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貴方を忘れてしまえたら(彩雲国物語 旺季×晏樹)

【登場人物】晏樹 旺季 皇毅 悠舜

【CP】旺季←晏樹の旺晏 一部皇毅×晏樹

【備考】
本編最終巻を読んだ後に考えていたため『骸骨を乞う』(原作)とは違う『IF』話になっています。
あと話の都合上、皇毅×晏樹のR15くらいの展開が一部あります。













思えば、これまで平然と在れたのが不思議だったのだ。





 ある夜、彼は夢を見た。
満天の星空なのに、雨が降っていて、遠くは霧で見えない、おかしな空間だった。
彼は誰かと懸命に走っていて、胸が苦しかった。何に追われているのか分からないが、足を止めてはいけないと思ったから、野草で脚や服が切り裂かれても、後ろも見ずにただ走った。走り続けた。
それが不意に、手を引いていた彼がガクンと止まる。
手が離れてつんのめりそうになり、慌てて踏みとどまって引き返した。
離してしまった手の己が主、それも漠然とわかっていた。

「旺季様、走って!」

立ち止まった旺季は、穏やかな表情で己を見ている。
言葉は何も発しなかった。

「お願い、諦めないで、自分を殺さないで。貴方じゃないと、だめなんだよ!」

 声は届いているのかいないのか、旺季は佇んでいる。
彼は咄嗟に手を伸ばした。
しかし、先程は目の前にいたと言うのに、彼の手は空を切る。
少しずつ旺季が遠くなる。
気づけば雨は、桜吹雪に変わっていた。
彼の身体は重石がついたように動かず、ただ離れゆく愛しき人を見つめた。

 あの人が愛しいのだと、初めて理解した。
自分の中にそんな感情が潜んでいるなんて、思ってもみなかった。
ずっと知らなかった、分からなかった、だから無視もした。
それでも溢れ出て来るから、憎いんだと思って殺そうとした。嫌いだと言い続けた。
自分のために無関心になろうともした。何度も捨てようと思った。けど、できなかった。
この身体から溢れ出してくる想い、胸が痛くて苦しくてはちきれそうだった。



あの時は泣かなかったのに……



あの時とは何時?



ああ、思い……出せない。



 ただ涙が、熱い涙が止まらなかった。
行かないで、捨てないで、僕の前から消えたりしないで。
ごめんなさい、もう我がまま言わないよ。



だから、だから――






 そこで、晏樹は目が覚めた。暗い天井に、徐々に焦点が定まる。
月明かりが入り込み、やんわりと自分の部屋を照らしている。
とても苦しくて、悲しい夢を見ていた。
瞬きをすれば、目尻から雫がこぼれていったのがわかる。

「わぁ、やだな、何これ」

先程まで見ていた、朧気な夢を思い返すと記憶が徐々に蘇ってくる。
その想いの奔流に、顔に血が上って来るのがわかる。

「さいあく……」


晏樹は袖で涙を擦りながら、この世の終わりとばかりに呟いた。
その声が僅かに震えていて、晏樹は更に気分を降下させる。
夢だったから、曖昧であったり変な部分は多かった。だが彼はこの記憶の元を知っていた。

これまで、あえて思い出さなかったのに……今頃になって、なぜ?

しかし、火のついた想いはもう消えそうになかった。
こんなの自分らしくないと思うのに、それすらも無視をして感情が暴れる。

「こんなの初めてだよ。旺季様。」


貴方に会いたい


でも今は、顔を合わせられそうにないよ。


 彼の行動が変化したのは、あの夢を見てからだった。
胸が痛くなるほどに会いたいのに、これまで自分を自分だとたらしめていた部分が、その感情を否定していた。

会いたいのに、会いたくない。

自分自身でさえ把握できないでいた、焦げてしまいそうな強い想いを、隠さず漏らさず当人に伝えてしまったなんて世紀末規模の大失態だった。
今更ながらに恥ずかしくて、どうすればいいかわからなくなり、感情を持て余したまま、晏樹は執務室の窓から空を見上げた。

