登場人物:シンドバッド、ユナン
CP傾向:シンユナ
マギ本編その後の100%妄想話、三作目です。二作目はこちら
別名デート編(笑)
今回はシリーズ中で一番イチャイチャしています(当社比)
が、過去についてだらだら話もしてます。
もうちょっとまとめたかったけど、長すぎて無理だった。能力の限界である。
3:たまゆらの幸ひなり「ねえ、シンドバッド。君の時間を一日だけ、僕にくれないかな」
ユナンが黒い部屋へ入り浸るシンドバッドに声をかけてきたのは、四日目の昼の事だった。昨日は一日この黒い部屋に入り浸り、改めて何が何処にあるのかを確認しながら読む順番を考え、吟味しつつ色々見ていたら、気づけば一日が終わっていた。
今日も朝から食料調達に出て色々食材を確保し、なんとか腹を満たして黒い部屋へと入る。もうじきお天道様は真上に昇るだろう。そんな頃にユナンは起きてきた。
先程まで二度寝していたが、ようやく起きて来れたようで、まだ少し眠そうだ。冷えた水差しと白湯、2つのコップを持って彼は部屋へと顔を出す。
シンドバッドは読んでいた分厚い本を閉じると、ユナンが座れるように横にずれる。
「別にいいが、何かあるのか?」
座るように促すと、ユナンは素直に隣に座る。
「ううん。何もないよ。何もない……」
「うん?」
的を得ない返答にシンドバッドが首を傾げる。ユナンはそんな彼をチラチラと見ながら手元を弄る。どう話せばいいのかわからないのだ。
いつもはっきり物を申すか、話をはぐらかすだけのユナンにしては珍しい。
「えーっと、だから……その、思い出をつくりたいんだ。君とここにいた記憶を」
思い出。その言葉にどきりとする。今こうしている瞬間も今のシンドバッドには貴重な時間だ。
「今こうして隣にいるだけじゃダメなのか」
「それでもいいんだけど。僕にはもう……時間がないから。最後に一度だけでいいんだ。君と二人きりで外に行きたいなって。まあ、今も二人きりなんだけどね」
目の前の人物がもうすぐ居なくなるなんて考えたくなかった。どうしても付きまとうそれは、心に陰を落とす。だからなるべく考えないようにしていたのだ。いつものように振る舞いたい。『なんだかんだで幸せだった』あの時のように。
だが、やはり避けられないのだ。知っている。知っていた。触れたくなかっただけだ。
「……そう言えばお前……そうか、時間がないのか」
「君が目覚めた日。つまり、君がここに来たのが日曜日だった。だから、僕の生きていられる時間は今日を含めてあと四日ということになるね」
四日。その重みに胸が軋む。改めて突きつけられる現実は重かった。
「……なあ。それは、延ばせないのか?」
ずっと思っていた事だ。ユナンはうつむいたまま、淡々と答える。
「延ばしてこれなんだよ。元々288年も延命する方がおかしいのさ。この七日間の僕を動かす力はアラジンがくれた大切な大切な魔力<マゴイ>だ。僕自身の力はもう存命にしか使うことができない。だから彼が生きられるはずの魔力量を一週間分だけ、君がこの世界に戻った時のみ動けるように、彼から譲り受けたんだ。でも一週間分の魔力があったとしても、実質人として僕が動けるのは精々五日目までだと思う。後の二日はおそらくあまり動けない。思った以上に体が重くて動かないんだ、だから……」
「わかった。行こう」
歩けるうちに、外の世界を観に行きたい。二人で。
雨でも良い、嵐でもいい、曇っていてもいい、ただ二人で、二人だけの時間を過ごしたい。それはそんなささやかで切なる願いだった。聖宮へ行って神が作った運命を破壊するなどと考えた、あの世界では到底叶えられないユナンの夢だった。
「……本当に良いの? 君の大切な一日を使ってしまうことになる」
「ここで遺されたものを読むのも大切だけどな、でもそれより大切なものもあるだろ?」
最後の置き土産。アラジンたちが全てをかけて、自分に残してくれたもの。長い間、互いにずっと素直になれなかった、自分だけのマギ。
そんな彼が自分にわがままを言うのだ。ここで聞かなかったら一生悔やむだろうし、何よりも一緒に居たかった。
「ちなみに、今からか?」
「ううん、明日でいいよ。本当はずっとここで色んなものを読ませてあげたいけど。ごめん、じゃあ明日一日だけ僕のわがままに付き合って。君に見せたいものがあるんだ」
「他でもない、俺のマギのわがままだ。当然、付き合うさ。何でも来い」
「ありがとう、シンドバッド」
コツンと肩にユナンの頭があたる。痛くはなく、重くもない。さらりと揺れる白金の髪が、後からついてくるように肩から滑り垂れるのが見えた。資料を読むにはいささか動きづらくはあったが、シンドバッドは一言「おう」と応えると、引き続き本を開く。ジャーファルが残した長い報告書の一つだった。ぺらぺらと本をめくっていると、隣からすやすやと寝息が聞こえ始める。
