登場人物:司馬昭、劉禅、王元姫
CP傾向:昭禅
作成時期:2011年春
初めて書いた昭禅。
王元姫は昭の味方です。
シリアス。
駄絵置き場の『答え』~劉公嗣~編の対になっております。
「子上殿、手が止まっているわ」
「はぁ……」
もう何度目になるのかわからないため息を吐き出しながら、司馬昭は窓の外を見ていた。
一見、空を見ているようだが、その目が空虚を写しているのは誰の目にも明らかで、王元姫はそんな彼の様子を少しだけ窺った後、テキパキと机上の片付けを始める。
一応終わらせてある仕事はあるらしく、それを見極めて盆に乗せていった。
蜀を降伏させてから二ヶ月あまりの時が過ぎた。
この書簡整理も戦後処理の一部で、大将軍にしかできない重要なものだ。
にも関わらず、当の司馬昭はいつも通り……ではなく更に酷い上の空なのだった。
そんな司馬昭は元姫の心配もよそにぽつりと言い零す。
「劉公嗣を手に入れるにはどうしたらいい?」
その問いに元姫は一瞬手を止めるも、即座に短く返答した。
「無理、とは言わないけれど、あなたには少し難しい問題」
「だよなぁ」
厳しい一言に、昭は頭を抱える。
「劉公嗣は敗戦国の皇帝だもの。今のあなたの言うことは何でも聞く。聞かざるを得ない立場だから」
淡々と紡がれる言葉は、おそらく司馬昭本人が一番解っているものだ。
先が読めるからこそ、近付くことが難しいのだと。
自分が劉禅の事を、殊の外気に入っているのはわかっていたが、どうやら簡単に行かないところまで来てしまっていたようだ。
「そんな彼を無理矢理にでも欲しいというなら簡単だけど、最低の烙印が漏れなく付いて来るわ」
「んなことしねぇっての」
「当然ね」
実ところ、司馬昭と劉禅の立場は難しいところにあった。
実質、国を掌握するほどの権力である晋公の位を持つ司馬昭と、滅亡したとは言え元蜀漢の皇帝であった劉禅の関係は、全てを無視できるほど容易ではない。
特に劉禅自体の扱いはとても注意を要し、安易に感情のまま走って手篭めになどしようものなら、悪い噂程度ならともかく、最悪再び抗争の種になりかねない。
そもそも、司馬昭はそんなことを望んでいなかった。
「俺はあいつの笑顔が見たいんだ、出来れば幸せそうなやつ。ついでにできたら俺の手で、俺の前で、俺に対して!」
「難問すぎるわね」
「だよなぁ」
思いの丈を歯切れよく口に出すものの、すぐさま再び長い溜め息が漏れる。
「とりあえず、こんなところで腐れてないで会いに行ったらどう?
公嗣殿も、息の詰まる生活を強いられているのですもの、近くに居て話をしてあげるだけでも良いと思うわ」
冷たいながらも、どこか温もりを感じる声音に、昭はハッと顔を上げる。
「元姫……!許してくれるのか!?」
「いいえ、勿論ここの仕事を全て終わらせてからよ」
主語がない会話に気を止めるもなく、王元姫は静かに、しかし否定は許さぬ態度ではっきりと告げ、一つの書簡を取り出す。
司馬昭は、一瞬希望に溢れた表情を曇らせると、がしがしと頭を掻いた後、渋々と書簡を受け取った。
その後、司馬子上は凄まじい速さと勢いで仕事を片付けた。
普段の堕落は何なのかと嘆く者たちを目にも入れず、司馬一族の有能さを全開発揮し、これまた凄い勢いで身支度を整えて館を飛び出していった。
その台風のような夫の背中を見送りながら、元姫は昭からうつされたかのような溜め息をつく。
「子上殿もやればできるのに……。でも、熱くなれる何かができたことは、良い事かもしれないわね」
そう零しながらも、彼女は少しだけ口元を緩める。
彼女はなんだかんだと言いながら、いつも夫の味方だった。
劉公嗣は離れの館で、詩書に囲まれて過ごしていた。
館内には武官や武装した兵士が、出入り口をはじめ多く配備されている。
蜀に連なっていた者は許可なく入ることを許されず、また劉公嗣自身も出ることは許されていない。
昭は見張りの兵士に軽く労いの声をかけて歩を進めた。
