは少年期を過ごしたことがある。軍港都市と、物騒な肩書きがついているが、あくまで海を伝って辺境での行軍や物資を輸送したり、首都である皇都オムファロスからの物資輸送を目的とするためであり、この近海で戦が行われていたのは遠い昔の話だ。
 周囲に豊かな資源を抱え、美しい海や丘を持っているクロロスの街は、偉人が別荘を持つような豊かな港町だった。
 南からの温かい風が入り込み、気候も温暖なためか、この一帯の人間は感情豊かで陽気だと言う。クロロスからは北東に位置する商業都市モロスも物資面では豊かだが、クロロスのような穏やかな気風は独特のものだった。
 レネシアはこの街が好きだった。三年で聖都オムファロスへ帰るところを、なんだかんだで半年ほど先延ばしにしてしまったくらいだ。
 そして、滞在先に選ばれたのは、その時に世話になったサイキ修道院だった。小高い丘の上にあり、クロロスを見渡せる修道院は、この周辺でも少しばかり広い敷地を持った大きな修道院だった。聖堂は特に立派で、光に溢れて美しく、巡礼や観光にわざわざ来る者もあったくらいだ。
 レネシアは、懐かしい坂道を歩きたくて、自ら馬車を降りた。御者と守り役に礼を言うと、ゆっくりと歩き出す。
 見慣れた光景。暖かくて優しい懐かしの潮風。高台から見下ろす、夕日がさしたクロロスの美しい街並み。胸を踊らせながら、坂を上がる。ゆっくりと動いていた足は、気づけば速度をあげていた。
「レネシア!」
 修道院が見えたところで、ふと名を呼ばれた。
 声がした方を見上げると、二階の窓から一人のシスターが顔を出していた。驚きに満ちたその顔はすぐに引っ込むと、暫くして入り口の扉が開く。
 現れた修道女は、かつて共に神学を学んだ同窓の門、シスター・セレーネだった。
「セレーネ、随分と久方ぶりだ」
「久しぶりね、レネシア」
 セレーネは、溌剌とした気立てのいい女性で、同じ屋根の下で学んで居た時は姉貴分のような存在だった。天涯孤独の身だが、それを気にしている風はなく、誰にでも優しく、人前では常に笑顔だった。修道女としては、少し快活すぎるのかもしれないが、彼女の明るさに救われる者は多いだろう。
 しかし、さすがにこの歳になると、お転婆だったところはなりを潜めるらしく、とても落ち着いて見える。細かな動作もあの頃よりも洗練されていた。
「嫌だわ、てっきり馬車で来ると思っていたものだから。あなた、歩いてきたの?」
「途中までは馬車だったよ。坂の下までは送ってもらった」
「そんなことをしては駄目よ、あなたはもう司祭枢機卿なのでしょう? 威厳というものを考えてくれないと……ほんともう、相変わらずなんだから」
 口調ではそんなことを言っているが、セレーネは言い終わる前にこらえきれなかったのか笑い出した。それにつられて、レネシアも笑みを浮かべる。
 思えば、ここ暫く笑ったことがないように感じた。この世界は今、少しずつ闇に蝕まれている。――それでも、まだ明るい世界が残っていた。ここがそうだ。その一つだ。
「おかえりなさい、レネシア。そしてようこそ、あなたのもう一つの家へ」
「ただいま」
 日が傾き、薄暗くなっていく中、修道院の扉が開く。そこから漏れる光は、とても暖かそうに見えた。
 この修道院での滞在期間は、予定ではニ年だった。そうなることも踏まえて、修道院内の序列が少しだけ移動したようだった。