こんな時間も悪くない。そう思いながら次のページへと指を滑らせた。
[newpage]
翌朝、誰かの祈りが通じたのか、朝から薄雲が少しかかるだけの快晴だった。
相変わらず朝から食料調達してきたシンドバッドは、次は鳥を仕留めて来たらしく、前よりも食事が豪華になっていた。木の実を煎り、すり潰してコネて焼いた簡易的なパンや、果物なんかもある。
ユナンも何度か森へ出たことはあるが、それほど食材らしきものを見た記憶はない。全て魔法や栄養剤で解決してきてしまったためだ。流石はサバイバル経験豊かな七海の覇王だと、ユナンは改めて感嘆した。
朝餉も終わり、外へ出る支度を二人は始めた。袋に入れた水と、簡易パンを手籠に詰めて、黒い部屋から出てきた上等そうな若草色の布をケープ代わりにユナンに羽織らせる。
外に出ると清涼な空気が出迎えてくれた。朝の森というものは気持ちがいい。それに、ユナンには緑が似合うとシンドバッドは改めて思う。深い緑に輝く白銀には一種の憧憬さえ感じる。だが、あえてその事は口に出さずに、二人は並んで歩き出した。最初で最後のおでかけだ。
「で、どこにいくんだ?」
そういえば、行きたい場所があると言っていた。
ゆったりとした歩みに合わせて歩く。昔は空を飛んでばかりいたイメージのユナンが、今はこうして隣を歩いているのは少し不思議だった。
「シンドバッド、君はそれなりに森に出ていたようだけど、この水の先……小川のもっと先には行ったことがあるかい?」
「いや、ないな。初めは迷わないように小川を辿っていたが、昨日や今日は川から北と南にそれぞれ足を運んでみた」
太陽の向きと小川の位置さえ掴めれば、森の中でもシンドバッドが迷うことはない。だから少しずつ、と行動範囲を広げていたのだが、どうやら今回の目的地は更に先らしい。
「じゃあ、お楽しみって事で」
いつもの悪戯好きそうな顔をするユナンに、シンドバッドはやれやれと肩をすくめた。こういう所は昔と変わっていないのだ。
小川を下って行くと段々と明るみに近づいていく。そして更に下った先には、湖が広がっていた。池と呼ぶにはいささか大きい。澄んだ水が流れ込んでいるため透明度は高く、魚が泳いでいるのが見え、晴れた青空と雲を写し込んでいる。遠くには水鳥が優雅に水浴びしており、光溢れる和やかな場所だった。
だが、驚くべきはその先だ。森も丘も、そして山もない。とある一箇所から水が落ちている。滝ではない。
「これは……この大陸の端なのか?」
「うん、そうなるね。ここに来るのはすごく久しぶりなんだけど、全然変わってないな。ね、素敵なところでしょう?」
「ああ、世界が崩れて浮かんでるのは見てきたが、これは……すごいな。あの先がキラキラしてる」
「逆から見たら、虹がかかっていてとても綺麗なんだ。僕はもう飛べないから見に行けないけど、そのうち見に行ってみるといいよ」
和やかに落ちる水の先を見るユナンの横顔が、過去を懐かしんでいた。きっとここにも何度か来たのだろう。あの庵を作る上で、たくさんの思い出があった場所に違いない。
「じゃぁ、こうすればいいだろ?」
シンドバッドがユナンの腕を引くと同時に、軽々と抱き上げる。なるべくユナンに負担がかからないようにと背と足に手を回すと、そのままふわりと宙へ浮いた。
「わっ」
いきなりの行動に、思わずユナンの腕が首にまわる。怒られるかと思ったが、意外と怒られはしなかった。
「あー、びっくりした。君ってばいきなりなんだもの」
「サプライズにはサプライズで返す」
「もー。……お、重くない? 落とさないでね」
「お前よりも重いものだって持てるんだ、落とすはずがないだろ」
それよりも身長に比べて軽すぎる気がする。何度か人間を抱えた事はあるが、まるで少女を抱いているような軽さだ。口に出すと怒られそうなので黙ってはいるが。
シンドバッドたちはそのまま一気に湖を越えて、大陸の端へと躍り出る。どれどれ、と見た滝は確かに大絶景だった。他の水流も混ざった湖からは、それなりの水量が常に落ちている。だが、その先は海なのか雲なのかわからなかった。ただ、太陽の陽に煌めいて大きな虹がかかっている。落ちる段階で水が風に飛ばされ飛沫となり、大きな虹となっているのだ。
「こりゃ凄いな」
「でしょう。大体いつでも虹がかかってるなんて、ちょっと贅沢じゃない?」
幼い頃、雨が降らず作物が干上がり、飢える経験の方が多かったシンドバッドは、初めて虹を見た時、甚く感動した。豊かな資源の象徴のように思えたからだ。その記憶を少しだけ掘り返して、まじまじと虹を見た。なんて美しいのだろう。
