【登場する人】
ナタク、太乙、雲中子
【CP】
ナタ乙のつもりだけどかすりもしない
【備考】
ナタクが太乙に大怪我を負わせてしまうお話。グロくはないけど流血注意。
きっかけなどと言うものはなかった。それは当たり前の日常だった。
『殺す』
いつもの言葉の通りに行動しただけだ。殺意があったかなどわからない。けれど、いかに力を出し尽くしても、これまで一度もあの防壁を破ることはできなかったから。
太乙真人の持つ世界最硬の宝貝。それを破ることが出来れば、自分は世界最強となれるかもしれない。そう常々思っていた。
故に、まるで挨拶の代わりだと言うように、帰る度に付け狙っていたのだ。
いつか超える。あの硬さを。だからその日もいつもの通り、全力で挑んだのだった。
暫くぶりに帰る仙人界の空気は澄んでいて心地良かった。吸い込むと清々しい何かが、身体の隅々まで行き届く。それを感じながら、移動速度を落とすことなく乾坤圈に力を込める。
不意をうてれば傷くらいはつけられないだろうか。あのへらへら笑う顔を思い出すと胸がむしゃくしゃする。少しは困ったり、慌てたりすればいいのだ。あいつにはそれくらいで丁度いい。
乾元山へ近づくといつもの黒い影が見えた。それに目掛けて、めいっぱいの力を放つ。
いつも通りのはずだった。
ここまでは。
次の瞬間、軌道を曲げながらも目標物へ到達した乾坤圈が土煙をあげて爆発した。
「!?」
震えが走る。全身の血液が急激に冷えて、そして一気に沸騰した。一瞬見えたその光景を、ようやく心が理解する。
粉砕した瓦礫が命中したのだ、目標物に……。
壊したかった最硬の宝貝は発動することなく、先に相手の身体を破片が貫いていた。
まだ土煙が立ち込めてうまく視認できない。けれど当たった。見えてしまった。
「お、おい……!!!」
慌てて土煙の中へ降り立つと、土埃の臭いに混じって血の臭いがした。己の宝貝で砕かれた床はごっそり抉られており、瓦礫が散らばっている。
血の臭いが濃い方を注視すると、うっすらと晴れゆく視界の中に、彼は横たわっていた。 勿論、血まみれで。
「おい!!!」
洞府を揺るがさんばかりの声に、何事かと思いながらも普段のペースで表に出た雲中子は、その光景を見て一瞬止まった。
「おいお前! すぐにコイツを直せ!!!」
空に浮かんだナタクの腕に抱かれているのは彼の師、そして己の腐れ縁である友だった。
血にまみれた彼はボロボロで、気を失っているのか手がだらりと垂れていた。
「キミがやったのかい?」
聞かなくても大体何があったのかは予想できそうだったが、外からの攻撃でないことだけは確かめておかなければならない。
雲中子の問いに、はっきりと頷いて返したナタクの表情は心なしか重く見える。
「そうか」
しかしそんな事に構っている暇はない。欠損している部分はざっと見たところないが、それにしても傷が深い。血がまだ止まっていないようだ。
「すぐラボに運んで。こっちの突き当たりを右にいった先の部屋だよ。私も、すぐ行くから! あまり揺らさないように、丁寧にね」
頷いて飛びゆく背中をすぐさま追う。途中で汚れていた白衣を脱ぎ捨てると、陽に干してあった白衣へと着替える。
「いつかやるとは思っていたけどね」
部屋から清潔に保たれている手袋とマスクを取り出し、それらを身につけながらラボへ急ぐ。事は急を要する事態だろう。今は、何も考えないでおこう。そう自分に心の中で言い聞かせてラボの扉を開けた。
あの師弟は特殊だった。
望まずに仙人の弟子にされ師匠と反目するということは、実はさほど珍しい事ではない。自分の所もどちらかと言えばそうだろう。
けれども、仙人骨を持つ人間はそのまま下界で過ごすと必ず災いの種になる。それをできる限り取り除く意味でも、仙人骨持ちは無理やりにでも誰かの弟子にならねばならないのだ。
それは本人のためであり、家族のためでもあり、人間のためでもある。
しかし、あそこは特異だった。何もかもがだ。
あのような前例はなく、故に彼……太乙真人も弟子への接し方に戸惑っていた。もとより、研究者たる我々は、あまり一般的な思考をしているとは言い難いので尚更だ。
だから、自分は何も言わなかった。言えなかった。
そしてナタクの心は反目したまま、幼いまま、力だけ強くなって成長した。
力は御せてこそ、本当の力になる。無意味に振りかざされた力は、力ではなく暴力というのだ。
子供や弟子はそれを知らない。故に大人や師が教えなくてはならないわけだ。時には子供や弟子が暴力に頼らないように武器を取り上げ、束縛し、諭さなければならない。
