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王の見据える末々は~紳士の導き~(跡部×観月)

登場人物:跡部 観月 ミカエル(執事)

CP傾向:跡観

制作時期:2020年6月

跡観の馴れ初め、コンソレ後のお話『眦決して空白む』の続き。
相変わらずぜんぜん距離が縮まらない長編の序章です。






 全ての者が勝者になることはできない。となれば、殆どの者は敗者になる運命なのだ。
 だが、これは傷の舐め合いではなく、ただひたすらに、ひたむき勝とうとあがき、前を向いて走り続けようとした。そんな彼らの青春時代の一コマである。



 あの敗者復活戦後の奇妙な出会いから幾日が過ぎただろうか。
 一軍のメンバーで見事に勝ち抜いた氷帝は、そのまま当然のように勝ち進み、今は全国大会で青春学園と当たっていた。
 聖ルドルフ学院にしてみれば、どちらにも負けている、勝者達の戦いである。故に観月は公平な目線で観戦に来ていた。どちらが勝つにしても悔しさはあれど納得は行くだろう。
 先程まで不二裕太も傍に居たが、顔見知りであるらしい河村が負傷し、心配だと様子を見に行ってしまった。そんな一人残された観月に近づく影が一つ。

「よお、観月。お前も来てたのか」

 別に会うつもりもなかったのだが、どうやら跡部の目に止まったらしい。今日の私服は遠目では分かりづらいだろうに、よく見つけたものだ。
 観月の肌は日光に弱い。今日のような猛暑でも水色の長袖のカッターシャツに、ややつばの広い白い帽子を深めに被っている。勿論、落ち着いたベージュ色のズボンも足首まできっちりしたものである。周囲からも顔は見えにくいはずだ。
 試合はできればセンターライン付近で見たかったし、過去の因縁から不二周助にあまり普段の姿を見られたくない観月は、赤澤達と分かれて、青春学園側のベンチから死角になっている席にいた。つまり対になる氷帝のベンチにいる視力の良い跡部なら、すぐに自分を見つけられたことだろう。
 だが、わざわざ声をかけに来るとは思っていなかった。この大事な戦いの時に、まさか時間を割いてまでこちらに来るなど想像もしていなかったのだ。
 少し驚きはしたが、すぐに平静を取り戻して挨拶する。

「おや、こんにちは、跡部くん。どちらも僕たちを負かしたチームですからね。それに負けたからってゲータ収集を怠るわけにはいきませんから。これまでの氷帝戦も青学戦も、できる限り全て見てきましたよ」

「真面目なこった」

「性分ですから」

 ぞんざいな言い方だが、そこに棘がないのはわかる。あの日以来、会っていなかったが、跡部が意外と自分に心を開いてくれている事はわかった。今日も嫌味や冷やかしでここに来ているわけではない事はわかる。
 跡部は観月の隣に並ぶと、真っ直ぐコートを睨んだ。先程まで樺地と河村が戦い、双方棄権になった。激しい戦いであったため両者は病院へ、そして今はコートの整備中だ。

「で、どう見るよ」

「この戦い、どちらが勝つか……ですか?」

「当然だろ」

 今現在では1-1に同時棄権の膠着状態と言える。

「あなたは勝ちにここに来たのではないのですか?」

「当然だ、俺が負けるはずねぇだろ。だがこの戦いは俺一人で戦ってるわけじゃねえ。チーム戦だ。そのどちらのチームとも戦ったお前だからこそ聞いてんだよ」

 なるほど、確かにそれを言うなら両者と戦ったチームは聖ルドルフと……そして不動峰しかない。
 ふむ、と少し考えながら過去の試合を考える。

「そうですね。確かにあなたのチーム、氷帝は強いです。部員数も多いですし、選手層も厚い。……ですが、果たして選手選びは聞き及ぶやり方で本当にあっているのか? という疑問があります」