「確かに、贅沢だな」
そんな虹を瞳に映してキラキラと輝かせているシンドバッドを、ユナンは穏やかに見ていた。そして昔のシンドバッドを思い出す。あの頃の彼は眩しすぎて目がくらみそうなくらいまばゆかった。だが、いつしかそんなキラキラしたものを失ってしまったシンドバッドは、黄金を手にする覇王となった。
彼が居ない間、ユナンは時折醒める筒の中で様々な事を考えていた。
『もしあの時、彼のマギになっていたら』
『もしあの時、違う選択をしていたら』
大体はそんなことだ。けれども、冒険してキラキラ輝いていた彼も、国を創ろうと商会を作ったり四苦八苦していた彼も、国を失って絶望していた彼も、国を再建して七海の覇王と呼ばれるようになった彼も、選ばなかった。
ただあのキラキラしている彼が好きで、ずっと見ていたかった事だけは事実だ。その隣に自分が在る必要はなくて、彼が息災で輝いていれば、それで良かったのだ。
でも本当は、隣にいたかった。隣でキラキラしている彼を見ていたかった。その夢がここで一つ叶ったのだ。
しばらく湖から溢れる滝と虹を堪能した二人は、冷えすぎない内にと陸へ戻ってきた。暖かそうな日向の芝生を見つけるとゆっくりと降り立ち、湖面を見つめながら並んで座る。
「長くは飛んでないが、吹き付ける風は結構強かったからな、寒くはないか?」
「大丈夫、これくらい平気だよ」
ユナンはそう言うが、シンドバッドがそっと指先に触れてみると明らかに冷えてかじかんでいる。もしかすると感覚も鈍ってきているのだろうか。
「もうちょっと近くに寄れよ」
「あ、う、うん」
とりあえずもう一歩体を寄せると、じんわり伝う温かさに安堵した。
昔は少し近づくだけであんなに警戒されていたのに、今じゃそれが嘘のようだ。これまでこんなに近い距離でユナンを見たことはないだろう。
「実はね。外に行って、見せたいものがあるっていうのは、半分は建前だったんだ。本当に見せたかったものは……伝えたかったものは、あの黒い部屋にもない、僕の本心なんだ」
そんな気はしていた。確かにこの湖の存在を知れたのは、後しばらくここで過ごす事になるシンドバッドにとっては嬉しいし、ありがたい話だ。それに一緒に見た落ちていく滝も虹も、とても綺麗だった。何より、一人で見た景色ではない。だからきっと忘れることはないだろう。
けれど、既に脚を弱らせているユナンがわざわざ外に行きたいと言った時の瞳は、それだけではない決意が見えたのだ。
ユナンが一呼吸置いて改まる。
「あのね。僕ね、君のことがずっとずっと好きだったんだ。……そうだね、きっと、愛してた。マギとしても、人としても」
ふと池から飛び立つ水鳥を見ながら、ユナンがぽつりと零す。その響きはとても慈愛に満ちていて、かつ悲しげだった。
きっとユナンはこれを言う為にここまで来たのだろう。そんな気がした。
「そんなのとっくに知ってたさ」
「だよね。……いつから、気づいてた?」
「なんだかんだ言いながら、毎回喧嘩別れしながらも、お前が一定期に来る事に気づいた頃かな」
喧嘩ばかりして、嫌味を言い合って、たまに本気で怒って、罵りあって、もう顔も見たくないなどと言いつつ、彼は必ず定期的にシンドリアに来るのだ。鈍感な自分でも流石に気がついた。
嬉しそうに笑う彼も、寂しそうに笑う彼も、辛そうにうつむく彼も見てきた。そして切なそうに送られる視線にも気がついた。
それでも自分のマギにならない彼にひどくやきもきした。だが、彼には彼の思うところがあり、そうしていると気づいてからは、なるようになるだろうと諦めた。なんたってあの『マギ』だ。無理矢理手に入れても意味なんかない。
そこからは適度に会話をして、時に協力もして、またまた喧嘩をして、最後はあの様だ。
「そっか。バレバレかー。ちょっと、恥ずかしいな……」
「お前の持つ過去や、何で俺のマギになれないのか、これまでサッパリわからなかったけどな。でも、ようやく分かった。分かって良かった」
「で、返答は?」
隣のユナンが覗き込むようにシンドバッドを見上げる。少し羞恥を覚えたシンドバッドは、そっぽ向いて少し息を荒げる。いきなり胸が高鳴ったのは気の所為ではない。
「俺はもともと『お前が欲しい』って言ってただろ? ど直球に!」
「欲しいは好きとイコールじゃないと思うんだけどなー」
茶化してくるユナンに、ぐうの音も出ない。確かに好きだとか愛してるだとか、恥ずかしくて言ったことはない。というか、そんなもの行動で伝わっていると思っていた。ずっと欲しいとは言っていたからだ。もちろん『マギとして』という下心もあったのは否めないが。ずっと傍に置いておきたいくらいには想っていた。
