登場人物:リョーマ 幸村
CP傾向:リョ幸
制作時期:2012年9月
2012年10月7日(COMICCITY SPARK7)にて発行した本です。
相変わらず手も繋ぎません
ああ、今日も暑い。汗が頬を伝い、ぽとりと落ちる。そろそろ節気は白露だというのに、今年は暑さが残りすぎていた。
だが、まるで「この夏を忘れたくない」と主張するように、しつこく鳴く蝉の声も、今日ばかりは賛同してしまう。流れる汗を手の甲で拭いながら、屈んでいた少年はゆっくりと腰をあげた。
『夢の潰えた夏』だと皆は言うが、自分にとっては決してそれだけではなかった。良い夏だった。色々なものを失い、そして色々なものに気づいた夏だった。こんな重くて、濃い体験は、人生の中でもそう起こることではないだろう。
だから、幸村精市は願ったのだ。この運命の……そう、基点を創った『彼』に会いたいと。
この気持ちは何だろうか? 憧憬?悔恨?恋慕? ……違う。色々言葉を並べてみるが、どれでもなくて、上手く言い表せない。けれど、会いたかった。ただ単純に、テニスコートの上ではない場所で、言葉を交わしたかった。
越前リョーマは、見知らぬ土地で、佇んでいた。
左手にはテニスラケット……ではなく、白い紙切れ。その紙には、丁寧な文字と、わりと大雑把な地図が書かれている。先輩陣に「とりあえず次の休みに行って来い」と押し付けられたものなのだが、彼には一体何の事だかさっぱりわからなかった。宝の山でも埋まっているということだろうか。それとも何かのドッキリか。
……そんなわけないか。
心中であっさり一蹴して、駅の日陰から夏の日差しの中へ踏み出す。照りつける日差しが眩しい。
幸いにして、地図はわかりやすいし、複雑な道でも無さそうだ。迷うこともないだろう。駅から続く大通りを真っ直ぐ、のちに十字路を越えて、二筋目を右へ曲がって、左手側の三軒目。
何があるのだろう。やはり見当がつかない。ただの民家? それともスポーツクラブやテニスコート? ……スポーツショップとか……うーん。
勿論、越前は来たことなどないし、記憶にもない。この駅で降りたのだって、初めてなのだから。
だから、おそらくその家だと思われる場所を発見した時は……正直驚いた。
「ジャングル……?」
それが、越前の第一声だった。
そもそも三軒目というから、曲がってすぐかと思ったら……この付近の家は、一軒一軒がやたら大きかった。自分の家とて寺であり、広い敷地にテニスコートもあるし、走り回れる広さがある。あと過去に行った……なんだっけ、あとべさん? とかいう金持ちそうな人の家も広かったし、広い家にはもう慣れたつもりだった。けれど、これはちょっと異様だ……。
とりあえず玄関はどこかと見渡していると、見知った声が耳に届いた。
「あれ? ボウヤ……?」
「……あ」
ジャングルの隙間から出てきたのは、これまた珍妙な格好をした、見知った人だった。
麦わら帽子に、長袖のカッターシャツ、首にタオルで、足は長靴。そして軍手……おまけにバケツにスコップ。それは、声と顔を見ていなかったらおそらく信じていない様の、幸村精市だった。
「ちーっす」
なんとなくその異様な存在感に気圧されて、呟くように挨拶すると、彼はにこりと笑ってくれた。前は氷のような鉄面皮だったのに、今日は怖くない。普通の人間だった。
「いらっしゃい、来てくれたんだね。いきなりごめんね、無理言わなかったかな?」
「いや……あの……ここに神の子サンがいるなんて聞かずに来たんスけど」
「え!?」
「なんか先輩に行って来いって言われて」
「あー、そうなんだ。なるほどね。……じゃぁ、尚更悪い事をしたな。君に会いたいって言ったのは、俺なんだ。渡米してしまうと聞いたから、もう一度会っておきたくて」
「別にいいけど、今回は走って行って来いとか言われなかったし」
