【登場する人】
太上老君、申公豹、黒点虎
【CP】
申老
【備考】
前の話から続いていますが、単独でも気にせず読めるはず。
前半と後半でわりと温度差が激しい。
愛する事は素晴らしい。ことさら愛していると伝えられる事はもっと素晴らしい。自分が生きていて、相手が生きていて、その想いに若干ズレを起こしながらも互いに慈しむことができる。それは一つの幸福であり、未来への希望でもあった。
「最近は老子と上手くいってるみたいだね」
「おや、わかりますか」
今日も彼は太上老君の元へ向かっていた。霊獣の黒点虎に跨がり、爽快に空を駆ける。
「千里眼を使わなくたってわかるよ。申公豹ってば、とても上機嫌なんだもの」
「顔に出しているつもりはなかったのですが」
「もー、ずっと一緒にいるんだから、わかるに決まってるよ」
確かに、随分と長い付き合いだ。主従と言うよりは相棒に近しい。黒点虎はのんびりしているように見えて聡明で、かといって興味心を失わず、何より自分のこの性格に合わせられるという最大の長所を持っている。やや気ままなのはお互い様で、何かを強要するような事もない、気楽な相手だった。
「そういう貴方は最近ついて来ませんね」
「ボクはそんなに野暮じゃないからねー。あ、そうだ。このあたりにそろそろ熟れ時の良いものがあるよ。前に来た時に見つけたんだ」
「ほう」
言い方からして果実か何かだろう。おおよそ、師が何かを口にしているところを見たことがないが、せっかくの機会なのだから手土産にしてみるのも手だ。
「では、寄っていきますか」
「うん、任せてよ!」
すいすいと風を切って飛んでいた黒点虎がふわりと高度を下げる。
今日の天候は少し風が強く雲もあるが、合間に差す太陽の光は暑いくらいに眩しかった。天気晴朗なれども波高し、だ。
申公豹は年甲斐もなく心が浮き足だっていた。森を進むその足取りは軽い。黒点虎と共にもぎ採ってきたもの。そう、今日の手土産はよく熟れた食べごろの枇杷だ。見つけた相棒は昼寝を決め込んだので今日も一緒に付いて来てはいないが、密かに心で謝辞を述べる。
好いた相手の笑顔はなかなか見られないが、たまに柔和な表情を浮かべている事を知っている。それを少しでもたくさん長く見ていたくて、ここ数日は色々と手をつくしていた。今日のこの手土産にも喜んでくれると良いのだが……。
森を抜け老子の眠る家に着くと、申公豹は相変わらず鍵の開いたままの扉に手を当てる。師があまりに戸締まりに無頓着だったので、前回帰る時に簡単な封印を結んで閉めておいたのだ。老子が外に出たければ簡単に解けるもので、あくまで他の侵入者が入ろうとした時にだけ発動する鍵に過ぎないし、高等な仙人であれば楽に解けるだろう。その鍵も誰も通った痕跡はなく、今日もいつも通りだ。
「おはようございます。我が師よ」
光溢れる造りの小さな家はいつでも空調が効いていて、今日も程よくからっと涼しく、日向にいれば温かい。寒ければ薄毛布を被れば丁度よいくらいで、実に快適だった。
「今日は少し風が強めですが、爽やかで良い天気ですよ」
弾む心のまま、早々に老子の様子を見に行く、どうせいつも来た時は寝てばかりだ。老子がその寝台から動くことは殆どない。想像通り今日も老子は傾世元禳の布の中で守られるように埋まり眠っていた。
「老子、起きてくださいよ。そうそう、今日は来る途中に立派な枇杷の実が成っていたのでいくつかもいで来ました。お茶の葉用に葉も少し」
老子は自分がこの家に入った時から……否、この森に入った時から既にこちらの存在には気づいていたことだろう。侵入を拒まれなかった、ということは許されているという事なのだ。
当の老子は、やはり緩慢な動作で身を起こした。
だが、いつもと様子が違うことに申公豹はようやく気がついた。これ以上、近づいてはならない。勘がそう告げて歩みを止める。
「あのね、申公豹」
「はい、何ですか」
話しかけられた声はひどく穏やかで、いつも通りの落ち着きを見せているのに、長年の勘か、はたまた虫の知らせか、申公豹は気づいた。今、老子は怒っている。しかも、猛烈にだ。
「いい加減にしてくれるかな」
「はい???」
顔を上げ、申公豹を射抜く瞳は全てを焼き尽くす業火のごとく、太陽のような黄金色に燃えていた。いや、そう感じただけかもしれない。