「俺は王様だったんだぞ、それくらい理解れ」
「僕にとっては『僕』が欲しいのか『マギ』が欲しいのか、理解らなかったんだよ。だから迷ったんだ」
その意味の大きな差は、マギではないシンドバッドにも理解る。一個人として求められているのか、役職として求められているのか。マギとしてたった一人の王の器を定めなければならないユナンにとっては謎掛けに近かった事だろう。
あの時、ちゃんと愛していると伝えられていたら……結果は変わったのだろうか。
「あ~、くそっ、俺たち相思相愛だったんじゃないか。なんでもっと早くにそれを言わなかったんだよ」
「自分の胸に聞いてみたら? ……と言いたいところだけど。僕ね、ちゃんと反省してるんだ。君に全てを伝えずに逃げたことをずっと、ずっと。君がいなくなった数十年、そして眠り続けた二百年あまり。夢とうつつの狭間でずっと悔み続けた。もし、もう二度と会えないのなら、なんで僕はあの時、君に自分の気持ちを伝えなかったんだろうって。何故か君がずっとあの世界にいる気がして、だから見守るだけで満足して……失敗を恐れて……ああ、また失敗したんだって。もう取り返しもつかないんだって」
ユナンの言葉が、胸をえぐる。確かにそうだ。自分だってちゃんと手を伸ばさなかった。途中からは見向きもしなかった。世界の変革だけを求めて、自分が特別な存在であると信じて疑わずに『見るべき世界』を捨てて聖宮へ行った。
そんな王が、世界や人を捨てるような王が、マギに王の器だと認められるはずがない。ユナンの感じていた恐れは間違いなかったのだ。
「だからね、もう一度会えたら、必ず伝えたかったんだ。君のことが好きだって。大好きだって。愛してたって。ずっと傍に居たかったんだよって。本当は君のマギになりたかったって。それがもう言えないって気づいた時、悲しくて、辛くて、寂しくて、心の底から絶望したんだ。だから、今度こそ、最期に間違えたくないんだ。僕は君が好き、だいすき」
涙をぽろぽろ零しながら告白するユナンを、シンドバッドが何も言わず優しく抱きしめる。ずっと言えない想いがあった。それを言えないままずっとずっと抱えてきたのだ。二度と会えない可能性を突きつけられたまま、それでもたった一週間の再会を信じて。
世界に帰りたい一心だったシンドバッドは違う。たった三年の時をがむしゃらに走った自分とは違う。『もう二度と会えない』可能性も高い、苦悩の時間だっただろう。何度自分を攻めて悔やんだのだろうか。自分とてこの三年間、悔みっぱなしの毎日だった。だが希望を抱いて三年間かけて帰還しようとした自分と、帰ってくるかも確定しないまま三百年近く待ち続けた彼では年季が違う。
「お前さ、自分の事を『マギである前に一人の人間だ』って言ってたよな。人間であるからこそ、理性で俺のマギになることを拒んでいたって」
ユナンを抱きしめながら空を漂う雲を見上げる。そこには昔と何ら変わりない青空と、薄っすらと漂う雲が浮かんでいた。
「そうだよ」
「まぁ、ある意味、正解だったわけでもあるが」
ユナンのマギとしての恐怖心は正常に働いていた。だが、それと誰かを想う心は違うのだ。たとえ人とは矛盾を抱えるものだとしてもだ。そこにマギという性質を足して、さらにユナンの矛盾はぐちゃぐちゃになった。彼に与えられた世界からの性が、彼を苛むのだ。その苦しみは想像する事すらできない。
しかし、シンドバッドはユナンの背中をゆっくり撫でながら呟いた。
「でもな。だったら……お前がマギじゃなく人だと言うなら、人として、個人としての幸せを考えても良かったんじゃないか?」
人としての理性があるなら、人として受けられる愛と幸せがあったっていいはずだ。人はそのために生まれてきたのだから。
「お前は人間の『理性』という言葉を盾にして、人間の『幸せ』を殺してきたんだ。だから毎回失敗するのさ」
マギとして人の繁栄と幸福を、誰かの幸せを祈ってしまう生き物は、自分の事を蔑ろにしすぎたのだ。それはもう、彼の性格であり、この自己犠牲は何度も転生を繰り返したマギとしての性質であり、切っても切り離せないものなのだろう。
けれども、あえてシンドバッドは云う。何故なら、好きなものに、愛したものに幸せになってほしいと思うのは当然だからだ。
「そう言って色々と大失敗した君に言われたくはないけど、そうかもね」
「お前さ、たまに強烈な嫌味返すよな。大真面目な場面だぞ、ここ」
「僕と君だからね」
それを聞いて、同時に二人で小さく笑い合う。それが元々二人だけなのに、秘密の逢瀬じみていて愉快だった。まるで世界から切り離されて、二人だけのようだ。