「負けた奴は二度と使われねえ、ってやつか?」

「そうです」

「お前のところもそうじゃなかったのか?」

「あれはあくまで次の試合までです。僕たちも元々そこまで選手層が厚いわけでもありませんでしたし、僕の指示に従わず負けた選手に腹を立てて、試合から外していた事も確かです。けど気持ちの整理をつけられない選手をコートに立たせるわけにはいきませんからね。でもあなたのところは違うでしょう。滝萩之介……僕はそれなりに恐れてデータも取っていたんですよ」

 氷帝には二百人を超える部員がいる。勿論実力はピンキリで、観月もそれなりにデータを取る上で選んではいた。滝萩之介とてそうだ。何があったかは知らないが、まさか一軍から落とされているとは予想外だった。

「へぇ、見る目は確かだな」

「変わって青春学園は定期的にスタメンの入れ替えを行う試合を行っています。それはつまり、その時に最も実力がある者を選抜し、そして怪我や精神的な不調で故障している者を一時的に休ませる意味もあります。ある意味、最も合理的とも言えるでしょう」

 殆どあのメンバーに落ち着いているが、青学には他の部員にも常に一軍のジャージを着られる可能性がある。

「確かにな、それに手塚……天才と言われる不二周助」

「その名前、ちょっと省いてもらえません?」

 ぴくりと観月が反応し、不服そうに言い放つ。

「ハッ、そういやおまえ、あいつに負けたんだったか」

「なっ!? 見てもいないのになんで知ってるんですか!?」

「他校の試合は全て視察係によって録画されてる。勿論、あの後に見たに決まってるだろ」

「う……」

 顔が羞恥で火照るのが自分でもわかる。あの試合だけは見てほしくなかった。あそこを起点に気づけた事も、変われたことも沢山ある。そういう意味では必要な試合ではあったのだが。

「それを見て思ったことがあってな……まあ、いつか話す。今は目の前の事に集中したいからな」

「はい?」

 集中したいのに、何故ここまでわざわざ来たのか、観月には合点がいかない。自分の見解を聞きたいだけかとも思ったが、それだけで来る理由にならない気がしたのだ。息抜き、そんなところだろうか。

「とにかく、青学は一筋縄じゃいかねえだろうしな」 

 彼は自分が言うまでもなく、ちゃんと青学の驚異を理解している。鋭くコートを睨む跡部は真剣そのものだ。その眼差しを、少しだけ羨ましく感じた。彼は未だに戦士なのだ。

「ゴールデンペアは見ての通り健在でしたし、この後は不二周助も控えています。何より新人のルーキー、越前リョーマ。今回は控えに回っているようですが、棄権が出たことによって、彼が出てくる可能性が上がりました。気をつける事です。今年の青学ははっきり言って強い。何より一度負けたあなた方と違って、彼らは一度も負けていない、勢いがあります」

「だから今回からは本気だ。俺たちももう二軍は出さない」

「まったく、最初からそうしておけば良かったでしょうに。何故不動峰戦では二軍を?」

 まさか敗者復活戦で氷帝のような強豪に当たるなど、観月は考えもしていなかった。あの選手層の厚さ、一軍の強さ。規模を見ても国内最大級の難敵と言っても差し支えない。
 だが、対戦カードを見て納得した。調べ上げたら一軍はほぼ出ておらず、二軍で構成されていたからだ。

「公式戦を学んでいる後輩を作っておきたかったからだ。監督も納得済みだぜ」

 跡部は少し拗ねたように目線を逸らすも、はっきりと告げた。

「まぁ、後を思う者として、気持ちはわかりますけど。そういうのを驕りと言うんです」

 これを言われたくなかったのだろうが、あえてはっきり言う。

「違いない。反論はないな。……して、どう見るよ」

「つまりは、驕らない事でしょう」

 『絶対勝者』などあるはずがない。過去にそれは既に崩れ去っている。負けて這い上がって来たことを、ゆめゆめ忘れてはならない。
 この相手に勝てないと気負う事はもっと良くないが、油断しないに越したことはない。そう、暗に告げる。
 察しの良い跡部は、観月の視線から大体言いたい事を理解したらしく、肩をすくめて息を吐いた。

