【登場する人】
ナタク、太乙
【CP】
ナタ乙のつもり
【備考】
大戦後、暫く家に戻っていなかったナタクが太乙のもとへ帰るお話。
久々に家に帰ることにしたのは、とうとう右手の調子までもがおかしくなった日の朝だった。
あの大戦の後、ナタクはあまり太乙のところに戻らなくなった。最初のうちは、これまでと同じように定期的に戻ってはいたが、その間隔は少しずつ伸びていき、今は三年近く戻っていない。
特に戻ってこいと言われた事もなく、おそらく調子が悪くなったり、何かしら理由があったら戻るものだと思われているだろう。
ナタクとて、あの場所を忘れたわけではない。戻ればいつだって太乙は嬉しそうな顔をするし、少し面倒くさいと感じるほどには持てなしてくれる。しかし、その顔を見てしまうと心がモヤモヤしてしまって、それが嫌で戻らず終いだった。
帰らなくなって一年半ほどたったところで、左腕の調子が悪くなった。と、いっても生活に支障がでるわけではなく、少し上がりにくいといったくらいだったから、放置することにした。
二年が過ぎると腰の調子も悪くなった。これも別に生活に支障はない、少し違和感を感じるくらいで、やはり無視をした。
そしてそろそろ三年目になろうという時に、右手に違和感を覚えた。今度は痺れる程度で、少し鬱陶しい。
帰るか。
ふと、あの顔を思い出す。やはり胸がざわついた。
「ナタク!? お、おかえりなさい!!!」
風火輪の音で、すぐに帰還が知れたのだろう。戻ればすぐに太乙が転げる勢いで飛び出してきた。久しぶりに見る顔は、やはり大して代わりはない。髪が伸びたくらいだろうか。水仕事をしていたらしく、慌ててエプロンで手を拭きながら走ってくる。
「調子が悪い、直せ」
単刀直入にそう言うと、太乙はきょとんとして、すぐに笑った。
「知らせがないのは元気な証拠、とはよく言ったものだねぇ」
「知らん」
「はいはい。すぐ直すからね、少し待っていておくれよ」
白衣に着替えるのだろう、脱いだエプロンをぞんざいに椅子へ放り投げながら部屋へ入る太乙に続いて中へ入ると、久しい部屋模様が目に飛び込む。ここはかつての金光洞に内装を似せて造らせてあり、不思議と懐かしい気分になる。
「ずいぶん背が伸びたね」
「そうなのか?」
「あれ、気づいてないの!?」
てきぱきと用意を進めながら奥へ向かう太乙を追う。
「背が伸びると身体の節々に不調が出るだろうから、もう少し早く帰ってくるんじゃないかと思ってたんだけど、なかなか帰ってこないから心配してたんだよ」
「ああ、節々がおかしい」
「やっぱり……なんでもっと早く帰って来ないかなぁ。私に会いたくないのはまぁ、わかるけどさ」
違う。と言いかけてやめた。果たして、本当に違わないのか分からなかった。胸がもやもやする。やはり帰らない方が良かったかもしれない。
「さぁ、どこに違和感があるか教えておくれ」
そう言って、太乙はラボの扉を開けた。
メンテナンスにそう時間はかからなかった。と、言ってもさすがに終わる頃には日も傾き始めており、今日は泊まっていくことになった。
食事が二人分になった事を大層喜んでいる太乙は、腕をかけて料理するらしく、はりきって台所に立っている。そんな背中を横目に、すっかり直った身体の節々を確かめながら、ナタクは椅子に座っていた。
あの戦いを終えた後、太乙はナタクの成長を止めていたストッパーを外していたらしい。本来成長しないはずの身体だが、心と共に身体も成長して欲しいという太乙の試行錯誤により、成長する細工がなされていたようだ。
あまり気が付かなかったが、確かに太乙との目線が少し近くなっていた。気がする。気がするというのは、いつも少しだけ浮上しているナタクは太乙より目線が高かったためによくわからないということなのだが。
太乙は料理を作りながらも頻繁にこちらに構いに来ていた。やれお茶は飲むかだの、お菓子は食べるかだの、暇じゃないかだの、最近何していただの。うるさい。
しかし鬱陶しそうな顔をすると、すぐさま黙って戻っていった。
「ナタク、もうできるよ! 一緒にご飯だなんて随分久しぶりだよね。嬉しいなぁ」