「そうか、ありがとう。せっかくだから上がっていかないか?」
何の用だかさっぱりで来たが、どうやら先輩たちはこの人に俺を合わせたかったらしい。
今日の予定はこれだけで、特にやることはないし、まぁいいかと頷く。なんとなくだけど、個人的に興味もあった。
何が何だか分からずに、無我夢中で戦って、そして勝った相手だけれど、あの試合でこの人はよく見えなかった……そんな気がした。今もあの時の態度とは『全然違う顔』をしているけれど、一体どこが違って、何を考えているのだろう。
いざ、幸村家の敷地内に足を踏み入れてみると、外観よりかは落ち着いて見えた。外からだと鬱蒼と生えていたように見える木々や植物は、中だと比較的整理されている。広めの庭には沢山の植木やプランター、植木鉢などがあり、綺麗に花を咲かせているのもある。
勿論、世話をしているのは……この変な格好をした神の子とか言われていた人なのだろう。たぶん。こういうことには疎い越前でも、流石に解る。
「悪いね、こんな格好で、しかも汚れてたりして。ちょっと庭をいじってたんだ」
「別に……」
「俺が入院してる間、家族が水やりはしてくれてたみたいなんだけど、手入れの方はされてなくってさ。母が簡単なものは植えてたみたいなんだけど、ご覧の通り雑草だらけで草ボウボウ。これでもだいぶ整えたんだけれどね」
そう言いながら、近くにあった植木に生えている雑草を、ぷちぷち抜いている。そして抜き終わると、茎や葉っぱの調子を確かめるようにじっと見て、そして嬉しそうに笑った。その額を、汗が伝う。
ああ、そういえば……
「暑くないの? 体に障るよ?」
病み上がりだと思いだした。けど、この前本気で試合したし、やっぱりもう大丈夫なんだろうか。
「もう平気だよ。ちゃんと水分補給もしてるし、暑さならテニスとそれほど変わらない。それに日焼け対策もばっちりだし」
長袖で麦わら帽子を指さすも、正直どういう顔をしていいのかわからない。似合ってないとは言わないけれど、かっこいいとは言えない。なので、いつもの顔のままでいた。
「それが暑そうなんスけど……」
「あはは。違いないね」
越前を案内するように、幸村が先を歩く。ここは幸村家の縁側だった。玄関は裏側にあるようで、裏口から入ってしまったらしい。外観は洋風の体なのに、この付近だけは日本家屋の作りらしく、日陰になっている場所に園芸道具やらが散らばっている。
どうやら、本格的に園芸を楽しんでいたらしい。そういえば、母も家でああやって土と土を混ぜていたような記憶がある。
「お茶、飲んで行くかい?」
ぼんやりと考えつつ見ていたら、不意に話しかけられた。確かに、喉はほどよく乾いている。けれど、部屋の中に入りたい気分でもなかった。
この空間は、とても大切にされていて、そしてきっとこの人のものだ。だから、もう少し見ていたい。
「それでいいっす」
縁側に置いてあった、ペットボトルを指す。そのボトルは汗をかいていて、あまり冷たくはなさそうに見える。けれど、無性に美味しそうに見えたのだから仕方がない。
「俺のポカリ? いいけど、ちょっとぬるいかも」
「いいよ」
「あ、コップ取ってくるよ」
「それでいいんだけど?」
「俺のコップ?」
「うん」
客人にはちゃんと客人用のグラスを出したいのだろうか。あまり細かい事に拘らない越前にとっては、一応これが気遣いのつもりだった。的外れかは別として、幸村は楽しげである。実は、幸村も気遣いこそするが、越前と同じでわりと大雑把だった。
越前が気づくはずもなかったが。
「はいどうぞ。王子様の仰せのままに。まだあるから好きなだけどうぞ」
並々と注いで、コップを越前に渡す。受け取った越前は、一気に半分ほど飲み干した。
「ポカリ派なんだ。俺アクエリ派。もっと言うならポンタ派だけど」
「クールだね。立海でもアクエリ派が多いかな」
「アクエリ派はクールなの?」