そして、ぼんやりと数日がすぎた。






「晏樹の様子がおかしい?」

「ああ、ここの所、えらく真面目に仕事をしている」

 悠舜の執務室まで書簡を届ける役をいつもの使者に任せず、葵皇毅が直々に来たものだから何かと思えば、そんな用。

「おや、見張りの者からは特に報告はないのですが」

 悠舜は特に興味示さず筆を走らせる。
晏樹には先の件の事もあり、未だに見張り兼護衛の者がついていた。
変な行動をすれば、すぐに報告がくるはずだ。

「仕事だけはしているからな、問題はその他の行動だ」

「生活も普通だと聞きましたが?
一昨日会った時も相変わらずヘラヘラしてましたし、特に変には見えませんでしたよ」

そっけない悠舜に、皇毅はどう言うべきか少しだけ迷った後、何事もないようにポツリと漏らした。

「いや……この十日ほど、旺季に会っていないようだ」

そこで、ぴたりと動きを止めた悠舜は、静かに筆を置くと同時に呟いた。

「それは、おかしいですね」

 晏樹は自分では認めていないが、他は認める大の旺季好きだった。
暇な時は大概、旺季の近くにいるか遊び歩いている。
旺季に対して機嫌が悪いときも、殺そうと気まぐれに手をかけようとした時も、離れることはなかった。
数々の策謀のために長い時間を離れる事がなかったわけではないが、傍にいれる時は、必ず傍にいたのだ。

「まぁ、大体あの馬鹿が何を考えているか、察せますがね」

「ほう。ならば放っておいて問題ないか? 私もあの馬鹿に構っているほど暇ではなくてな」

「ええ、いいでしょう。何とかは犬も食わぬと言いますしね」

気を取り直したように、悠舜が筆を取り直すと、それが合図かのように皇毅も踵を返す。
だが、その背中に「でも」と言葉が投げかけられた。

「でも、そうですね。彼の方から構ってと言ってきたら、構ってあげてください。
きっと面白……じゃなかった。珍しい一面が見れますよ」

その言葉に、是と答えるように、普段は氷の面を崩さない皇毅は鼻で小さく笑って出て行ったのだった。
結局のところ、幼なじみの小さな異常が見過ごせない不器用な優しさと
『構ってちゃん』の意向を受け入れてやれという、少し曲がった優しさゆえなのだが……
それに気付く者も、突っ込む者も、この部屋には存在していなかったのである。





 そして、また幾日か月日は流れ、皇毅はさほど変わりなく過ごしていた。
 変わった事と言えば、若い者達を鍛えるために地方に飛ばし、ごちゃごちゃと慌ただしくなっていたのが、ようやく落ち着きを取り戻しつつあるくらいだ。
勿論、官吏達の仕事が減るはずはなく目に見えて増え、変わらず多忙な日々は続いている。
それには凌晏樹も漏れずに入っており、普段は自堕落な彼が、驚く程まともに仕事に励んでいた。
ただ、旺季に会わないという奇異な点を除けば……だが。
 皇毅は彼を思考の内に入れないことはなかったが、自ら首を突っ込むことはなく、悠舜と共に遠巻きに見ているだけにしていた。
昔の晏樹を知る官吏は、彼を恐れて近づかぬままなので、事態はかき回される事もなく、ほんのりと変な噂が立ち始めた。

噂曰わく

彼は旺季を捨て、諦め悪くもひそやかに謀反を企てているのだとか

溝が埋まらないほどの仲違いをしたのだとか

主が変わったのだとか

まぁ、色々あるのだが……。
晏樹の素顔を知る者などさして多くはないこの場所で、それは勝手に一人歩きをして、よくわからない噂もチラホラ聞いた。
皇毅の耳にまで届くほど、晏樹は話のネタにされていたのだった。
噂の真相になど興味はないし、あの馬鹿が真面目に仕事に励んでいるのであれば万々歳だ。
そう皇毅は思いながら、旺季の執務室に連なる道を足早に移動していた。
その時だった。