「精々、肝に銘じておくさ」

 ここで、そろそろ次の試合を開始するアナウンスが流れる。

「で、どうしてあなたがここに? 次の試合、そろそろ始まってしまいますよ?」

 跡部の出番はまだ後だ。と分かってはいるが、つい気が逸ってしまう。

「あ? 見かけた顔を遠くに見つけたから、わざわざ俺様が暇を見つけて来てやったんだ、ありがたく思え」

 跡部は観月の頬に手を伸ばすと、汗で張り付いた髪を一房はらってみせる。

「はぁ……。あの、なんかやたら上から目線ですし、あなたのせいでめちゃくちゃ目立ってるんで恥ずかしいんですけど」

「とにかく、ここも暑い。こまめに水分を摂って、しんどくなったらすぐに俺の所かミカエルの所へ行け。ちゃんと試合は撮ってあるから、勝とうが負けようが見たいならいつでも見せてやる。いいか、わかったな!」

 そう言い残すと、時間が惜しいとばかりに跡部は足早に去っていってしまった。残された観月は思わず返す言葉を忘れて佇んでいた。
 そもそもチームのリーダーが途中に抜け出して来るのも問題なのだが、残していった言葉がただの心配性の言葉で、そんな事を言いに来たのかと心の中で苦笑する。
 確かに前回会った時に弱った姿を見せすぎたかもしれない。自分だって一応テニスプレイヤーなのだから、それなりに暑さには慣れている。そんな大層な心配はいらないというのに……。
 だが、悪い気はせず。観月は再び戦いの火蓋が切って落とされるテニスコートへと目を向けた。





 結果はどれだけ願おうと、足掻こうと、変わるものではない。
 数刻後、氷帝学園は青春学園に敗退した。今回は二軍ではない、ちゃんとした一軍での対戦である。
 だが、最後の対戦カードが悪かった。日吉若という名の控えの二年生は、センスこそ悪くなかった。しかし経験差がまるで違う。明らかに越前リョーマと比べてしまうと実力差がはっきりしていた。
 ここで氷帝の悪習に捕らわれず、一軍の滝萩之介が出ていたら、もしくはもう少し変わっていたかもしれない。
 しかし、観月は氷帝でも青学でもない、聖ルドルフ学院の選手だ。ただ、その試合の凄さに……跡部と手塚のぶつかり合う気迫に驚いていた。
 観月が跡部を好ましく思う所は、使えるものは何でも使うという所だ。今回、手塚の腕の傷の再発を狙った戦い方も、見る人が見れば汚い手段だと思うかもしれないが、観月も知っていたなら当然とった手段だっただろう。
 それでも引かなかった手塚の心の強さと、その心の強さを素直に認められる跡部の戦いは見事なものだった。
 結果的に氷帝というチームは負けた。彼らにとってこれほど悔しいものはないだろう。だが、それはかつての自分たちと同じだ。
 全ての者が勝者になることはできない。となれば、殆どの者は敗者になる運命なのだ。