爆発的に放たれた老子の霊気が室内を吹き荒れる。空調が効いていたのではなかったのか、と思えるほど背筋が凍る。申公豹は久々に『恐怖』という感情を呼び起こしていた。固まった腕の隙間から枇杷たちがころころと零れ落ちる。
「毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、ここへ来て……一体どういうつもりなんだい?」
ふわり、と老子が浮く。傾世元禳を纏い、霊気を放ちながら宙を浮く様は眩しく、神々しさすらあった。相変わらず表情はないのに、声も普段通りの穏やかさなのに、申公豹には対抗するという意識すら既に燃やし尽くされていた。
並の仙道であればこのあたりで気を失っていそうだ、と思いながらも申公豹は極めて冷静に努めて言葉を選ぶ。額から流れる冷や汗に、本当に自分が冷静なのか疑問を持ちながらも、だ。選び違えたら死……にはしないが、当面は面会拒絶だろう。
「貴方様が好きにしても良いとおっしゃるので、言われたとおりに好きにしていました」
本当に好きにしただけだ。断じて手は出していないし、不用意に触れてもいない。毎日顔を見に来ては「今日も美しいですね」などと言って、世間話をして帰るだけだ。怒られるような事は何もしていない。していないはずなのだ。
「確かに私はそう言った。君の好きにすればいいと。けれどね、君が来ると、私の安眠が妨げられるんだよ。だから毎日は来ないでくれるかな」
その言葉はなかなかに衝撃だった。まさか安眠妨害でここまで怒られるとは思っていなかった。
そもそも老子は常に寝ている。人間に必要な睡眠時間は成人で7~8時間と考えられているが、老子は遥かにそれを越えて眠っているし、そもそも人を越え、仙人さえも越えた存在『真仙』である老子は特に眠る必要がないのだ。
しかし、口答えはしなかった。もうこれは謝るしかなかない。神とは予期せぬような事で怒るものだし、理不尽なものなのだ。と、数々の神話を思い返しながら割り切る事にする。
「はい、ごめんなさい。もうしません」
生まれて始めて、冗談ではなく誰かに謝った気がする。
申公豹は本当に怖かった。ただ怒髪天が如く怒る老子も、大層に神々しく美しいものなのだと、畏怖しながらも申公豹は心の中で思っていた。
どうやら、感情的になっている彼を見ると、自分は興奮する性質だと言うことなのだろう。なので、それはもう殊更素直に謝った。
「ならば、許す」
フ、と放たれていた霊気が止まる。宙より寝台へと降り立った老子は、用が終わったと見るや再び傾世元禳を被って寝転がる。怒りが納まるのもまた一瞬だった。正に神の怒りのような、先程の怒りは本当にあったのかと思わんばかりの静けさだ。
「それで……あ、あのですね。老子」
床にばら撒いてしまった枇杷を一つ一つ拾い上げながら、申公豹は老子に問いかける。人をからかうのが趣味の申公豹にとって、他人から怒りを向けられるという事は慣れた事ではあるのだが、何せそれで謝ったのは初めてなのだ。再度怒らせる事は避けたいと、また言葉を選ぶ。
「私はどれくらい間を開ければ、貴方に会いに来て良いのですか?」
簡潔が一番だ。素直に聞くのが吉だろうと判断した。
老子は寝台の上で暫し沈黙して考えると、いつもの緩さで答えた。
「せめて半年に一回にして」
「そんな! 殺生な!! あまりにも長すぎて私が死んでしまいます!! せめて週一で!!」
「だめ。一ヶ月……」
例え再度怒られても、半年に一回など認める事などできなかった。仙人は長生きだから一年が短いとか、半年など瑣末な時間だとか、そんな話ではない。そんなの一度逃してしまえば織女と牽牛の伝説レベルではないか。暇を持て余している今の申公豹には辛すぎる。
「か、か、隔週で……。来ても眠りを妨げたりしませんから!!」
ここまで来るとまるで値切り交渉のような駆け引きだ。
起こすのが駄目ならば、せめて健やかに寝ている姿を見られるだけでも良い。どちらにせよ老子の感知圏内に入れば、眠っていようが認識されるのだから、起きたい時は起きだしてくるだろう。
申公豹は老子を凝視しながら祈るような気持ちで返答を待った。一呼吸、沈黙が流れる。
「なら、それでいいよ」
老子の言葉に、申公豹は胸を撫で下ろす。