 嗅いだことのある香に気を止めて、普段見ることのないような暗闇に目を移してしまったのが失敗だった。
普通に道を歩いていては、おそらく見えない樹の陰にちらりと見える、薄い色素のふんわり髪。
あまりにも一瞬で、凡人は気にも止めない存在感だ。
そして、今は感じないが、先ほど風に乗ってやってきた、慣れたあの香り。
まさかと思い、遠目に周りこんでみると、そのまさかが座り込んでいた。
一瞬無視しようかと思ったが、自身をなぶっていた凍えた風が彼の髪に纏わりつくのを見て、息を吐きながら近付く事にする。


「晏樹、何をしている」

 不意をつかれたのか、その肩が目に見えて震える。
だが聞き知れた声で安堵を取り戻したのか、ゆっくりと振り向いた。
そういえば、ここは旺季の執務室の丁度下にある位置だ。

「やぁ、皇毅じゃない。なぁに、僕を笑いにきたの?」

見つかった事は、彼にとって面白くない事だったらしい。
茶化したような言葉の軽さとは違って、声色は冷たい。

「違う、俺は何をしているのかと問うているのだ」

木の根に腰掛け、三角座りをして見上げて来る晏樹は、少し幼く見える。

「笑えばいいじゃないさ」

ぷくっと頬を膨らませて、膝に顔を埋める姿を見て、会話が成り立たないなと呆れた皇毅は、何を言うわけでもなく、変な晏樹を観察した。
思案しつつ、言動が子供っぽいから幼く見えるのだと気づく。
それから、面白くなさげにふてくされている晏樹の隣に、同じように腰を下ろした。
それを見て、晏樹は拒絶する事もなく、ただ目前の建造物を見上げた。

「会いたいんだ、旺季様に。だからここに来たんだよ」

おそらく、今日が初めてではないのだろう。
よく見れば、寒さを凌ぐ為か羽織り物まできっちりと用意してある。

「でもおかしいよね。どんな顔して会えばいいのか、全然わからないんだ」

呟きのような小さな声も、静けさのため漏らさずに聞き取れた。
自分でもおかしいと思ってはいるらしい。何時もの腹が立つくらいの自信は、欠片も感じなかった。
寧ろ、高い窓を見上げる瞳は、酷く寂しそうにすら見える。

「だからこうして、毎回近くまで来ているのか? とんだ馬鹿だな」

会いたければ会いに行けばいいものを。

「うるさい! お前にそんなこと、言われたくない」

率直に感想を述べたのだが、返って来たのは不機嫌な怒声だった。
晏樹が素直に感情を他人に吐露する事は、実はさして多くない。
その数少ないぶちまけられる相手であると理解していたが、先ほどは「笑っていいよ」と馬鹿にすることを許容した癖に、それはないだろうと顔をしかめた。

「お前は一度、旺季様を捨てたのに! 最後まで一緒に居た僕がこんな思いをするなんて、あんまりだ」

たし、たし、と力ない平手で足を叩いて来るのだから、何がしたいのかよく解らなくなった。
元より、晏樹という人物は非常に計りにくい男だった。
幼なじみの自分でもそう思うのだから世間では尚更だろう。
ただ言えることは、とても繊細で複雑だということだ。
その癖、気まぐれで天の邪鬼で、自分の本音を隠したがる。
全く、悠舜や旺季でないと手に負えない男だ。
そこへ思考を辿り着かせた皇毅は、ため息を吐きながらゆっくりと立ち上がった。