「だって、ポカリの方が甘いだろ」
「でもアクエリやポカリより、ポンタの方が甘いよ」
「確かに」
幸村は軽く笑いながら縁側に上がると、麦わら帽を置いて、近くの襖を開ける。中からは冷気が漂って来て、心地いい。どこかで冷房がついているのだろう。奥に入って行った彼は、すぐに戻って来た。手には……茶道用の茶碗が乗っている。
まさかと思ったのも束の間、その茶碗にはポカリが注がれていた。わかった、この人は……割とアバウトなんだ。自分もよくするような珍妙さなので、他人の事は言えないのだが、実際目にすると少し面白かった。
ああ、神の子ね。なるほど……嘘でしょ。
「家、上がっていくかい?」
美味しそうに飲み下す喉を見ていたら、話しかけられていた。確かに広そうな家だけれど、あまり興味はない。それより、見ていたいものがあった。
「いーよ。ここで、見てる」
「見てるって……何を?」
「園芸? っていうの?」
想定外の答えだったのだろう、彼はきょとんとして、目を瞬かせている。確かに、見ていて面白い類のものではないのだろう。
感覚的には……そう、農作業しているおじいちゃんを見るのが楽しいかどうか、というのに、きっと近い。
「ほう……また何故。日陰でも、ここは暑いよ」
「だって、アンタが楽しそうだし」
「お客様は君なんだから、君が楽しくないと…………あ、じゃ、一緒にガーデニングしようか」
「それは、やだ」
「残念」
即答されて肩を落とすも「じゃぁ少しだけ」と、麦わらをかぶり直し、長靴も履きなおして縁側から降りた。そのまま縁側の下に屈み込み、取り出してきたのは、一つの空のプランターだった。
「君の好きな花を植えて、咲いたら送ってあげるよ。何が好きかな?」
「花? 好きな花? 特にないんだけど……あんたの好きな花でいいよ」
「好きな花が多すぎて決められないな」
幸村は縁側から少し身を乗り上げると、傍の園芸用本棚から引きぬいて来たらしい本を越前に手渡す。気乗りはしないものの、受け取った越前はしょうがなく本をパラパラとめくる。
使い込まれているのか、ところどころヨレていたりして年季を感じるその本には、花々や観葉植物の育て方が写真付きで載っていた。
「あんたは花が好きでやってんの?」
「うーん。……花も好きだし、花がつかない草木も好きだよ」
「ふぅん」
「君は? 本当にないのか? 例えば、好きな色だとか、大きさとか、匂いとか」
「あんまり興味ないかな。大体みんな一緒に見える」
ぺらぺらと適当にめくっていた本は、すぐに終わりを迎えてしまった。そのまま閉じて、隣に置く。きっと、見たいのは花ではなく、この人なんだと思う。
「おやおや、それは聞き捨てならないな。じゃぁ、可愛い我が子のお披露目ショーをしてあげよう」
「面白くなかったら寝ていい?」
「いいよ」
幸村は庭に入ると、手短な花から草花を紹介を始めた。
その話によると今年は入院が長くて、あまり植えられたものは多くないらしい。
本来なら、入院の時から考えて冬や春植えの一年草はほとんどないはずだが、自分が帰って来た時のために、わざわざ母が簡単なものは植えつけていたらしく――ちなみに園芸の趣味は母譲りらしい―― そこそこ花がついているものもあるのだとか。育て方が難しいのは避けられているようだし、あと少し雑草が生えている。けれど、普通の庭に比べて、格段に花は多い。あちこちに鮮やかな色が見える。
その中で、わざわざ鉢を持ってきたり、移動したりと、幸村は説明してくれていた。たまに花がついてない草木の解説まで入るのだから、相当な花好きなんだろう。
越前はその様子をぼんやり聞いていた。さっぱりわからないが、やたらと説明している姿は楽しそうだ。
「で、こっちがサントリナ。別名ワタスギク。ほらちょっと珍しい葉をしてるだろう? 今年はもうほとんど花が終わりかけだけれど、この花は独特な匂いは防虫ハーブとしても使えるんだ。花言葉は『移り気な人』」