 迫真の試合に圧倒されて決まった勝敗に、氷帝の応援席からもすすり泣き声などが聞こえる。次々と帰っていく客席の人々に紛れて、観月は遠くから跡部を見ていた。涙を流す選手もいる中、彼は凛として指示を出していた。
 この後、あの規模の部活であれば、おそらく一度氷帝に戻ってミーティングをしたのちに解散となるだろう。数人で行えるほどここは広くない。それに、夏が終わっても、大人数の彼らにはまだやるべきことが残されているはずだ。
 観月は暫く携帯を弄りつつ考え事をしながら彼らを見ていたが、彼らの撤収とほぼ同時に踵を返すと帰途へとついた。
 どうやら赤澤達は金田や野村を連れてこのまま外食に行くと連絡があったし、木更津は兄の応援に行くと柳沢を連れて今日は来ていないし、裕太はどうやら不二周助に捕まったらしく一時帰宅するようだ。一人になったが、普段から偵察などで一人で動く事に慣れているため問題はない。
 電車で帰ってもいいが、ここから少し駅まで歩くことになる。行きと同じくバスで帰ろうかと停留所に足を運んだところで、見たことのある黒塗りの豪奢な車が見えた。跡部の使用している車だ。
 今日の目玉の最終戦が終わったため、電車もそれなりに混んでいるであろうが、バス亭の順番待ちもそれなりに人が並んでいる。目的の路線バス停留所を探しながら歩きだすと、聞き知った声に呼び止められた。

「おや、これはこれは、観月様ではありませんか」

「あ、ミカエルさん」

 ミカエルはわざわざ車から降車すると、丁寧に会釈する。それに合わせて観月も会釈した。

「どうも、ご無沙汰しております。先日はありがとうございました」

 あの日、助けて貰った恩人でもあるし、人の良さが滲み出ている笑顔は緊張を解してくれる。観月にとって信頼できる人の一人でもあった。

「景吾坊ちゃんの試合を見に来てくださったのですか」

「ええ、まあ……。今回の相手は、跡部くんの方も、もう片方の青春学園も、僕のチームと戦って勝った相手なんです。なので勝敗が気になってしまって」

「なるほどなるほど。暑い中、大変でしたでしょう。良ければお送り致しますよ、乗っていかれませんか?」

 突然の提案に観月は少し驚く。流石に恩人であるし、世話になったが、見返りは何もできないし、そこまで厚かましくもいられない。

「いえ……というか、これは跡部くんが来るのをお待ちしているのでは? それなら僕が邪魔をするわけにはいきませんし……」

 跡部は勝ったが氷帝は破れた。多少なりとも跡部にも思うところがあるはずだ。そんな時に自分に会いたいだろうか。自分が負けたときは誰にも会いたくなくて一人を好んだのだが。

「いえいえ。坊っちゃんから正式に、観月様がもしいらっしゃったら、真摯に対応するようにと連絡を得ておりますので、大丈夫ですよ」

「は、はあ……え? 本当に?」

 確かに先程会った時、何かあればミカエルのところへ……と言われた気もするが、今回は別に体調が悪いわけでもない。立っているだけで汗が垂れてくるような暑さは堪えるが、これで耐えられないほど脆弱でもないつもりだ。

「ええ、ですので。少し車で涼んで行かれるだけでも」

 やたら嬉しそうなミカエルに、つい背を押されてしまう。まあ、彼が来た時に罰が悪そうならば車を降りればいいだけの話かもしれない。そう考えた観月は、勧められるがままに乗車したのだった。





 車内は冷房が効いており、遮光カーテンも相まって確かに快適だった。すぐさま程々に冷えたドリンクが渡され、やることもない観月は口をつける。暑さに乾いていた喉が潤い、ほっと息を吐く。冷房がきつすぎないかミカエルに聞かれるが、問題ないと返しておく。何よりここへ跡部が戻ってきた時に、涼しくなかったら申し訳がない気がしたし、夏場はいつでも羽織れるものを持ち歩いている。

「待たせたな、ミカエル」

 暫くすると、跡部は一人で現れた。この車は複数で乗れるため、てっきり樺地や他の一軍も何名か来るのかと思っていたが、そうでもないらしい。

「よお、観月。お前も来てたのか」

「すみません。お邪魔でしたらすぐに降りますから」

「いや、いい。そのままでいろ」

 跡部はボンネットを開けて、自らの荷物を積むと、すぐさま後部座席に戻ってきた。

「で、体調はどうなんだ? 大丈夫か?」

「いえ、それが……特に不調というわけではないんです」

「さてはお前……ミカエルに捕まったな?」

 捕まったといえばそうなるのだろうか。だが恩人であるし、好意で乗せてくれた相手にそのような言い草は……と言葉に詰まっていると、運転席からほっほっほ、と暢気に笑う声が聞こえた。それと共に車が静かに発進した。