 かつて神の教えを乞うたミュソン神父は高齢になり、元より形だけのものとなっていたが、滞在期間に限りサイキ修道院の最高指導者は、司祭枢機卿の位を持つレネシアに譲られた。といっても、朝の礼拝の祝詞や、婚儀、葬儀などの全てを司るわけでもなく。こちらも形式に近いものなのだろう。
 しかし、レネシアは高齢になったミュソン神父の負担が少しでも減ればと、それらの役も買ってでた。
 元は前線のトクソン大要塞からでる死傷者の弔いが主なのだろうが、暫く多くの死傷者は出ないだろう。あとは、朝夕の礼拝さえこなせば、何も問題はない。
 サイキ修道院には、神に身を捧げている者たちが住み込み働いている。昔のレネシアやセレーネのように、ここで修行を積んでいる若い修道士や修道女も少なからず居た。彼らを見ていると懐かしい気分になる。レネシアはあまり活発な子供ではなく、よくセレーネに振り回されていた。今だって気の強い彼女が率先して色々な事をカバーしてくれている。昔とは違ったが、彼女は良き姉のような存在だった。
 いつの日だったか、彼女に修道女になった理由を聞いたことがある。男性の司祭と違い、修道女は結婚をすることができない。シスターの道を選んだその時から、彼女は神のものなのだ。
「そうね、身を寄せようと思えば親戚の家があったわ。けれども私はこの街が好きなの。この街で、この街の人と、この街のために生きたかったの。本当は神様の子になるなんて、よくわからなかったわ。けれども、私をここに置いてくれる、その力が私にとっては救いだったのね」
 いつもながらサッパリした口調で言い切った彼女は、いつもと同じで晴れやかだった。この街は、そんな彼女に愛された美しい街だった。いや、きっとこんな美しい心を持った人が集まっているからこそ、この街はこんなに活き活きとしているのだ。
 クロロスでの生活は楽しかった。勿論、負傷者が出て看病に赴くことや、たまに戦死者の共同葬儀の祭司として呼ばれる事はあったが、それだけで多忙と言うわけでもなく、落ち着いた状況だと言えた。おそらく戦況的には悪くはないのだろう。対人戦を強いられるよりかは、はるかに死傷者は少ない。耐えるにしても、この付近の資源や物資供給能力は非常に高く、枯れる心配はなかった。この地はオル神の娘である豊穣の女神に愛されたと言われる場所なのだそうだ。
 特にクロロスの街は、幸せだった。少なくとも、レネシアには幸せに見えた。休養に訪れる兵士は一番多いらしく、たまに喧騒に包まれる事もあったが、基本的に穏やかな気風と神の教えが行き渡っている人柄ゆえか、血を見るような争いに発展することはなかった。
 この平和が続きますように。いつしか、レネシアの祈りにはこの一文も加えられていた。
 元よりこの国は、昔から戦争を続けてきたのだ。故に、戦うことには慣れている。戦うための軍需物資や、輸送ルート、兵員、戦術から戦略の構築に至るまで、高い水準にある。このまま行けば、戦いが終わるかもしれない。ここで暮らしているとそんな気さえした。人はこんなに活力に漲っているからだ。
――そうして半年が過ぎた。このまま行けば、粘り続ければ、きっと勝てる。それは確信に近かった。これまでもそうやって勝ち続けて来たのだ。神より課せられたこの試練を乗り越えれば、人々には楽園が約束される。今は少しだけ辛いかもしれないが、信じていれば必ず救われる。神の言葉はそう説いていた。