「ふーん」
「そういえば、越前君は好きな花言葉とかもないのかな?」
「ないけど」
「調べてみたら、意外と面白いよ。こっちは、リアトリス。別名はキリンギクやユリアザミがあるね。ほら、花の部分がほわっとしていて可愛いだろう。花言葉は……えーっと、『燃える思い』かな?」
「花言葉って似たようなの多くないすか? なんか適当にいっといても、何かしらいいやつに当たってそうじゃん。フツーは意味なんて知らないし」
「王子様には、夢がないなぁ」
「じゃぁさ、朝顔って……なんて言うの?」
「一般的な朝顔なら……『愛情』とか『儚い恋』だね」
「じゃぁそっちの花は?」
「これはカンナだから、『情熱』かな」
「ほら、なんか好きとか愛とか恋とかさ、大体一緒じゃん」
「君にとっては好きと愛と恋が一緒なのか……」
「なんかよくわかんないし」
テニスばかり追いかけていて、深く気にしたことはなかった。
人に対して……そりゃ両親は好きだし、学校の友達や先輩だってそうだ。けれど、恋人だとか、彼女だとか、そういうものにはサッパリ興味がなかった。テニスが好きだ。もっとテニスがしたい。大体そんなことで脳内は埋まっている。そっちの方が、今は大事。
だからきっと、『テニスが好き』という事を忘れていた自分を取り戻すきっかけになった、この人が気になるのだ。
テニスは勝つためだけにあるのだと言った彼は、試合の後、呆然とした中に寂しさと……少しだけ微笑みを浮かべていた。あの後はもみくちゃにされたり、胴上げされたりで見えなかったけれど、でも確かに少しだけ笑ったのは見ていたのだ。
そんな彼は今、目の前にいる。特に越前の態度や物言いに怒るわけでもなく、ただ興味深そうに笑っていた。
「そうだね。確かに似たような感じのものに聞こえるかもしれないし、興味がなかったらそんなものなのかもな」
なるほど、と逆に感心しながら、幸村は置いてある園芸の本を拾い、そこに座った。越前の隣だ。そして、使い込まれて少し擦り切れかけている本を、大切そうにめくっていく。
「……でもね、花言葉があるから、贈ると同時に短いメッセージを伝えることができるんだよ。字が書けなくったって、喋ることができなくたって、伝えることができるんだよ。これって、ちょっとすごいと思わないか?」
「見た目よりロマンチストなんだね」
「そうかな? ちょっと花好きの中学生ってだけだよ」
そこで越前は、初めて庭に降りた。そこは幸村の領域、花の世界だ。その世界をぐるりと見渡す。
「俺なら花言葉より、見た目で選ぶかな。ほら、この花とか、あんたに……」
指し示した花は、青紫の優美な花。背が低くて、先程は紹介されなかった。
「似合ってる……と思うし」
「……うん。確かに、それも嬉しいね。少し、照れるけれど」
その花をじっと見つめながら、言葉を噛み砕くように、ゆっくりと幸村が呟く。そして、そっと越前に近づく。
「君の選んでくれた花はね、青紫のストケシア。別名ユリギク。花言葉は、追想」
「ふぅん。あんまりキラキラしくない花言葉も、あるんだね」
「花言葉には、悲しいものや辛いものや、刺激的なものだってあるよ。でも、どの花が似合ってるかなんて、言われたのは初めてだ。君がなんとなく選んでくれた花の、花言葉。もしかしたらぴったり俺を言い当てているのかもね」
幸村が屈んで、慈しむようにストケシアの花弁をなぞる。それを、越前はじっと見ていた。
「どういうこと?」
「言っただろう? 俺は君に会いたかったんだって。遠くに言ってしまう君には、今後会えない可能性もあるんだから、もう一度会いたかったんだ。つまり、俺は花言葉の通りに……まだ、君を追いかけて想っていてもいいかな?」
すくっと立ち上がった幸村の瞳が、真っ直ぐ越前を射る。先ほどの雰囲気とは打って変わって、それは静かに一人、水の上にいるように澄んでいた。あの時の彼に近い。