けれど、太乙にはまだその決心がつかなかったのだろう。彼の弟子であるナタクは戦うために造られた存在だからだ。本人も存在意義はそこにあるのだとそう思っているくらいに、その呪縛は強かった。力こそが絶対で、目的なのだ。
だから暴力であっても彼は否定しない。否定できない。その暴力から己の身を守って、そしてそれだけで許してしまう。それが存在意義なのだから、と。
また、味方を攻撃してはならないと叱っても、その力を取り上げる事だけは絶対にしなかった。それが存在意義だからだ。
けれども太乙には、その存在意義を心のどこがで否定したい気持ちがある。
彼は人間で、心があって、かわいい弟子で、他人を思いやることができるやさしい息子。ただの兵器ではない。造った本人が、誰よりもそう信じたがっていた。
そうして、大きな矛盾を抱えてしまった。
だからいつかこうなると思っていた。決して戦うことが得手ではない我々が、戦う技術を日々向上させていく武人に適うはずがないのもあるが、いつか心の矛盾が表に出て食い違いを起こす。
起こすときはきっと血を見るだろう。どちらが血を流すかも。そこまで読めていた。
結果を先に言うと、太乙は命を取り留めた。
止血をして、肉を開いて砕けた骨を取り除き、特殊な療法を施しながら穴の開いた身体を無理矢理繋いだ。
とりあえずは暫く絶対安静ながらも、後遺症は残らないだろう。壊された部分が脳や臓器でなく、肩や腕、脚であったのが幸いしたとも言える。
ただ失血が多かったので暫くは動けないだろうが、仙人であれば命に別状はないはずだ。
数時間ぶりにラボから出てくると、扉のすぐ傍でナタクが佇んでいた。
「……おい」
「おいじゃないでしょ」
「……あいつは、どうした」
魂魄は封神台へ飛んでいないから、死んでいないのは理解できているのだろう。だが目の前の少年は、明らかに焦っていた。
それを見て少し腹立たしいような意地悪な気分になったのだが、とりあえずは短く告げる。
「生きてるよ。ギリギリね」
「そうか」
「殺し損ねた……と、言うようには見えないけれど、気分はどうだい? スッキリしたかい?」
「……わからない。モヤモヤする。いつも以上に」
雲中子に言われた嫌味にも、ナタクは素直に答えた。その返答に彼が真に太乙を傷つけたい訳ではないことがはかり知れるが、煮え切らない答えに雲中子は面倒くさいと感じた。
「キミは自分の感情にはとんと疎いね。まったく、厄介だよ。太乙は君に甘いから絶対言わないだろうけどね、時間もあるし丁度いい機会だし、私から言っておいてあげるよ。ついておいで」
血に濡れた手袋を乱雑にポケットにツッコミながら住居へと向かう。
その後ろを黙ってついて来るあたりは太乙の言うところの「素直なところ」なのだろうか?と思いつつ、どうせ優しくなるならもっと別の所を考えろと心の中で悪態をつく。気分はあまり良いとは言えなかった。
部屋へ帰ると着ていた白衣を椅子の背中にかけて、疲れたかとでも言うように長椅子へ身を投げた。
部屋のドアの入ったところには、何をするでもなくナタクが佇んでいる。それを見て座れとも何も言わず、真っ直ぐに睨んで雲中子は告げた。
「さて、一応キミが太乙をここまで連れて来たんだし、明確な殺意はないというのを前提で話させてもらうよ」
傷を負わせてしまった事への後悔や反省はあるのだろう。だがそれだけで終わらせてしまうつもりはなかった。
この能なしの馬鹿が、心だけは死んでいないなら、前へ進むためにも言わなければならない。
「キミ、ちょっと太乙に甘えすぎなんじゃないの?」
はっきりと告げた。常々思っていたことだ。
「なっ!? 甘えてなど……」
「ないって言えるのかい?」
驚きながら否定するナタクに、追い討ちをかけるように聞き返した。本当に自分の足だけで地に立っているつもりなら、とんだお笑い草だ。
「まぁいいさ。あの傷ね、普通の人間なら死んでるよ。今回の施術も彼が仙人だからこそできたものさ。キミのお母さんや普通の人だったら耐えられなくてとっくに死んでる。これがどういう事だかわかるかい? キミにはそれほど簡単に人を傷つけて殺せる能力が備わっているって事だよ。それを手加減なしに解き放てばこうなるんだよ。全く、太乙がいないとまともに生きていけないのに何をやっているのかな、キミは」
ナタクは小さな声で、ぽそりと反論した。
「……望んでこうなったわけではない。あいつが勝手にやったんだ」
「そうだね。そうだとも。キミがそう言う反論をする事も太乙は解っているんだよ。そしてその事に、あれは酷く罪悪感を抱いている」