「そうか、ではな」

これまでも晏樹は、何度も何度も旺季の傍を離れた事があった。
旺季を傷つけたり、亡き者にしようとしたことすらある。
しかし、必ず傍に帰って来たし、旺季が今も息災なのが何よりの証拠だった。
晏樹は絶対に旺季を殺せない。
否、殺させもしないくらい、絶対的な存在なのだろう。
ならば、自分に踏み込む余地などありはしない。

しかし、背を向けて歩を進めた直後、クンと裾を掴まれた。

「待って」

しっかりと耳に届いたのに、まるで消え入りそうな声だった。

「僕も、連れて帰って。大人しくしてるから、ね?」

お前がそう言って、素直に大人しかった試しなどあるか?と、思ったが、次に重なった晏樹の手が、予想以上に冷たく、皇毅は無言でそのまま手を引いて歩きだした。


 用事を終わらせるまでの合間、晏樹は本当に大人しく、じっと外で待っていた。
出てきた時に、はにかんだように少し微笑を浮かべたが、すぐに勝手に腕を取って歩き出し、表情は見えなくなった。
外で殊更冷え切ったのか、晏樹の手は酷く冷たくて、皇毅はしょうがなく腕を解いて手を握りしめる。
ちらりと視線を感じたが、面倒なので無視をした。
いつも饒舌な晏樹は、ここに来てからは無口で、一言も喋らない。故に会話はなかった。

 手が冷たい人は心が暖かいのだという。
では、手の暖かい人は心が寒いのだろうか?
こんなに手を冷やしている晏樹は……?
そこまで考えて、直ぐに馬鹿馬鹿しいと思考を追いやる。
とりあえず、この凍死しかねない馬鹿を連れ帰る。今はそれでいい。

 そして寒い寒い木枯らしの中を二人は何かから逃げるように歩いて帰った。








「僕ってさ、旺季様にとって、もう用済みじゃない?」

 宿泊用の自室に連れ帰って開口一番、晏樹から飛び出たのはそんな台詞だった。
身体を暖めるための白湯を用意していた皇毅は、顔には出さなかったが、心底驚いた。
この男との付き合いは長い。
だが、自分を否定するような言葉だけは、一度も聞いたことがなかった。
そんな晏樹は、皇毅の反応などどうでも良さげに、ぼんやりと窓の外を見ながら続ける。

「朝廷では僕の力が役立つとか、そんなのはどうでもいいんだ。……いや、やっぱりよくないかな。
旺季様がここで生きていくって決めた時に、僕の心も決まったはずだから。
まだちょっと王様は憎いけど、あの方が死んでしまうくらいなら、膝を折るくらい何倍も何倍もマシだって思ってる」

何が言いたいのか、皇毅は大体予想がついた。
しかし、それを本人の口から聞くとなると、複雑でもある。
何時でも自分の為に生きてきたという晏樹。彼の全ては自分中心で回っていて、自分のために旺季を王にすることを望んだ。
文字通り、いらないモノは全て切り捨てて来た。
そんな彼が、自分を否定する、それはすなわち……

「けどね、僕は役に立たないものは嫌いなんだ。大嫌い。消えて無くなればいいのに。
策がいらなくなったあの方に、僕が必要なわけがないんだよ」

皇毅は普段から、自分は面白くない顔をしていると認識しているが、この時ほど自覚したことはなかった。
無言で湧いた白湯を湯のみに移し、長椅子で脚を抱えている晏樹に一つ差し出す。
素直に受け取った晏樹は、ふうふうと軽く冷ますと、ゆっくりと白湯を啜った。一呼吸の時が流れる。

「僕ね、旺季様を亡くしそうになって、初めて自分の気持ちに気がついたんだ。ほんとやだよね、最悪。
僕は僕の為に生きているのに、僕の為に生きようと思ったらあの方が不可欠なんだもの。自分でもビックリしたよ」