そういえば、元々は気まぐれでしか訪問していなかった事を思い出す。確かに、毎日はいきなりにやりすぎだったかもしれない。
人には人の領域、パーソナルスペースというものがある。老子とてそれは人と同じで、知らぬ間にそれを侵してしまっていたということだ。
だが、申公豹は首を傾げる。
「というか、もう女媧の夢は覗かなくても良くなったのに、なんでそんなに寝るのが好きなのですか?」
実のところ、怠惰スーツが壊れたあの時「しめた」と思った。彼と初めてあった時から彼を守っていたものは、おそらく己の最強宝貝でも破壊が難しいような代物だったからだ。
いや、実際は師に歯向かうなど考えたこともなくて実行には移していない。女媧との大戦中に電力が通る事は確認できたのだが、睡眠から覚醒させる目的以外に師に対して使う気はなかった。
だから、それが破壊された時、今後の師は強制的に覚醒するものだと思っていた。が、結果はこの通りだ。
老子はそんな申公豹の不満を容易く見抜くと、ゆっくりと諭す。
「君は自分のセンスを誰かに貶されると怒るだろう? それと一緒だよ。人に色んな欲がある。三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲。他にもたくさん……承認欲求、自己顕示欲、遊戯欲、知識欲、支配欲……色々あるけれど、私が最も求めたのは三大欲求最後の睡眠欲だった、それだけだよ」
「つまり、貴方は寝るのが趣味で生きがいだと……」
「そういうこと。君の知識欲や承認欲求が強いのと一緒。何ら変わりはない」
そう言われると理解できる。というか、理解せざるをえない。ついでに湧いた疑問を追加する。
「ちなみに、私のセンスはどうお思いで」
「うん、かなりどうでもいいかな。というか世捨て人の私には理解できない範疇だし、そもそも私も数千年同じ服だから、私にセンスを説くことが既にナンセンスだね」
「ですよね」
大概、初めて会う仙道には胡乱げに見られるのだが、彼が全く動じないのはこのあたりにあるのだろう。良いような良くないような。別に褒めてほしかったわけではないのだが、改めて聞くとどこか残念である。
「貴方が人とは違う存在なのは理解していますが、寝過ぎで頭痛になったりなどはしないんですか」
「しないよ。人が休息するための睡眠とはまた違うものだからね」
「そうですか……貴方が苦しい思いをしないのであれば、私はそれでいいでしょう」
確かに陽だまりの中、気持ちよさそうに居眠る師を見るのは嫌いではない。怠惰スーツを纏って眠っていた頃は、何故か強制的に眠らされているようにも見えたのだが、今はそうは感じないからだ。
申公豹は枇杷の実と葉を拾い終わると、一息ついて炊事場へ向かった。
ここの炊事場は太乙真人のミラクルな発想により作られており、なんと蛇口をひねるだけで水や湯が出てくる。雨水を貯水したものをろ過して利用しているらしいのだが、使われている感じはしない。他にも湯浴みができる小部屋などもあり、全て老子の能力で動かされている宝貝のはずなのだが、宝の持ち腐れとはこの事だろう。勿論、どこもかしこも使われた形跡は殆どなかった。
枇杷についた砂埃を丁寧に洗い流し、葉は裏の産毛を取るようによく洗う。葉はこうしてからよく乾燥させて煎ると茶葉になるのだ。次に来る時にはきっと茶も楽しめるだろう。
一通り作業を追えると、申公豹は老子に声をかける。
「ところで老子、枇杷。食べますか? 落としてしまったので、当たった部分もあるかもしれませんが」
せっかく黒点虎が機転を利かせてくれた手土産なのだ。ドライフルーツにしてしまうのは些か抵抗があるし面倒くさい。
先程、怒らせてしまったが、今の老子は否なら寝たふりをするだろう。そんな気がする。
見事に熟れた枇杷を籠に入れて近づくと、老子がむくりと起き出した。興味はあるらしい。
「へえ、見るのは何百年ぶりだろう。そうだね、君が剥いて食べさせてくれるなら、食べようか」
「……。…………。え!?」
その言葉に一瞬固まる。
「それは、あの……宜しくないのでは」
「何が?」
枇杷を食べたことがある者なら誰でもわかるが、枇杷という果実はおおよそ切り分けたりするものではない。自らで薄い皮を剥き、中心にある大ぶりの種を避けるようにしながら果肉の部分を齧るものだ。
それを他人の手で?