「それより、僕のことより跡部くんの方は大丈夫なんですか?」

「んあ?」

 決定打は跡部ではないが、氷帝は負けた。その事で悔やんだり落ち込んでは居ないだろうかと心配する。その空気を察したのか、跡部は直ぐに佇まいを直してタオルで汗を拭き始めた。

「ああ、そのことか。勝負には負けたが、試合には勝ったからな。気分はそこまで悪くない」

 けろっと言い返す跡部に、観月は少しだけホッとする。

「そうですか……」

「それに、最後に信頼している後輩が全力を出して負けたんだ。もう公式戦がないのは悔しいが、この勝負に関しては悔いはねえよ」

 確かに、跡部の声は沈んだりしていない。昼の時のままだ。あんな全力の勝負をしたのに、疲れも感じられない。その試合をふと思い返す。

「あの、跡部くんと手塚くんの試合……とても素晴らしかったです。見ていて、胸が熱くなりました」

 素直に感想を告げる。今なら伝えても良いと思ったからだ。

「俺は割とセコい手を狙ってたと思うんだがな」

 跡部は汗を一通り拭き終えると、一口ドリンクを飲み、次は手鏡と櫛で髪を整え始める。手慣れたもので、美形はこうやって作られるのかとチラチラと横目で見てしまう。

「公式戦は真剣勝負ですよ。それくらい狙って当然でしょう。治療するのも、休むのも、自らの引き際を見極めるのも、選手の度量です。でも手塚くんの諦めない強い意志、かっこよかったですね」

「お前ならまあそういうとは思っていたが、俺にも言うことがあるだろうが」

 髪のセットが終わったのか道具を片付けながら、面白くなさそうな顔をする跡部を見て、思わず観月はふふりと笑ってしまう。彼が不満な理由がわかるからだ。

「もちろん、跡部くんもかっこよかったですよ」

「チッ、取ってつけたみてぇに」

「本当です。……前にコンソレーションで僕と戦った時、正直跡部くんの事を怖いと思いました。真剣な眼差しが刺さるようで。冷たい氷に貫かれたようで」

「あ?」

 思い返すと、今でも少し怖い。その恐怖はその後にかなり取り除かれたのだが、テニスの試合での記憶は鮮明に記憶に残っている。

「でも今日は、本気の跡部くんの目が鋭い氷のようで、美しいと思いました。あと僕では全然相手になりませんでしたしね。普段見れないであろう、がむしゃらな跡部くんも素敵でしたよ。ああいう顔もするんだな、と」

「褒められてるのかよくわからん言い草だな」

 面白くなさそうにドリンクを飲み、頬杖をつく跡部に観月は思わず笑ってしまう。

「これでも素直に褒めているつもりなんですけど、僕から見た弱点や改善点なども言ったほうが良いですか? 今聞くべき事でもないと思いますけど」

「は? 俺様に弱点!?」

「跡部くんが完璧に近くても、それくらいはありますし、見抜けますよ。これでも僕、半分はマネージャーですからね」

「そんなはずは……いや、そうか……。そういう事か」

 ドヤ顔をキメる観月の隣で、跡部は何かブツブツと呟いている。
 その合間を縫って、運転席からミカエルの声が届く。

「坊ちゃま、そろそろ氷帝学園の方におつきになります。ミーティングされている間に観月様をお送りして参りますが、それで宜しいですか?」

 公式戦とはいえ部活動だ。夏が終わるまでは大会に対してどこも全力だが、夏が終われば本来の『夏休み』に体制を戻したり、活動を縮小させる学校は多くある。氷帝も最後の締めや今後の予定を軽く練ってからの解散となるのだろう。