少し落ち着きを取り戻したのか、晏樹の表情に微苦笑が混じる。

「俺と悠舜は気づいていたがな」

「うう……。僕をダシにするなんてひどい」

「悠舜だからな、お前では勝てん」

それに「ひどい」なぞお前に言えた台詞かと心の中で突っ込みながら、皇毅は窓を閉めようと静かに移動した。
今夜は、冷える。
きっと明日には、この冬最初の積雪が観測されるだろう。

「でも、そんなの気持ち、気づきたくなかったな。
伝えるのはもっと嫌だった。今更で恥ずかしすぎるよ」

頭を抱えてがっくりとうなだれる晏樹は、心底弱っているのだろう。
たまには悩め、と思ったことはかなり多いが、実際その姿を目の当たりにすると、皇毅にはどうすればいいか分からなかった。
だから彼に背を向けて、窓を閉しめたのかもしれない。
その背中に、今にも消え入りそうな声が届く。

「それでも旺季様がね。大事なんだ」

知っていた。その上で利用もした。ただ、誤算だったのだ。
そこまで依存していたなんて、誰が気づけただろう。

「感情に振り回されて、上手く行かないくらいにか?」

そう、問うてみる。
いつもは楽に切り捨てるだろうに。
恋だの愛だのも、手のひらで遊べる駒のごとく扱うのが、お前だったはずだ。

「そう。だから最悪」

落ちてきた前髪を、かきあげるようにして顔を上げた晏樹は、酷く憂いを浮かべた表情で、どこでもない一点を見ていた。
気怠げな雰囲気は、少し艶があるように見えた。
そんな、まさか、晏樹を相手に?
その思想を否定しようとした、その時

「ねぇ、皇毅。抱いてよ」

ポツリと呟かれた言葉に、皇毅は消そうとしていた心が暴かれた気がした。
ゆっくりと注がれる真剣な表情。
いつものからかいでは、ない。

「……。」


言葉に詰まる皇毅を、真正面から捉えた晏樹は、小さな木の軋みと共に椅子を立った。
そして、甘い香りを漂わせながら、ゆっくりと近付く。

「ちゃんと、気持ちよくしてあげるよ。こう見えても上手いんだから」

笑い方を思いだしたように、妖艶は微笑を浮かべながら、晏樹は皇毅の首に腕を回した。
皇毅は相変わらず無表情なままで、瞳に晏樹を映している。


「君が望むなら、僕は大人しく抱かれるよ。ちゃんと言うことも聞く」


晏樹が本当に触れて欲しいのは、皇毅ではなかった。
昔も今も、ずっと想い人はただ一人。
その触れて欲しい人は、既に自分など眼中にないから。
寧ろ、もう顔すら合わせられなくなってしまった。


だから、晏樹はこの想いを捨てる事にしたのだ。


二度と手の届かない人。
二度と傷つけたくない人。
ずっと傍に居たいのに、想いが強すぎて、壊れてしまいそう。
そんな自分が嫌いで、あの人にとって何の役にも立たなくなってしまうならば、いっそのこと、この気持ちを捨てればいいのだ。
これまでも、沢山の物を捨てて生きてきたのだから、できないことはないはずだ。

 ただ、晏樹は自分の気持ちを殺した事などなかった。
何時でも感情には素直に生きてきた。
化かす為に演じたりもしたが、感情にだけは素直だったのだ。
そして晏樹は、皇毅を選んだ。

皇毅は、どこか旺季に似ているところがある。
誰も本人には言わないが、恐らく薄々感づいているだろう。
真面目で、賢くて、奥手で、冷淡で、けれど実はとても優しい。
だから、皇毅は許してくれる。
そして、手伝ってくれる。
あの人を忘れる為の儀式に。


「お願い、皇毅。これであの人への想いは、さっぱり忘れるから。少しだけ、僕に力を貸して」

ずる、と胸に顔を埋める。
きっと、情けないと思われているだろう。
けれど、そういう人を放っておけないと知っていた。
優しい優しい僕の幼なじみ。
大嫌いだけど、大好きだった。
利用もしたし、利用もされた。