ゆうに三拍半。空気が止まる。
「それって、また俺とテニスがしたいってことでいいの?」
「そう……いうことだね。いつか君と、もう一度、本気の『楽しいテニス』がしたい」
それは、静かなる挑戦状だった。叶うかもわからない、希望でもある。だが、本心からの言葉なのだろう。忘れられない敗北。けれど、ただ負けただけじゃない。
幸村にも、越前にも、心に大きな問いかけを残した。答えは、まだ見えていない。
だからこそ……
「……じゃぁさ、帰ってきてあげてもいいよ」
「え?」
「次は高校のテニス大会で会おうよ。勿論、一番上で」
まだ、終わっていない。次がある。その時に、また戻ってこよう。
「……!!! ああ。待っているよ」
ありがとう、と幸村は笑った。これまで見たことのない顔だった。越前が、ぎくりと止まる。不意打ちだった。この人は、こんな顔で笑うことができるのか。
なんだ、全然……心配ないじゃん。
気がつけば、自分も笑っていた。といっても、いつもの挑戦的なものだが。ここにきて良かった。この人に会えて良かった。そう思う。
ただ前に進むことしか考えていなかったけれど、ここにきて振り返ることを知った。一度追い越しても、きっと追いかけて来る。今度は追い抜かそうと。それも悪くない。次、戦う時は、もっともっと楽しい事が起きる。
陽が傾く頃、越前は腰を上げた。気がつけばカナカナとひぐらしが鳴いていて、秋はすぐそこなのだと感じる。やはり、夏は終わるのだ。
けれど、また来る。今ならそう思える。越前も、幸村も。
駅まで送るという幸村を断って止めるも、心配だから家先までは出るのだと言う。ここまで来られたのだから平気だというのに。靴を履き替えるからと言うので待っていたら、幸村はついでに花束を抱えて出てきた。
「はい、持って帰ってよ」
色々混ぜてある中に、ちゃんとストケシアの花を見つけて、受け取った。新聞紙に包まれて、顔だけ出しているそれは、やっぱり綺麗だと思った。
家に帰ったら、活けてもらおう。できれば、枯れてもいいように、写真も撮ろうかな。
「気に入ってもらえて嬉しいよ」
「そんな事、一言も言ってないんすけど」
「ふふふ」
どうぞ、と門が開かれる。正門の方は、勿論裏口より立派で、確かにどっちがどっちかちょっとわかりにくい。
左右を見渡す越前に、幸村は駅の方向を教えると、最後に右手を差し出した。
その手を見ながら、そうだ、と思い出す。
「ねぇ、幸村さん。最後に一つ言うけどさ」
「何だい」
「テニスも一緒だと思うよ。花が好きだっていうあんたの気持ちも、俺がテニスが好きっていう気持ちも一緒。あんたはテニスは楽しくないものだって言ってたけど、ちゃんと持ってる。花が好きだっていうあんたの顔見てたら、わかるよ。……ちょっとさ、背負いすぎてたんじゃないの?」
今日で印象が変わった。理解も少しだけできた。その答えの一つが、これだった。
「そうかも……しれないね」
「次は、期待してるから」
そう告げて、手を重ねた。
あの日の、試合終了の握手を、もう一度するように。そしてもう一度、コートの上で会えますように。再会を、願って。強く握り合った。
色々あったようで、特に何もなかったあの日の事は、忘れることなく胸の中にあった。
それを示すストケシアの花は、母親が押し花の栞にして、わざわざアメリカまで送ってくれた。
それを落とすのが怖くて、栞にせずに財布に入れてあるのだが。あの人は知らないだろう。
二年後に、きっと帰る。あの人は、もっともっと強くなって。次こそは本気でくる。辛いテニスではなく、楽しいテニスで挑んでくる。追いかけてくる。
「さて、と」
今から迎え打つ準備をしようか。
夏を迎えるために。
了
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