【礼拝の意味】

 その平和が破られたのは、そんな幸せが続くかに思えた、その直後だった。
「大変よ! レネシア!!」
 血相を変えたセレーネが、転がるようにして聖堂へと飛び込んできた。
 祈りの最中にこのような事は、普段なら絶対にするはずがないというのに。数人のシスターと共に、買い物に出かけていた彼女は、買い物袋も持たずに、髪も服も乱れていた。
「どうしたのだ、セレーネ。何が……あった?」
 慌てて駆けより、崩れ落ちそうな肩を抱きとめる。気丈なはずの彼女の面影は、そこにはなかった。
「レネシア……どうしましょう!」
「落ち着いて、落ち着いて話しなさい。どうしたのだ」
「トクソンの……トクソン要塞の城壁が、一部突破されたらしいわ」
「なに……」
 落ち着こうとしているのか、セレーネは大きく息を吸う。だが上手く吸えなかったのか、ひゅう、と震えた音がした。彼女はかぶり振ると、手で顔を覆いながらなんとか話しだす。
「すぐに、応急処置はされたそうなのだけれど、テラスファルマが入り込んでしまって……クロロスが……クロロスが……」
 セレーネを椅子に座らせると、すぐに様礼拝堂を飛び出す。開けた丘の上からクロロスを見渡すと、街の入り口付近で騒ぎになっているのが見えた。火柱が立っている。
 そこに、異形の影。数は多くない。だが、クロロスの自警団では少し分が悪いだろう。
 クロロスとて戦力を置いていないわけではない。海上に高い堤防を築いてあるクロロスだが、空を飛べるテラスファルマがごくたまに侵入してくる。長距離を飛んで疲弊したテラスファルマは、自警団の敵ではなかった。だが、このテラスファルマはそんな小物とは強さが違う。倒せない相手ではない。だけれども、倒すために必要な犠牲が大きすぎる。
 逃げ惑う人びとの悲鳴、手に武器を取る者の怒声。ここまで流れてくる血の臭い。それらに、足が震えた。握りしめた拳が痛い。流れる汗が冷たい。
 だが、坂下からシスターに抱えられて登ってくる人を見て、レネシアは弾けたように駈け出した。
 既に、負傷者は出た。そしてここへ運ばれようとしている。おそらく、医者には収容を拒否されるような、重傷者だ。それでも、神の使徒として、神の子らを見捨てるわけにはいかない。それは神の掟だった。
 修道院に戻ると、大声で人を呼び出した。
「怪我人が来る! すぐさま治療の用意を! 担架や包帯、薬は全て出していい!」
 震えていたセレーネも、ようやく強気を取り戻したのか、立ち上がった。一歩目はふらりとよろけるが、二歩目からはしっかりしたものだった。神の使徒として、神の子らを救う。それは彼女らシスターにも等しく課された掟だからだ。このような時のために、我々は存在している。
 幸い、修道院には、こういう時の蓄えは多めに備蓄されていた。綺麗に洗われたお古の布や、それを割いて作った、ありあわせの包帯。近隣で取れた痛み止めや、化膿止めの薬といったものだ。湯や綺麗な水もすぐさま用意された。
 怪我人が次々に運び込まれ、修道院はほどなくして血と汗の臭いに包まれる。おそらく、クロロスの入り口付近では人がまだ戦っていることだろう。それも忘れることにした。レネシアに戦う事はできない、レネシアには神の言葉を説くことと、少しばかりの治療と、介抱しかできない。けれども、今はそれを全力でするべきだった。
 それが残された、唯一の出来ることだったからだ。



 クロロスに入り込んだテラスファルマが駆逐されたのは、それから数時間後だった。
 既に街の病院では収容数を越えてしまったのか、次々と修道院にも人が運び込まれた。それは生きている者でなく、命が尽きてしまった者たちも、だ。被害は甚大と言えた。
 修道院の客間や医務室では足りなくなり、講堂までもを解放した。おそらく、正常な体に戻ることはできない者、力が及ばず息を引き取る者も居る。
 そんな彼らを、レネシアやセレーネ率いる修道士たちは懸命に介抱した。そして、その手を握り温めながら、神の教えを説き続けた。
 君は助かる、神が見ていてくださる。だから諦めてはならない。片腕がなくなったのは、神が与えたもうた試練なのだ。もし助からなくとも、それは必ずしも無駄なものではない。楽園へと導かれるであろう……と。
 信じるものが救われるのではない。救われたいがために、彼らは神を信じるのだ。それは願いであり、祈りであり、呪いだった。けれど、けれども。それでこの痛みや苦しみが、少しでも耐えうるものになるのであれば、やはりそれは神の力なのではないだろうか?
 そう信じて、救った。救い続けた。それもまた、ささくれた己の心を癒すものだったから。