「では、目を閉じていろ。抵抗はするな。想いたい者でも想像しておけ」

いつもの固い声が降る。

「ありがとう、皇毅」

晏樹は、まるで泣き笑うかのように、くしゃりと顔を歪めた。









 あの日、心中しようとする旺季様を止めようとして、組み敷かれた時。
実はね、ちょっと嬉しかったんだ。これなら死んでもいいかなって。
生きてても、きっと二度とこんな事ないよねって。実際ないわけだけど。

 明日になったら、忘れるよ。
僕らしくないこんな想い、忘れてなかったことにしてしまうよ。
ごめんね、皇毅。
だから今だけは許してよ。

忘れるから
何もかも、ちゃんと忘れるから。




わすれるから




そうして彼は、翌朝に姿を消した。






何故、彼を想ってしまったのだろうか?
何故、その想いに気づいてしまったのか?
何故、その想いを告げてしまったのか?
何故、その想いを捨てられなかったのか?

忘れてしまえたのならば、こんな苦しむ事もなかったのに……








 晏樹は、寒空の下、宛てもなくフラフラと郊外を歩いていた。
城を出てから三日程が経っただろうか、家出同然で行方を眩まし、一度も連絡は取っていない。
己に見張りがついている事も知っていたし、常ではないが時たま視線を感じる。
不快だが悠舜あたりには行き先がばれているのは明白で、おそらく戻れば皆から大目玉を食らうだろう。
 だが、晏樹に戻る気はなかったし、戻れなかった。
一昨日の昨日も遊郭で飲んだくれながら過ごして、ぼんやりと昼頃に目を覚ましては、今日こそは貴陽を出ると決意して外に出る。
昨日は正門道まで、今日は正門前まで来たのに、毎回「見頃になったあの花を見てからにしよう」だとか「あそこの店の味を堪能してからにしよう」だとか、何らかの理由で留まっていた。
そして、黄昏時が近付いては遠くの城を見上げ、胸を痛ませた。

帰りたい、傍にいたい。

けれど帰れない……。

 何度も何度も家出同然の事はしてきているのに、どうも今回は勝手が違って不愉快だ。
それでもこうして、無意味にふらふらしているのは、やはり未練があるとしか考えられず、家出した張本人は自分自身に苛ついていた。
気持ちの整理がつかなくて、答えを求めるようにただ彷徨う。

どうすれば良かったって言うの?

 想いを告げたって、心は愚か体すら届かない。
思慕を抱いたのは、そういう相手なのだ。
無謀すぎて笑ってしまう。
皇毅で良かったじゃないか、と思う。
彼に伽を頼んだ理由は、単純に旺季と似ていて、自分に優しいからだった。
皇毅には悪いけれど、偽りでも一度だけ想いを叶えて、それでキッパリ忘れよう、そうして全てを捨てて、もう自分のためだけに生きよう。そう考えたのだ。

 晏樹にとって、何かを捨てるのは簡単なことだった。
綺麗な服も、豪奢な家も、美味しい食べ物も、仲間も、友達も、思いも、善良な心も、情けも、誇りも、何もかも捨ててきた。
だから、訳ないことなのだ。
簡単なのだ。
容易なのだ。
そのはず、だったのに……

「旺季様」

捨てられない者の名前を呼ぶ。
いっそのこと、本当にあの時に心中しておけば良かったとすら思う。
否、自分だけでも殺しておいて欲しかった。
初めて自覚してしまった、身を焦がすような想いは、絶対に届かない。生殺しもいいところだ。

好きです。旺季様。
貴方は僕の全てだった。
けれど、あなたの全ては僕じゃないよね。

あなたに触れたい。
触れてもらいたい。
名前を呼んでもらいたい。

あなたに会いたい。

旺季様。


 不意に涙が零れ落ちて、晏樹はぎくりとした。
感傷的になって泣くなんて、まるであの忌まわしい夢の続きのようだった。
泥沼に突っ込んだまま動かない手足の感覚。
何とも言えないあの恐怖。
忘れたくて、耳を塞いでうずくまる。
寒い、とても冷えた風が、心まで凍てつかせるように吹き付けていった。