「そうだね。僕もたくさん回り道をして、やっとそれがわかったんだよ。でも、僕の魔法がきれてしまう前に、君に会えて良かった。……って、なんだか童話のお姫様みたいだよね」
やっと笑ったユナンの涙を片手で拭ってやりながら、シンドバッドは苦笑する。
「お前って昔から童話の話、好きだよな」
何やかんやと、ユナンは話す時にそういう話を持ち出してくる。夢のように優しいお話もあれば突飛な設定の話もあったが、今思えば意外とロマンチストなのかもしれない。
「だって夢がたくさん詰まっていて素敵じゃない。君のとっても改ざんされた冒険譚も何度も読み返したよ。大笑いしながら」
「って、嫌がらせかよ」
「今でも伝説として残っているかもね。ふふふ」
確かに、最初は自伝として売り出していたものだが、気づけば世界に広まっていた。あれだけ拡散されていれば、今も伝承なり伝説なりで残っていてもおかしくはない。
「何で嬉しそうなんだよ」
「だって君が冒険して、この世界にいた証なんだもの」
けれど、その話の最後は、傲慢な王が世界を一度捨ててしまう話だ。一度は世界を平和にしたのに、その後に我欲のために何もかもを捨てて世界を壊してしまう話だ。人は巨大な権力で身を滅ぼすということを、自分は身をもって体験した。それは人を惹きつける冒険譚にはならないだろう。
だが、嬉しそうに話すユナンに水を差したくなくて、シンドバッドは神妙な顔のまま、彼の話の終わりを待つことにした。
[newpage]
そのまま日当たりの良い湖畔で昼食を取り、のんびりと他愛ない話をしながら過ごした。昼の陽気はとても気持ちがいい。このあたりの朝晩はそれなりに冷え込むが、真昼であれば昼寝もできそうなくらいの陽気だ。そんな穏やかな風に吹かれながら、シンドバッドはふと思い出した事を口にした。
「昔さ、お前ってシンドリアに来ては仲違いして帰る、なんてことしょっちゅうしてたよな。あれは何だったんだ?」
寝転がり、ユナンの膝に頭を置いて、ユナンの顔と空を見つめながらシンドバッドが問う。彼と空を見つめていたら色々思い出したのだ。
昔はよく執務室や自室から空を眺めていた。決まってユナンが現れるのは空からだからだ。
「あれもマギの本能みたいなものさ」
「本能ねえ」
「あの頃の僕は……ううん、最初に逢った時から、僕は君に惹かれていた。ジュダルみたいに若いマギは選定も上手くいかないけど、マギはどうしてか必ず「絶対離れたくない」って思ってしまう人に惹かれてしまうんだ。それはもう理屈じゃなくて……だから、マギの本能だろうね。けれどその本能に従っても、過去に失敗を重ねてきていた僕は、その本能を疑った。信じても破滅が待っていて、苦しむだけだと分かっていたから。故に僕は本能を理性で抑えつけて王を選ばないふりをしていたんだ。とっくに誰だか理解できていたのにね」
とっくに自分を選んでいた。けれど、選ばないふりをしていた。
シンドバッドとて薄々気づいてはいた。けれど伸ばした手を引いてしまった。
交差し続ける想いは、いつしか意地になり喧嘩になり、鬱憤は溜まり続ける。その結果があれだ。
「ただ僕は君に会いたかった。けれど、会いに行っても君のもとへは行けはしない。でも会いたくて、気づいたらシンドリアにいるんだ。で、結局冷やかしに行って喧嘩して、泣きながら大峡谷に帰るんだけど」
「は? 泣きながら?? お前が???」
思わず驚いて身を起こす。ユナンの悲しい顔や寂しそうな顔はたまに見ていたが、あの後に泣いていたなんて知らない。聞いていない。一度だってそんな涙を見たことがない。
「そうだよ。大体、毎回泣いてた。屋根の上とか、海の前で」
その言葉に嘘偽りは感じない。ユナンは過去を恥じ入るように苦笑しながら語っている。
「…………すまん」
「君が謝ることじゃないよ。それにもう、過ぎた話だ」
「でもなあ」
当時の自分がそれを知ったら、どう感じたかはわからない。だが、ユナンが愛しく思える今では、過去の自分をぶん殴りに行きたい気分だ。
覚えていない事も多いが、結構辛辣な事も言った気がする。あれは完全に私怨に近かった。助けられた民を助けなかった。そんなマギに腹が立って仕方がなかったのだ。
「あの頃の僕はただ、弱かったんだ。何百年も生きているのに……いや、何百年も生きてしまったからかな。失敗を恐れて希望を見いだせなくなってしまった。これから何百年もまた生きて、いつ正気を失ってしまうのだろうって恐怖でいっぱいだった。いつか絶望に負けて、堕転して、誰かを傷つけてしまうのが怖かった。だから僕は、僕を暗い谷底に封印したんだ」
「転生を繰り返してたって話か。何か、その話……少しだけ知ってる。いや、気がする。何故か毎回上手く思い出せないんだが……」