「いや、待ってくれ。おい、観月」

 ブツブツ呟いていた跡部が、ハッと顔を上げた後、観月に向き合う。真剣な眼差しに、思わず観月は引いてしまう。

「は、はい、なんでしょう」

「この後、予定はあるのか」

「いいえ、特にありませんが?」

「なら後で俺の家に来い。話したいことがある。ついでに夕飯も食べて行け、帰りも勿論送らせる」

「は、はい!?」

 これまたいきなりの提案に素頓狂な声が上がる。

「嫌なら断ってくれてもいいが」

「いや、というわけではないのですが……いきなりでご迷惑になったりは」

 ちらりと運転席を見やると、ミカエルとばっちり目があってしまった。嬉しそうににこりと微笑まれる。

「勿論、しませんとも」

「わ、わかりました。ではお伺いさせていただきます」

 かの跡部王国と呼ばれる居城のような家に招かれるのはこれで二度目だ。個人的な趣味であの空間を好ましく思っていた観月としては悪くない提案なのだが、跡部が何に閃いたのかさっぱりわからなくて首を傾げた。
 まあ、テニスについて語るなら、大歓迎だ。趣味も近いから趣味の話でも楽しいだろう。

「よし、なるべく早くにミーティングは終わらせて帰るからな」

 謎の意気込みを見せる跡部に、ミカエルから声がかかる。

「ただし、坊ちゃま。観月様を跡部家の客人としてお招きするにあたって、ミーティングの間、ずっと車内でお待たせするわけには参りません。先に跡部邸にお送り致しますが、問題ありませんな」

「そ、そうだな。そこまで気が回らなかった。先に行ってもてなしておいてくれ」

 ミカエルにも跡部が少し逸っているのがわかるのだろうか、普段は従順にして優しいミカエルだが、今の言葉には圧を感じた。主従の関係に見えて、ミカエルは良き執事でもあり、良き理解者であり、そして良き師でもあるのだろう。
 そんなことが伺えて、観月はやはり少し笑ってしまうのだった。
 氷のように冷たい視線で戦う彼も、まだ年相応のものが残っているらしい。

「じゃあ、観月。後でな」

 氷帝学園に着くやいなや、跡部はミカエルの手伝いもなしに必要な鞄だけ手に取ると、足早に学園内に入っていった。





「跡部くんは、あんな顔もされるんですね」

「あれだけ気が逸っている坊っちゃんを見るのは久しぶりです。何か観月様を見て、良いことを思いつかれたのでしょう」

「僕を見て、ですか? うーん、思い当たる事があるような、ないような……」

「それに景吾坊ちゃまは、たいそう観月様の事を気に入られているようですな」

 跡部を見送った後、ゆっくりと動き出す車の振動を感じながら、観月は不思議な気分でいた。ミカエルが嬉しそうにしているのはわかるが、跡部はあまり表情や感情といったものを表に出さない。
 確かに、前に会ったときから彼にあった棘のようなものは感じなくなった。それでも彼は氷帝に君臨する王であり、居丈高な姿勢はいつもどおりだと思う。自分に対する態度が他と違うと感じるには、些か物差しが足りなかったが、今日の誘いが突発的なことだけはわかる。

「そうなんですか? 跡部くんは一度仲間だと思った人物を大切にしているように見えます。ただの偶然なのでは?」

「ほっほっほ。このミカエル、坊ちゃまが生まれた頃よりお仕えしておりますが、あのように生き生きされている坊ちゃまを見るのは初めてでして」

 確かに、観月から見ても生き生きしていた。チームが負けた直後だと言うのに、本当の強者とはやはりそういうものなのだろうか。
 負けた未来は覆らない、だから強者は前を向いて次に備えるのだ。

「して、観月様。苦手なものなどはおありではないですか?」

「苦手なものですか?」

 考え込んでいた観月に、ふとミカエルから質問が飛んでくる。

「前回は急でありましたので、しっかりと用意ができませんでしたが。アレルギーや嫌いな食べ物や物事、好きな食べ物や色、ご用意しておく服装の傾向など、お好みがありましたらご用意させていただきますよ」