 旺季はきっと迎えになどこない。
これまでもそうだった。
ふらりと家出して放れても、彼は咎めることはしない。
離れるのも自由、戻るのも自由、飛び立つのもきっと。

 けれど、あの時は、彼の傍を離れる理由を知らなかった。
だからこそ自由だった。
今は違う。彼に対する想いを知った。自ら課してしまった束縛だった。
それが怖くて逃げたのだ。

会いたいという気持ちと、会えば彼への想いで壊れてしまうという恐怖が同時に存在した。
心の迷いは自分にとって恐怖でしかなかったのだ。
だから戻れない。
遠くそびえる城壁は、酷く高くて厚く見えた。











「いい加減、帰って来ませんね」

 外は、曇り空だった。
遠くにより黒い雲が、時たま閃光を放ち、唸りながら近づいてくるのがわかる。
もうじき、雨が降る。
空気が湿気を帯びていくに連れ、痛みが増していく脚をさすりながら、悠舜はふと息を吐いた。
晏樹が城を出たと言う報を受け取ってすぐ、皇毅の話を聞いた。
これはいつもの『晏樹が負ける根競べで』はなくなるかもしれない。
故に、すぐに城に連れ戻す事はしなかった。
連れ戻す事は容易だったが、それでは何も解決しないと思ったのだ。

「旺季殿、迎えに行けとは言いません。ですが、話をしに行ってはどうですか」

書簡に目を通している彼は、目線すら離さず淡々と告げる。

「私もあれも、素直でなくてな」

「わかりました。一芝居書きますから、拾いに行ってきてください。皇毅殿も」

無言で、皇毅が首肯する気配が伝わる。
それに続いて、書簡をしまう音も聞こえて、悠舜は少しだけ胸をなで下ろした。

 晏樹は好きではなかった。
けれど、心を推し量れる者として、彼が賭けてきたものも知っていた。
いや、初めて知ったのかもしれない。
無かったはずの心は、実は硝子で出来ていた。
それは、あまりにも透き通り、ピカピカ光るものだから、闇に慣れていた彼を暴き出して、眩ませたのだ。
いずれ砕けて、刺さってしまわないように。
できることが限られている自分は、せめて手を貸してやろうと、そう思った。






 監視のついている晏樹は、直ぐに見つかった。
郊外に近い、池のほとり。
木枯らしが冷たく巻いて、吹き抜けていく。
こんな日に出歩くような酔狂な者は、きっとここにしかいない。
冬の雨が来るのか、空は昼すぎなのに暗かった。

「やだなぁ、皇毅。僕を連れ戻しに来たの?」

晏樹は、振り返りもせずに、名を呼んだ。
自身はほとりにうずくまったまま、腰すら上げない。

「そうだといったら?」

「嫌だ。帰らないよ。あの人に必要とされていないんだもの」

証拠に、一度も追いかけて貰った事がない。
いつもいつも、家を出ても帰って来てしまうから、一度たりとも連れ戻しに来たことは、なかった。
きっと今回だってそうだ。

「だって、そうでしょ? 僕は離れて、胸が張り裂けそうなくらい苦しいのに、旺季様は平気なんだ。
僕はね、あの人の為に生きているの。
国も、政治も、民も、金も、名誉も、僕はどうだっていいんだ!旺季様だけなんだ!!!
だから、あの方が必要としてくれない限り、絶対に戻らない!!!」