「あ、うん。マズった事を言っちゃったかな~って思ったら、魔法で君の記憶を消したり混濁させてたからね」
あっけらかんとユナンが返す。
「って、おい!」
ゼパルのような魔法が使えるジンがいるのだ。ほぼ全ての属性を扱えるレベルの長命のマギであるユナンにとって、それくらい造作もない事なのだろう。
しかし、それを聞いて腹が立たないわけがない。一体どれほど、大切なものを忘れてきたのだろう。
「やだなー。今更今更、もうとっくに時効でしょ?」
「確かにそうだけどな……くっそー。そういう事だったのか、どうりで……何かおかしいと思った」
悔しそうにするシンドバッドに、ユナンはゆっくり語りかける。そして再び横になるように、膝をぽんぽんと叩いて見せた。
「でも、これだけは言っておこうか。最初の君の国……パルテビアとの戦いで、シンドリアが一度滅びた日」
「これまた嫌な記憶だな」
促されるままにユナンの膝に頭を乗せて、あの日を思い返す。忘れたことは一度もない、忌まわしくて悲しい記憶であり、また一つの、自分を変えた起点だった。
「うん。僕もあの戦いの中にいたんだ」
「は??? 俺がお前を問い詰めた時、お前は俺たちをあえて見捨てたって言わなかったか?」
「言ったね。もちろん嘘だけど。マギとしてあの時、あの戦いに出ることはできなかった代わりに、僕は逃げる人々をこっそり助けてたんだ。船を攻撃から守ったり、船底に空いた穴を塞いだりして人を逃したり、魔法で陸まで飛ばしたり、誰も見ていない地味な事だけどね」
「なんだよ、それ」
悔しさからか、思わず片手で目を覆う。
「だから君に危険が及んだ時、とっさに助けに行くことができなかったんだ。何かがおかしいと思ったときにはもう遅かった。全て手遅れだった。そこからかな、更に君が怖くなったのは」
「ダビデと融合したのと、半堕転したからか? だからって、なんであんな嘘をついたんだ!?」
沸々と怒りが湧いてくる。あの時、虐殺されていく民草を助けなかったユナンを、シンドバッドは激しく糾弾した。そんなマギならば自分に必要ないと背を向けた。まさか、それが演技だとも知らずに。あの怒りはどれほど彼を傷つけたのだろうか。
「それは、君に嫌われておけば、君からマギに誘われる事はないと思ったから……」
ユナンも申し訳なさそうに顔を横に向ける。
「……ちくしょう」
「ごめんね。後から考えると失敗だったって思うよ。でもあのあたりの君の記憶がないのは、全部僕のせいなんだ。ちゃんと話していれば、君が僕を邪険に扱うこともなかっただろうに、あえて僕はそのように仕向けたんだ」
その気持ちはわからなくともない。なんたって最後には我欲の為に全てを捨ててしまった王なのだ。だが、それとこれとは話が違う。あの時、騙されたとは言え深くユナンを傷つけた。それに間違いはないのだ。
「どうせ、俺のいないところで、たくさん泣いたんだろ」
「う、うん……」
先程の話と糸を繋いでいけば、そういう事になる。ユナンも否定せずにコクリと頷いた。
「あの時、僕は自棄になってたんだ。また悲惨な虐殺を見てしまった。見守っていた王の器も深く傷ついてしまった。国も失った。ほら、また自分は選択を間違ったんだって、自分はマギとして壊れてるんだって、自分を責めた。だからシンドリアが再興した時、嬉しいと思った反面、やっぱりその輝かしさに僕は怖気づいてしまった」
ユナンが自らの両腕を掻き抱く。それが彼が不安に感じている時の信号だと気がついたのは、比較的最近だった。
「それまでも何度も思っていたことだけれど、僕はもう生きたくなかったんだ。このまま死なせて欲しい。次の『転生』なんかいらない。だってどうせ碌でもない人生なんだもの。王が見つかったって、いくら懸命に補佐したって世界は平和にならない。人と人が傷つけ合う運命はどうしても変えられなくて、そこにマギの力や選んだ王の器なんて関係なくて、絶対なる悪意に対しては絶望と虚無しかなかった。時にはマギを巡る争いすらも起こるくらいだ。だからもう楽になりたい……王は選ばない。そう思っていたんだよ」
辛そうにユナンは語る。転生前の話は聞くたびに忘れさせられて来たのだろう、あまり明確に覚えていないが、成功例がない事だけは覚えていた。それで九度目の生だ。世界を見捨てたくもなるだろう。
「でも色々あって、アリババくんが死んで、煌帝国の大きな内乱を終えて、君は……君が世界を変えた。本当にびっくりしたよ。これできっと未来が変わる。新しい時代が来るんだって、あの時、そう思えたんだ。君が『王の器』で間違いなかったんだって。……君には会いに行かなかったけどね」
「なんで会いに来なかったんだよ……。確かにあの時、既に俺は王じゃなかったけどよ」
「マギはもう必要ないと思って」