というか、老子の口元に実を運ぶ?
それは色々と我慢している申公豹にとっては精神力を試される苦行だ。
老子が無言で手の見えない袖を動かす。はたはたと動く袖から手先が見えることはなさそうで、暗に「手を使いたくない」という意思表示なのだろう。
「わかりました。わかりましたよ。私が剥きます。剥かせていただきます!」
「ありがとう」
ふわり、と老子が微笑む。なんて綺麗なのだろう。そうだ、この顔が見たかったのだ。そう思えば、今からの精神攻撃など容易いものだ。これまで培ってきた功夫が試されると言っても良い。
申公豹は籠から一番美味しそうな枇杷を選び出すと、食べやすいように丁寧に薄皮を剥く。瑞々しい果汁が指に滴る。
「全く、枇杷を自分の手で食べない人なんて見たことありませんけど」
「だって私は人ではないもの、本来食べる必要すらないのだから」
「そうですね。はい、剝けましたよ。落とさないでくださいね」
手から枇杷の実を落とさぬよう、用心しながら老子の口元まで運ぶ。流石にここからは本人に齧って貰わないと食べさせようがない。
だが、老子は枇杷に口を付けず、申公豹の指に滴る果汁をぺろりと舐めた。
「ぅわぁぁ!!! 何してんですか貴方は!!!!!!!!!」
「え、滴り落ちそうだったから」
今ので枇杷を落とさなかっただけでも褒めて欲しいほどに申公豹の心臓は撥ねた。
そのまま老子は予定通りと言うように、枇杷に齧り付く。ただそれだけのことなのに、その姿があまりにも扇情的に見え、申公豹は思わず見惚れてしまった。否、ここは目を背けるべきだったのか。本当にただ枇杷を食べさせているだけなのに、何なのだろうか、この背徳感は。
枇杷を普通は手自ら食べるのは、その果肉を食べ尽くす事が難しいからだ。林檎と同様にして、食べ進めるにつれ食べ辛くなるのだ。林檎より小さな枇杷は、更に難しいだろう。
「あのですね。老子」
「……ん?」
咀嚼している老子から枇杷を取り戻し、残りの部分を齧って果汁のついて指を舐めると、残りの枇杷の入った籠を持ち上げる。ひっそりと間接キスなのは、この際さらりと水に流す。
「枇杷、切り分けてきますね」
そそくさと席を立ち、炊事場へ向かう。そうだ、薄皮を剥いて種を取り除き半分に割れば良いのだ。さすれば、楊枝などでも食べさせることができる。親鳥が雛鳥に手自ら食べさせるように、わざわざ口元に運ぶ必要もない。
どちらにせよ、近距離で彼が咀嚼するところを見ざるを得ないのだが。
次から手土産はもう少し慎重に選ぼうと、申公豹は枇杷を剥きながら考え直すのだった。彼の苦行はまだ続く。
というわけで、今回は毎日通い妻(笑)してくる申公豹に老子がブチ切れる話でした。
その後に何事もなくイチャイチャしてるんですけど、手を出さないと誓っているウチの申公豹に新たなる試練が……という方向に進んでしまいました。
なんでこうなったの?
酷くないです?
自分で書いてて老子ひっどいなー!!!とか思ってしまいました。
まぁ、悪いのは私の性癖だけどねっ(にこっ)
絵的になかなかリビドーな感じなので絵のほうが映えそうだな~と思いつつ
私は絵描きじゃないのでパス……妄想でお願いします。
そしてオチが甘いまま終わるのだった。
ほんとオチって難しいですよねー。
ところで話に挟んだ『織女と牽牛の伝説』は南北朝時代ごろかららしいですね……
わー、未来だー……でもいいいんだーWJ封神演義だもーん。(なげっぱち)
[2回]
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