嬉しさを隠すことなく、にこにこ笑いながら食卓に皿を並べていく太乙を無視して席につく。確かに太乙の作るご飯を食べるのは久しぶりだった。どうやら何かを生み出すという作業は得意なようで、太乙の作る料理は大概おいしい。ナタクは別に食べなくても問題はないのだが、食べる習慣をつけるようにすすめたのも太乙だ。だが、外で食べる料理というものはあまり口に合わなかった。ここ最近は果物ばかりを食べていた。
いざ口に運ぶと、懐かしい味がする。
「おいしいかい?」
「……不味くはない」
「そう、良かった良かった。じゃぁ私も、いただきまーす」
このように食卓を囲んで食べるのは本当に久しぶりで、案外食事は好きなのだと、嬉しそうに食べている太乙を見て初めて気がついたのだった。
「なーたく。お茶だよ」
食事を終え、皿洗いなどの後片付けを済ませていた太乙が戻ってきたらしい。ナタクは何をするでもなく机に座っていた。
はいどうぞ、と机に湯飲みを置くと、太乙はそのまま隣に座る。自分の分らしい湯のみを手に取ると、冷ましながらゆっくりとすすり始めた。
「ねぇナタク。君はこの家が嫌いかい? 君にとってこの場所はあまり戻って来たくないところ?」
ふと飛んできた問いに、ナタクは上手く答えが見つからなくて押し黙る。
嫌いでは、ない。が、あまり戻ってきたくはない。理由はよくわからないが、太乙の顔を見ていると胸がつかえるようにモヤモヤとするのだ。
ナタクは昔から自分の感情を整理することが、それほど得意ではなかった。上手く感情を整理できないから、表し方もわからない。これまでは感情は素直に出していればいいと思っていたが、どうやら人の心とはそうではないらしい。心のままに振舞えば、傷つけてしまう場合もあると、長い年月をかけてようやく気がついた。
太乙は寂しそうに笑いながらこちらを見ていたが、答えが返って来ないと見るやため息を吐き出した。
「だよねー。私がいるから、しょうがないか」
そう、感情を素直に出していたら、こうなった。
昔は確かに心底腹がたっていた記憶はあるが、今はすぐに殺してやろうなどとは思わない。むかつく事は、確かにあるが。
「違う。別に嫌っていない」
「えっ!? ホント!!!?」
がばりと身を乗り出して顔を近づけてくる太乙に、一瞬心が揺れる。
「……」
「良かったぁ……」
顔が離れて、ほっとした。胸が痛い。太乙の方もほっとしたのか、溜息をついてお茶を啜っている。
「あー、ってことはあれだね。いわゆる、親離れってやつなんだね」
「親離れ?」
ナタクにとっては初めて聞く単語だ。元々彼をあまり親とは思っていなかったが、世の中の理屈上ではコレは親であり師なのだそうだ。あまり物事を教わった記憶が無いので、師という方面でもほとんど実感がないままだった。
「子供ってものはね。成長して大人になってしまえば、親を必要としなくなるんだよ。そうやって独り立ちして、自然と親と離れていく。きっと君もそうなんだね」
そうなのだろうか、という疑問が浮かぶ。確かに必要とはしていないかもしれない。けれども、それだけなのだろうか。
この胸のモヤモヤが晴れるのであれば、ずっとここに居ても別にいい。いるだけで喜ばれるのなら傍にいてもいいし、傍にいたら守ってやれる。人間界とのしがらみが消えれば行くところはないし、ならばここが家になる。例え、どんなに遠くに離れても戻る場所になる。
思案しているナタクを見守っていた太乙は、どこか寂しそうで、けれどやっぱり笑っていた。
「もう、ここへ戻って来てはいけないのか?」
「まさか、そうじゃないよ」
太乙はすぐに否定した。
「あのね、ナタク。君はもう、ほとんど私を必要としていないだろうけれど、いつでもここへ帰っておいで。君は私のものじゃなくなったけれど、私とこの家はいつだって君のものなんだよ」
君は自由なんだ。
師はそう告げていた。おそらく身体に不調がでない限り、ここへ戻らないとバレているのだろう。
だけれども、何度でも戻っておいでと、いつでも待っていると再三言われた。
モヤモヤは最後まで晴れなかったが、心が少し軽くなったように思う。次に戻るときは、きっと今回よりも足は軽いだろう。
戻りたい、と思う。もう少し心を落ち着かせて、自分と向き合って。感情の名前を知って、ちゃんと師と向き合えるまで。
――そう、ここに来てナタクはようやく彼を『師』と認めている事に気がついた。
了
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