「罪悪感?」
「キミに申し訳ないって思ってるってことさ」
心など壊してしまえばいいのに。そんなものがなければ、研究者はいくらでも知を追求できる。けれど心を捨ててしまえば、きっと人ではなくなるだろう。
昔、太乙と語り合った事の一部だ。自分よりも彼は優しく情が深かった。
「キミの存在意義は戦うことだ。この激しい戦いが終わるまで。……否、終わっても続くかもね。けれど、あれは、キミにそれだけを望んでいない。わかるだろう?」
感じてはいないのだろうか。太乙がナタクに施すものは、あの母親とよく似ているものだ。ただの研究者ではない、そしてただの師匠でもない。生んだものとして、育む立場として、この宝貝でできた人間を見ている。
「太乙は、キミに人間であって欲しいと願っている。今はそれだけを願えないジレンマもあるだろうけど。それでも、ヒトとしての強さや優しさを、精神の成長を願っているのさ」
「勝手な話だな」
「だから、太乙は押し付けてなんかいないだろう? 間違いを叱ることはあってもね」
ナタクにはナタクの考える事があるのだろう。勝手に宝貝人間として生みおとされ、異質な存在として母親から引き離され、兵器にされて弟子として扱われるのだ。憤りもあるだろう。
けれどだからと言って、太乙の心情を盾にとるような事は許したくはなかった。
「そういう意味でね、太乙はキミのものなんだよ。キミは太乙に物理的に縛られているけれど、精神的には縛られていない。けれどあの子は、物理的にも精神的にもキミに縛られている。だからキミの望むことは不可能でない限り何でもするし、キミの言う事は何でも聞くよ。まったく、悪い親の典型だ」
「親じゃ……ない」
そう呟く顔は、暗く重い。このナタクでも、このような顔をできるのかと初めて気付いた。言い過ぎただろうか。けれどやめる気もない。ここで言わなければ一生言うこともないだろうからだ。
「はいはい。でもこれでわかったでしょう? 悪いことしたら『ごめんなさい』くらいは素直を言えないとね。それすら強要しないんだから、ほんともう」
親としては落第寸前だ。
自分のところは謝る大切さを教えなくても知っていたから必要なかったというのもあるが、それすらわからないなら一番最初に叩き込んでいただろう。
「何をしても自分の敵には絶対にならない。少し強気に出て脅せば何でも言うこと聞く、って思ってるでしょ? あれがキミの言うことを聞くのは、脅されているわけじゃないから。太乙の別の意識によるものだよ。だからキミは甘えてるって言ってるのさ」
「俺は、甘えて……いるのか?」
「あの子はキミに、絶対こういう事は言わないだろうからね。私が教えておいてあげるよ。今は理解できないかもしれないけど、いつか思い出して考えるといい。もう少し、キミに力を貸してくれる人を大切にするんだね」
ちらりとナタクの顔を見ると、思い当たる事でもあるのか、既に思案中なのか、明後日の方向を向いていた。何か考えるところが見つかったのならば、それで良いのかも知れない。
「はい、説教終了。理解できてもできなくでも、二度と言わないからね」
休めていた体を起こして立ち上がる。いつまでも無口相手にだらだら説教していたら、こちらまで心が腐ってしまう。
「あと、太乙は最低三日は面会遮絶の絶対安静だから、キミは家に帰りなさい」
こちらの言いたいことは大体言ったし、自分で考えたい事もあるだろう。さっさと追い出してしまうが吉だ。
「キミをここに泊めてあげるほど私は優しくないからね。家に帰って瓦礫の掃除してご飯作って洗濯して、自分でするべき事は全部自分でしなさい。そうしたら、きっと親の大切さもわかるだろうし」
太乙から、彼が家事や炊事に関わった事があるような話は聞いたことがなかった。丁度いい機会だ、学んでみるのもいいだろう。予期せぬ孤独というものも体験すればいい。一人で反省する場所も必要だろう。
「4日たったらここに来てもいいよ。じゃあね」
そのような事をつらつらと考えながらナタクの背を押して外へ追いやると、さっさと扉を閉める。自分とてまだまだやることはある、けれども大切な友人が何よりも大切にしている弟子が、多少なれども気になった。
暫く沈黙が続いて後、飛び去る機械音が聞こえ、雲中子は重い息を吐き出した。
※ 終南山師弟(気持ち雷雲)の小話が時系列的に挟まったり挟まらなかったりします。お好みでどうぞ。
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