確かにマギらしき力を持つ存在は他に居た。アルバという名の同志が。だが、そうじゃない。欲しかったのはマギじゃなく、ユナンだ。あの時、そんな欲しかったものを『欲しい』と思う心さえも届かないところに自分はいた。それよりもあの言いようのない焦燥感の中、自分は運命に従って世界を変える変革者であり特異点だと思っていたのだ。
ユナンのあの時の行動は、そう考えると何も間違ってはいない。
「結局、アルバと戦うために君を王だと、他人に対しても認めることになったけれど、それでも君には会いに行かなかったのは、そういう理由さ」
「だが、もしお前が居たら……。アルバの席にお前がいたなら、俺は違う未来を選んでいたかもしれない」
「そうだね。なんでそうしようとしなかったのか、自分でもわからないんだ。今更だと思ったのか、まだ君が怖かったのか、でも不要だと思ったんだろう。僕は負傷もして寝込んでいたし」
「は!? なんだそれは。そんなことアルバの報告から聞いてないぞ!?」
初耳だ。否、もしかしたら聞いたかもしれない。しかし、あのあたりの記憶が曖昧すぎて思い出せなかった。いや、聞いていない。聞いていないはずだ。アルバは自分がアラジンに負け、力や能力を奪われて帰ってきたことだけ報告したはずだ。
「アルバと戦った時に、このあたりをざっくりと」
そう言ってユナンは右腕の付け根のあたりを手でゆっくりなぞって見せる。もちろん、今の体には傷はないだろう。
「その後、僕はアルバの強制堕転魔法を身に受けて、アラジンに治療してもらっていたんだ。それで結構長く伏せることになってしまってね」
「じゃあ、お前も少し堕転したのか?」
九度目の生を受け、絶望し続けてもなお堕転しなかったユナンの魂が、どれほど清らかだったのかは想像するに難しくない。そこへ他者から無理矢理堕転させられる苦しみは、シンドバッドもよく知っている。
そんなシンドバッドの思考を読み取ったのか、ユナンは顔をもどしてはにかむように笑った。
「少しだけね。でも、アラジンの治療が上手かったんだろう。僕の堕転は3割程度に留まった。もしここで逆に半分くらい堕ちていれば、君の洗脳に対抗できたのかもしれないね。……結果、僕は君の洗脳を中途半端に受けることになった。『マギシステムから開放されて死ねる』という喜びと『そうじゃない、これは間違っている』という狭間の中で、苦悩しながら動けずにもがいていたよ。でも何が間違っているのかわからなかった。解った時には全てが終わりかけだった。マギとしてできる限りの事をしたけど、もう君には手が届かなかった……」
シンドバッドは愕然とした。最後の最後まで彼を悲しみと偽の喜び、絶望と偽の幸福を、苦悩と偽の正しさで苦しませていたのだ。涙し、歓喜しながら、同時に絶望を味あわせていたのだ。
「ごめんな……ごめん」
そっと腕をあげてユナンの頬を撫でる。思わず目頭が熱くなった。涙は零さずに済んだが、鼻がツンと痛くなった。
「だからね、もう時効だよ。それに、あの件を糾弾する人はもう、この世には誰もいない。……きっとね、それが君の犯した罪への罰だったんだ」
撫でていた手に、ユナンの手が重なる。それはか細くも温かで、しなやかな手だった。
「そうだな。謝る相手すらもうこの世にいないのは、流石にたまげた。でもお前には謝れるだろ」
シンドバッドの言葉に、ユナンは微笑むとそのまま瞳を閉じる。そのままシンドバッドの手に頬を委ねるように甘えながら呟いた。
「僕はとっくに君のことを許してる。ねえ、シンドバッド。この世にもし恒久的な平和が訪れるとしたら、それは誰かが誰かを『許した』時なんだ。負の連鎖を断ち切って、相反していても認められる、許容できるほど許すことができた時、きっと戦争はなくなる。夢物語かもしれないけどね」
ずっとユナンが夢見てきた平和はそうなのだろう。それが何度やっても叶わなくて足掻いてきたのだ。
誰かが言った。人類の歴史は戦争の歴史だと。それを身をもって体験してきたユナンが、それを知らないはずがない。
それでも彼は夢を見た。マギとはそういう生き物であり、ユナンという人格がそうだったからだ。
「でも、だからこそ、僕は信じてる。君を見て、君を失って、そういう事にしたんだ。きっと君に想いを遺した皆もそうだよ」
「そうか……。でも、この世にまだ諍いはあるかもしれないんだろう?」
「ああ、そうだね。でも前よりかは遥かに前進した。人は前に進んでる。より良い未来に。より傷つく者が少なくなる未来に。もう僕に確かめる手段はないけれど」
「見てきてやるさ。ついでに進んでなかったら介入してくるさ」
より幸せな未来に。より平和な世界に。何度絶望しても諦めなかったマギに『王』として選ばれたのだ。世界を善き方向へ前進させる事ができる者だと、ようやく認められたのだ。