顔を膝に埋めて、泣き叫ぶ。
声は届かぬと知りながらも。
声は風に消える。




はずだった。



「ならば、私が命じよう。即座に城へ戻れ」

だから、声を聞いたときは、心底驚いた。


「うそ………旺季……様!?」

一度も迎えになんて来てくれなかったのに。
一度も僕の存在を欲してもくれなかったのに。
どうして、今になって?
震える足に力をこめて、ゆらりと立ち上がる。

「いや……だ……」

「晏樹!?」

近寄る皇毅の手をすり抜けて、ふわりと後方に跳躍する。

「城に戻って、また同じ生活に戻るのだとしたら、僕は嫌だ。
もうこんな苦しい想いをし続けるなんて嫌だ。そんなの僕じゃない。
ねぇ、旺季様。僕は貴方にとって何? ただの臣下? 同僚? それとも駒? 有能なだけの無意味な存在?」

一際、大きな風が吹き抜けて、髪を揺らして行く。
それが収まると同時に、旺季は深く溜め息をついた。

「晏樹。こっちへ来い」

名前を呼ばれて、晏樹が肩を振るわせる。

「来なければ、こちらから行くぞ」

一歩、旺季が前に出る。

「全く、馬鹿者が。いつ私が拒絶したと言うのだ?」

また一歩、また一歩。

「一言もお前の口から問答された事すらなくては、流石に私でもわからん。元々お前は天の邪鬼だからな」

確実に歩みよる旺季に、振るえながらも晏樹は逃げないでいた。

「だがな、言っただろう。お前を捨ててはいかないと。全く、危なっかしくて放っておけんわ」

そして、やっと目の前へ。

「お前が離れたいのならば止めはせん。だがあえて言う、帰って来い」

「そんなの、矛盾だ……」

「傍に居るからには、墓場まで連れて行く」

「おうき……さま……」

抱きしめる腕を、ついに晏樹は拒まなかった。
初めて、迎えに来てもらった。
初めて、欲しい言葉をもらった。
全て叶ったわけじゃないのに、これだけで満たされるなんて、絶対に損なのに。
そんな事はわかっているのに、腕が振り払えなかった。

「旺季様……!」

腕を回して抱きついて、泣いていた。
もう、細かいことはどうでも良くなっている自分を、ちょっと馬鹿にしつつ、身を委ねる。
あやすように頭を撫でる手が、悔しいくらいに優しかった。

「後な、晏樹。私は皇毅のように優しくはないぞ」

皇毅には聞こえないように、耳元で囁かれた言葉の、その裏の意味の悟った晏樹は、黙って頷くしかなかった。



後に雨は降ってきたのだが、もう冷たいとは感じなかった。









「で、結局は丸く収まったわけだが……」

すっかり元気になった晏樹は、いつものひょうきんさを取り戻して、日々の生活に戻っていた。
住処を旺季邸に移して、毎日そちらへ帰っているらしい。

「全く、本当にいい迷惑でしたよ。旺季殿。
いいですか、もう絶対にあの狂犬の手綱を緩めないでくださいよ?」

「ただの厄介払いにしか聞こえんのだが」

「正に、その通りですよ、旺季殿。
言ったでしょう? 何とかと鋏は使いようなんです。
そんな事より、適当で穴だらけの策だったのに、本当に成し遂げてしまうなんて流石ですね。
櫂瑜様の話術もですけど、貴方への晏樹の思い」

「うーむ……」

「言ったでしょう?貴方の事は大体聞きますって。行くだけで終わることだったんですよ」







後に外伝的な続編が出るとは思いもよらず……勢いで書いてたらIF話になりました。
最終巻でいきなり晏樹が好きになってしまい、それまで眼中にもなかったのにどういうことなのでしょうかw
とりあえず彼の旺季への曲がりくねって歪んで、他人も自分にもわからないような胸の内を
再び吐露させて精神的に叩き落すことが目的という、えげつない話になりました。満足ですw
これのために長いこと『骸骨を乞う』の晏樹編を見れなかったので、ようやく……。
また熱いパッションが降れば、晏樹は書きたいと思いつつ。

誰得だよw俺得でしかないよw という話にお付き合いありがとうございました。

拍手[1回]

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