こんな時だけは司馬一族の名声と、大将軍という軍を管轄できる権力を保持していたことに感謝した。
慌てて出迎えにきた者の顔も見ずに薄暗い廊下を突き進む。
「劉公嗣は?」
「部屋から庭を愛でておられます」
「そうか。下がっていていいぞ」
「しかし」
「いいから」
降伏させた国の主相手に、単独で会うのは危険だと思われているのだろう。
抑揚のない声でさがらせて、部屋の前に控えていた女官にも隣室で待機するように命じた。
二人で会うときは、できるだけ邪魔をされたくないからだ。
「よっ、劉公嗣~!会いに来たぜ!」
窓から庭を眺めて動かぬ人影に、明るく声をかけると、その頼りなげな背中がゆっくりと振り向く。
「司馬昭殿」
その瞳はいつものように穏やかな色を浮かべており、昭はほっと息をつく。
ここで劉禅は、それなりに立派な服を着せられ、静かに暮らしていた。
『敵であった蜀漢の元皇帝』に対して待遇が良すぎると言う者もいたが、この軟禁にも意味があり、劉禅もそこを理解しているようだった。
即ち、まだ余力を残す蜀残党兵力への牽制であり、蜀の劉皇室側近に対する人質であるということ。
また、主を失った民の叛乱を抑制し、希望を消さずに緩やかに帰順を促すためでもあった。
それは、劉禅が選んだ『降伏の道』でもある。
「民が傷つかないようにしてくれ」
そう言って大人しく身を差し出しに来た時の、劉禅の目を今も鮮明に思い出せる。
あの時、初めて探し求めていた『答え』に逢えた気がした。
劉公嗣は大局を見失っていない。
己の力量、国力、そして守るべきものと、守りきれないもの、切り捨てるもの、それらを正確に計り、決断した。
この決断を、世のどれくらいの者ができるのか……少なくとも司馬昭の見てきた権力者の中には居なかった。
並大抵の精神力ではできないだろう。人とは権力に容易く溺れるものだからだ。
司馬昭は、国主という誇りと、自身の命を差し出すことになってでも、民の無事を願った劉禅のことを、正しく仁の国の君主だと思った。
そして、その決意をして降った彼の願いを叶えてやりたかったし、彼の身柄は必ず守るつもりでいた。
その彼の身の安全を理由に、外界への接触を絶って軟禁することは自分が命じたことだ。
勿論、司馬昭個人としては面白くなかった。当然だ。そんな辛い思いをさせたいわけではない。もっと自由でいてほしい。
だがそう思う半面、国を預かる者の身としては、反抗勢力の希望を野放しにしておくわけにも行かない。
その矛盾が、静かに二人の間に存在するのだ。
「悪いな、あんまり会いに来れなくてよ」
「いや、そなたも忙しいのだろう」
構わない、と微笑む頬が少し痩せた気がする。胸がちくりと痛んだ。
「何か足りないものはないか?」
ゆるりと首を横に振られて、前も同じ事を聞いた事を思い出す。
着るものも、食べるものも、寝るところもあるからと、前にも言われた。
元皇帝とは思えないほど、普段の劉禅は粗食で、酒も嗜む程度しか口にしない。
待遇に不満を言うこともなく、臣下や妻子とまともに会えないことさえ、全て黙って受け入れた。
ここへ来てから、首を横に振った事があるのだろうかと疑う程だ。
大人しく従順であるが故に、昭は心配であり、ますます面白くなかった。
「困ったことがあったら、何でも言えよ? お前には、」
―― 笑っていて欲しいんだ ――
そう言いかけて、口を噤む。
こんな状況を作り出したのは、自分だというのに、なんという矛盾なのだろうか。
腹立たしくて、思わず奥歯を噛んだ。
「司馬昭殿こそ、最近浮かぬ顔をしているな」
知らず知らずに、手に力を込めて握っていたらしく、気づいた劉禅が両手で解きほぐしてくれる。
そこから伝わるぬくもりに、少しだけ気が和らいだ。
「もしや、私が……怒らせているのだろうか?」
「違う」
「そうか、私は鈍いからな……ならば、良かった」
劉禅は、包んでいた彼の手を両手で暖めたまま、ふわりと微笑みながら司馬昭を見上げる。
「司馬昭殿。私では力になれぬだろうか?