 トクソン要塞の城壁が破られたということは、一気に戦況悪化へと繋がった。テラスファルマは不定期に多数で押し寄せてくることがある。これまでは城壁を最大限に生かし、撃退してきたのだ。すなわち、その一部分が破られたということは、その箇所が直されるまで人海戦術で対抗しなければならないということだった。
 修復作業をするにも、トクソンの城壁は、磨かれた岩壁の上に、硬質化させる魔術補強の塗装をかけてある特殊なものだ。その技術があるからこそ、突進を幾度と無く繰り返すテラスファルマをこれまで撃退し続けてきたのだ。それを直すには、常にテラスファルマを撃退しつつ直さなくてはならない。その分被害は格段に増え、負傷した兵はクロロスや近隣の街へ運ばれることになった。
 この事を受け、近隣の街にも兵力が割かれる事になったが、そのほとんどは街を守りたいがために志願した義勇兵だった。経験が浅く、軍の兵士には大きく劣る。故に、戦況は更に悪化の一途を辿った。
 目に見えるような瘴気と、重い空気。あの日から、レネシア達は修道院の外へ気軽に出ることすら叶わなくなった。負傷兵や戦死する者が、多すぎるのだ。次々と傷ついた兵士たちは運び込まれた。トクソン要塞に、彼らを収容するような場所はもうない。
 特に、修道院には軽傷ではなく、もうほとんど……そう、例えいくら時間をかけて治そうとも治らないような重傷の者が、運び込まれた。軽傷の者は街の病院へ収容されるのだが、そうでない者は、せめてもの救いを受けられるように……との事なのだろう。
 そうしてサイキ修道院は、一変して地獄のような場所となった。既に収容する場所もなく、聖堂までもが開放されていた。その床にも、絶え間なく敷布が敷かれ、そこに血の滲む包帯を巻いた患者が寝転んでいる。物資が底を尽き始めていた。
 シスター達が街中を駆け巡り、布を集めて綺麗に洗い清め、裂いて包帯を作っても、足りなかった。薬が足りず、アルコールで傷を洗うしかできない患者もいた。もう手遅れで、神の言葉しか届けられない者もいた。
 それでも、それでも。彼らは神の使徒だった。最初は泣きながら救護していたシスターも、次第に慣れて疲弊していった。しかれども、救いを求める者たちが、絶えることはなかった。



 それから、一ヶ月ほどがたった。もはや時間の感覚が失われており、正確な日にちはわからない。
 朝から歩きまわって礼拝を行い、事切れた者がいないか確認する。常に運び込まれる傷ついた者を受け入れつつ、昼は買い出しや介抱に費やした。夕方は決まって、死んだ者たちを埋葬するための詞を述べに、丘の上の墓地へ行く。一人一人、丁寧に埋葬してやることなど、既にできなかった。ただ、体が重なってしまわないように、そしていつか埋葬した者がわかるように、墓石に名を刻むことが精一杯だった。
 たくさんの命が消えていく様を、見た。涙はとうに枯れていた。涙を流すような力があるならば、今生きている人を救い、そして死にゆくものを少しでも慰められるように、尽力することに使うべきだ。疲労で倒れるシスターも出始めた。既に、限界が近いのだ。
 それでも、きっと耐えているトクソン要塞ほどではないのだろう。
「司祭様。私はもう助かりませんか?」
 両目を失明し、片腕を無くした青年が、嗄れた声で話しかけて来た。レネシアは腰を折り、彼の者の残った左手を拾い上げると、温めるように包み込む。
 この青年は、おそらく助からないだろう。傷が深すぎて、止血はしてあるがなかなか止まらない。そして、寒い夜を耐えられずに風邪を引いてしまった。おそらく、本人も助からない事に気づいているのだろう。
 けれども、レネシアは彼を慰めた。
「いいえ、諦めてはなりません。あなたの行いは、オル神がちゃんと見ておられます。ここであなたが諦めてしまってどうするのですか。例えその生が閉じようとも、オル神はその後に神の子を救いに来てくださいます。信じれば、必ずや楽園へ導かれるでしょう」
 すると、僅かにだが青年の顔に安堵の色が浮かんだ。たとえ両目が隠れていようとも、肩から力が抜ける感覚や、微笑んでいるであろう事はわかるのだ。
 この言葉は、本当に正しいのだろうか?ここに来て、そう自問自答する事が増えた。
 だが、この言葉で、消えゆく命が少しでも救われるならば。そのような考えが過ぎったその時、客間へと続く扉から、セレーネが顔を伏せて飛び出して来た。
「セレーネ、どうしたのだ」
 顔を見て、はっと息を止める。この凄惨な状況下にあって、一番気丈に振舞っていた彼女が、泣いていた。声をあげまいとしているのか、歯を噛み締めて、ぼろぼろと涙を流していた。ここで声をあげて泣いてしまえば、他の患者に影響が出る。それが理解できているからこそ、耐えているのだろう。それを察したレネシアは、彼女に駆け寄ると、袖で顔を隠しながら通路へと出た。
 礼拝堂を出て、人のいない井戸の近くまで来ると、セレーネは抑えきれなくなったのか嗚咽を漏らし始めた。
「レネシア、ごめんなさい。……わたし、わたし……」
「どうしたのだ」
「見て、いられなかったの。もう、殺してくれって……。あまりにも……苦しそうで、見ていられなくて。それで、わたし……」
 そこまでで、察しがついた。
「セレーネ」
「やっては、いけないことだわ。オルの教えに、反しているわ。絶対に、許されない……ことよ。けれども、わたし、見ていられなかったの。助けてあげたかったの」
 セレーネの肩を抱きしめると、細かく震えていた。気が強くて、お転婆で、けれど誰にでも優しくて、人々を救えるからこそシスターになったと言っていた彼女は、今はどこにもいない。
「ごめんなさい、レネシア」
「いいんだ」
「ごめんな……さい。わたし……」
「ここに咎めるものは誰もいない」
 子供をあやすように、セレーネの頭を撫でる。神の道理など、もうここでは通用しない。何故ならここは、既に地獄だからだ。
 痛みに苦しんで、苦しみ続けて、発狂する者や死を願う者は少なくなかった。故に重傷になるほど、奥へ隔離してある。
 神の意を教え、説いてきた修道院が、だ。
 震えて泣き崩れるセレーネを抱きしめながら、レネシアは虚空を見ていた。