「いえ、そこまでご迷惑をかけるわけには……苦手な食べものは特にありませんし……」

「食べ物以外でも結構ですよ。または好まれるものなどあれば」

 と、ここでふと「何がいいか」を聞かれた時に「何でもいい」と返される面倒さを思い出す。強欲になりたくはないが、苦手なものや多少の趣味くらいは話しても大丈夫だろう。

「え、えーと。そうですね。苦手なものは汚いものや埃などのアレルギーの元になるようなものですし、跡部くんの邸宅とは無縁であるように思いますね。後は肌が弱いので、こうして夏場も帽子を被っていたり、長袖でいることが多いのですが、室内ならば問題ないでしょうし……特に苦手な食材や料理といったものもありません」

「ふむふむ。では、いつもより念入りに掃除をするように伝えておきましょう」

「え、あ……いや、元より綺麗な屋敷だと思うのですが」

 前に行った時も埃一つ落ちていない綺麗な屋敷だった。誰かさんがサボったり手を抜いたら、すぐに塵や砂が落ちている寮の廊下とは大違いだ。

「お好きな食べものはどうでしょう。前は体調を考えたものしか出せませんでしたので、今日は専属コックに腕によりをかけて豪奢なものを作らせましょう」

 誇らしげにミカエルが笑う。前に食べたものは消化に良いようにペースト状になっているものが多かったので、確かに普段の跡部家の食卓を覗いてみたいという願望はある。

「そうですね。寮では和食が多いので、フレンチ……とか……ご無理でなければの範疇で……その……」

 ちょっと無理を言い過ぎたかと、恥ずかしくなって尻すぼみに言葉を濁していく観月とは裏腹に、ミカエルは興奮しているようだ。

「それは喜ばしい、うちのコックの得意料理でございます! すぐさま仕込みを始めるように伝えておきましょう」

 赤信号で車が止まった瞬間に、ミカエルは携帯機器で指示を素早く出していく。

「は、はい。そんな凝ったものでなくても僕は大丈夫ですので、何でもご賞味に預かります」

 青信号になる頃には機器を懐にしまうあたり、本当にできた人物なのだと感心する。

「観月様は遠慮がちでいらっしゃいますね。もっとわがままを言っていただいても良いのですよ」

 前から跡部に聞いていたが、ミカエルは跡部の呼んだ同年代の客をやたら接待したがるらしい。それはもう趣味の領域だ、とは聞いていたが……まさかここまでとは思わなかった。

「わがまま……ですか? えっと。ど、どのような……」

 実家を出てからは大体の事は自分で好きにできるようになった観月は、それなりに自分のわがままを自分で叶えている。それに大豪邸に対してのわがままなど、想像もつかなかった。

「では、衣服などはどうでしょう。お好きな色や柄、スタイルなどはありますか」

 誘導が本当に上手い。伊達に跡部景吾付きの執事をやっているわけではないのだろう。おそらく彼の友人の苦手なものや好みは、全て把握しているに違いない。

「い、衣装……ですか。色は清潔感のある純白が好きです。前回用意してくださったブラウスは着心地も良くて助かりました」

 跡部が着ていたお下がり……というところは少し悔しかったが、肌に優しい滑らかなシルク生地で、汚してしまわないか逆に心配したくらいだ。
 後にクリーニングに出して返そうとしたところ、どうせ着れないものだからそのままどうぞと貰ってしまった。

「柄は、そうですね……薔薇や花柄など綺麗なものが好きですし、美しい刺繍のロココ調にも憧れますね。残念ながら今の日本で男性モノそのような服は少ないので、僕は薔薇柄のブラウスくらいしか寮にないのですが」