確かに、今の私にできることは少ないのだが……相談役くらいならなれるぞ?」
そんな真摯で真っ直ぐな瞳に、昭は僅かにたじろぐも、心の中はぐらりと揺れる。
まさにお前の事で悩んでるんですけど……とは流石に言えず、昭は暫く顔を逸らして「あー」だの「うー」だのと呻くと、そのうち決心したのか劉禅の両肩を掴んだ。
「あのな、劉公嗣。もっと贅沢していいんだぞ、わがままでも言ってくれないと、俺が困る」
じゃないと、どうやって幸せにしたらいいかわからない。
食べるものも、着るものも、酒も、女も、何だって用意してやれるのに。
自由を奪った対価としては、それでも足りないというのに。
しかし、小さな元皇帝は、少しだけ困った笑みを浮かべると、小さく呟いた。
「民の皆が辛い思いをしているのに、私だけ贅沢するわけには行かぬ」
それを聞いた司馬昭は、胸が締め付けられる思いがして、劉禅を抱きしめた。
この者は、仁の国の主。たとえ、気が弱くとも、才がなくとも、誰よりも民を想う仁の皇帝。
「ごめんな」
司馬昭は、劉禅を抱きしめたまま、声を絞り出した。
お前は何も悪くない、ただ国の主だっただけだ。
晋による蜀討伐が間違っていたとは思わない。この結末にも、なるべくしてなった。
そして、こうなったから、劉公嗣という人物にも会えた。
けれど、それでも。
この者から幸せな日々を奪い取った事だけは、確かだ。
全部、知っている。
会ってからずっとずっと、見てきたのだから。
「司馬昭殿……私は、後悔など……」
「わかってる。けど、たまに悲しい顔してるだろ。だから、ごめんな」
更に抱きこんで肩に顔を埋めると、腕に温もりが伝わって来る。
「貴方に、隠し事はできぬな」
囁くような言葉に、また胸が苦しくなった。
暫く、淡い桃の香りと、暖かさに酔って、そうやっていたような気がした。
あやしていたつもりが、逆にいつの間にやら、さりげなく背中を撫でてあやされていたらしい。
気づいた司馬昭はバツが悪いのか、ゆっくりと体を離した。
そして、劉禅と視線を合わせる。
「俺さぁ、お前の事気に入ってるから、元気に気楽に笑っててほしいわけよ。
だからさ、お前が気楽にできるだけ普通にいられるようなわがまま、教えてくれ」
酒に溺れていてもいい。
ちょっと寂しいけれど女に溺れていてもいい。
綺麗な衣を羽織って、豪華な館に居たっていい。
だから、笑ってずっと傍に……傍に居て欲しい。
そう、心の中で唱えた彼の耳に届いたのは、意外な言葉だった。
「では、私を……司馬昭殿の、もっと近くに置いて欲しい」
「え?」
思いもよらなかった答えだった。
自分の思いと似たり寄ったりで、つい思考が停止してしまう。
今、なんて言った?いや、わかっている。
その受け取った言葉をゆっくりと反芻してみる。
仲は、悪くない……寧ろ良好だろう。
直感で似たもの同志だと感じたし、彼の隠されたモノも、他人より見えていると思っていた。
自分が初めて見つけた『答え』であり、守るべき対象の一部でもあった。
しかしあくまでも敵勢力の頂点であった者同士、壁は存在していると思っていたのだ。
踏み込んではいけない何か、不可侵の領域。
否、壁を作っていたのは、もしかして……?
「私は、貴方の力になりたい。私は、貴方の傍に居たい」
司馬昭を見上げていた劉禅の面が、ただ綺麗に笑みの色を浮かべる。
久々に見た、彼の本当に微笑みに、全てが打ち砕かれた。
「そ……っか」
「駄目だろうか?」
「いーや、全然。むしろ大歓迎っつーか」
思いがけない言葉に、嬉しさを抑え切れなくて、ごしごしと鼻の下を擦る。
あまりにも心に強く響いてしまった心は、目の奥に熱いものをじわじわと呼び起こしてしまった。
それを隠すように顔を背けて、さりげなく肩を抱き、急いで思いを口にした。
「とりあえず今夜、泊まってっていいか?」
「勿論」
少しでも歩み寄りたい。
そして、いつかこの胸の想いを全て伝えられるように。
きっと大丈夫だろう、最初の関は突破したのだから。
ネガ暗くて切ない話が本当に好きで、すみませんw
漫画の方でも語ってたんですけど、相互依存とか、互いに救い合ってるとか、あと暗いのとかが大好きなので、これからもこんな感じになりそうです。
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