 神とは、何なのだろう?
 何故、神の子らである彼らが、こんなにも傷つき喘いでいるのに、神は彼らを救わないのだろう。
 彼らのひたむきな信仰は、この時こそ報われるべきではないのだろうか?

 神よ、貴方は見ていらっしゃるはずだ。
 神よ、貴方には救う力がおありのはずだ。
 なのに、何故……毎日、毎朝、毎晩、祈るように、縋るように、祈る彼らを、見ようとなさらないのだ。

 冷めゆく彼らの指を、手で包んで暖めた。それでも、指が熱を取り戻すことはなかった。傷を負い、病に伏せ、空腹を堪えて、消えていく命たちを、ただ神の言葉を説きながら、見守るしかなかった。
 その言葉を信じた者たちが救われなくても、せめて心だけでも安らぐように。少しでも苦しまないように。
 いつからか、もう涙すら流れなくなっていた。既に枯れ果て、忘れてしまった。

 ここは、地獄だ。
 そこには神など、いなかった。
 そう、いなかったのだ。
 はなから、存在していなかった。
 例え、存在していても、神の子らを救うことができないなら、それはいないのも同然だ。
 神は、いない。我らを救う神は、いない。涙は、枯れ果てた。信仰も、枯れ果てた。
 けれども、神を信じた者達の死顔は、安らかだった。だから、レネシアは説き続けた。神への信仰を、神への祝詞を。神を呪いながら、神に失望しながら、それでも彼らの苦痛を和らげるために、騙し続けた。
 そうしていつしか、噂が広まっていた。かの修道院には、いかに傷つき絶望的な状態の者にも、健やかなる祈りと神の言葉をくれる神子がいると。
 例え、散りゆく命でも、彼に説いてもらえば、神の楽園へ行けるのだと。それは献身的に治療を続けて来た故の賛辞だったのだろう。実際に、なんとか回復する稀有なケースも存在したからだ。
 いつしか小さな噂は尾ひれがつき、拡大解釈されながらこの一帯を駆け巡った。その噂が、更なる傷ついた人を修道院へ招き、状況悪化を促した一因でもあったのだが、誰もそれには気が付かなかった。
 彼らは、畏敬と崇拝の念を込めて彼をこう呼び始めた。『オル・フェリア大神の憑依した偉大なる使徒』――レネフェリアス、と。






神よ、あなたの世界は 2 へ

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