「ふむふむ、なるほど」

 流石に跡部邸でもそんなものは置いていないだろう。貸してもらえるなら前と同じような服で何も問題ない。そう思って趣味のままに告げた。

「趣味などはおありですか」

 根掘り葉掘り聞かれている……と思いつつも、あまりにもミカエルが楽しそうなので、観月もつい警戒心を解いて、世間話のように会話する。

「それが、前にも跡部くんに言ったんですが、紅茶が茶葉選びも含めて好きなんです。だから跡部くんに淹れていただいた紅茶が美味しくて」

「ほほう、あの時ですか。このミカエルの仕事を取られたのかと思いましたが、良い結果に繋がったのであれば何よりでございますな」

「はい、寮に住む学生の身分だと、色々たしなむにも少量ずつしか買えませんから」

 茶葉選びは楽しいが、毎回何種類も買うには厳しい。他にも服や電子機器に散財していなくもないが、飲めない量を買うのは観月のモットーに反する。
 そして他にも何か寮でしている趣味は……と思考を巡らす。

「あとは薔薇の鑑賞なども好きで、実家や寮でも少し育てています。元々、洋風のものが好きなので跡部くんの邸宅にはやはり憧れますね。僕の実家もやたらと広いのですが、昔ながらの和風造りですので」

 実家も地主であるから、家は豪邸と言えば豪邸なのだが、そこで生まれ育った故に、洋風のものに対する好みが強くなってしまったのだ。こればかりは仕方がない。

「ほほう、坊ちゃまの趣味と通じるところもおありなのですね。そのうち坊ちゃまに薔薇園にお連れするように伝えておきましょう」

「薔薇園!? そんなものまであるんですか」

 薔薇は特定の季節に咲く花ではない。様々な品種が様々な季節に花開くのだ。故に薔薇園を作るのは、小規模でもとても難しい。

「季節ごとに咲く薔薇園と、いつでも楽しめるように温室の薔薇園がございますよ。専属の庭師が季節の花々も育てておりますので、邸宅の花飾りは季節のものを置くようにしております」

 流石は跡部王国……普通の豪邸レベルではないと改めて思い直す。

「すごいですね、跡部くんは……」

 自分もそれなりに田舎の辺境で大切に育てられたボンボンであるという自覚は多少はあるが、それでも一般人である自覚の方が強い。対して、跡部は正に大金持ちのエリート中のエリートというわけだ。

「そうですね。旦那様あってこその今ではありますが、景吾坊ちゃまも旦那様に負けじと日々精進されております。私も誇りのご子息であらせられますよ。さて、もう見えてきました。まずはお疲れでしょうし、ゆっくりと湯で身体を癒やされてくださいませ」

 跡部邸の中庭の一部を通り、車はゆっくりと正面玄関へ着けられる。観月は手持ちの荷物をまとめると、それを見越したかのように自動で開いたドアから降車する。

「いらっしゃいませ、観月様。一同、心より歓迎いたしますよ」

 ミカエルにならって出迎えの執事やメイドが一斉に礼をする。前は観月が衰弱していたため簡易的であったように思うが、流石に圧倒された。ここへ一人で来るのには少し心臓に悪いと、観月は心の中で冷静に答えを出したのだった。



→ 王の見据える末々は~紳士の饗し~



というわけで、跡観が書きたい!と続いてしまった続編です。
馴初め書くの大好きなんで、また馴初めです。
前の話、まだ「会いました!ちょっと距離縮まりました!」だったので
ここから原作の隙間を縫いながら以下に妄想をつっこんでいけるか……
みたいな感じの話でございます。
当分はくっつきません(たぶん)

でも書きたい未来や部分などはあってですね……。
そこまで行かないと書けないじゃないですか
色々ありました~で終わらせるんじゃなくて、その過程を書きたい派、ひなさんです。
実力が伴ってるとは誰も言っていない!

そんなわけで、まだあまり面白くない部分かもですが、地味に頑張ります。
いつか完成するといいな~^w^;

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