「ああ、僕の代わりに世界を冒険して、残された全てを見てきてよ。シンドバッド」
「任せろよ。もうあんな事は絶対にしない。お前というマギに誇れるような未来を目指すさ」
ユナンは目を開けると、ひとつ頷く。それにシンドバッドは力強く頷き返した。
仲間を見捨てて、我欲に走り、世界中の人を殺しかけ、世界をめちゃくちゃに壊してしまうという大罪を犯した。目が醒めた時には言い訳ができないくらい遅かった。
だが、戻ってきた時、その対象がもうほとんど残ってないとは思いもしなかった。謝れる者は一人しかいなかったのだ。それこそが罪に対する罰であるのであれば、この残った生は償いに充てたい。世界を知り、謝りたかった皆の事を知り、残されたものを知り、何を成すべきかという己を見つけ、できる限りを尽くすつもりだった。
「でも、僕も君と行きたかったなぁ……。あれだけ死にたい、もう転生したくないって願って生きていたのに、ただ君と再会したいがために、多くの人を巻き込んで、凄烈な苦しさを耐えてまで延命したんだ。それで君にこうして会えて僕の夢は叶った」
面白くなさそうにユナンが語る。
「でも今は違うんだ。僕は生きたい。君とこの世界を生きたい。一日でも長く、いや、一時間でも、一分でも、一秒でもいい。君と在りたいんだ。あんなに死にたがりだったのに、いまさら死にたくないだなんて……滑稽で笑っちゃうよね」
茶化すようにユナンは笑っているが、本心だろう。
「俺も。俺も嫌だ」
「え」
「お前を失いたくない」
だから迷わず、シンドバッドも本心を告げた。嘘偽りない、本当の心だ。
「シンドバッド……」
「いや、ちゃんと分かってるんだ。この七日間を生み出すだけでも相当な知恵と労力と時間と覚悟が費やされたんだろう。お前だけじゃなくて、アラジンやたくさんの人の力を借りて、お前は今ここに居る。俺は正直、お前がまだこの世界に居てくれて嬉しかった。最後に得られないものを得られただけじゃない、大事なものをたくさん貰った」
自業自得。因果応報。天罰覿面。信賞必罰。ふとそんな言葉が脳をよぎる。
罪にはそれ相応の罰が下る。それが正しければ、この最後までが罰なのだ。
「けど、これからまた失くすものだ。きっと、これも含めて代償だったんだろうな」
その言葉に、ユナンは首を横に振る。
「全てじゃないよ。ちゃんと残るよ、君の心に。そのために僕、頑張って来たんだもの。どうかそれを忘れないで」
ゆっくりと、ユナンの両腕がシンドバッドを慈しむように抱きしめる。その抱擁の優しさと暖かさに、シンドバッドは魔法をかけられたように動けなくなった。
犯した罪。
下された罰。
許された罪。
許されても失う者。
失っても残る遺志。
それに感じる感謝。
矛盾した思考が、少しずつ静まり纏まっていく。
「そう……だな。世界に戻ったら誰も俺を覚えていない、まっさらな世界。本来ならただの伝説となってしまった自分の名前を聞くだけの世界で、でも俺にはちゃんと残されていたものがあった。お前とあの遺産だ。……それに気づいた時な、すごく嬉しかったよ」
未来など考えたくないほどに。けれど、未来へ進むことこそが、皆の願いであり、ユナンの願いでもある。
「本当? だったら僕も嬉しいな。辛い時間を永く過ごした甲斐があるというものさ」
「……でも、いなくなるんだな」
また矛盾だ。
失いたくない。その心がどんどん膨らんでいく。
ユナンという存在を知れば知るほど、彼の過去を知れば知るほど、愛しさだけが増して苦しくなる。
「……ごめんね」
「お前が謝ることじゃないだろう」
けれど、これ以上知りたくないなどとは思わなかった。後悔がないわけではない。悔しさも寂しさも消えない。
「もっと早く、気持ちを伝えられていたらって……」
「過ぎたことだし、お互い様だ」
「うん」
「よ、よし。褒美を取らすぞ、ユナン」
いよいよ話が堂々巡りをしそうになった時、シンドバッドはがばりと身を起こした。ユナンの優しい腕から離れるのは勿体無く思えたが、思い切って正面にどかりと座る。
「褒美?」
そんな突飛なシンドバッドを不可思議そうにユナンは見ながら、聞き返してくる。
「そうだ褒美だ。何でもいいぞ? 俺はお前の王様だからな。……と、言ってもしてやれる事も、くれてやれるものもほとんどないが!」
さあ、こい。と自信たっぷりに腕を組んで見せるも、本当にやれる褒美などほとんどなかった。
「ふふ、ふふふ」
「何だよ。笑うなよ」
いつものふてぶてしさに戻ったシンドバッドがおかしいのか、言っていることがおかしいのかはわからないが、ユナンが楽しそうに笑っている。笑うなと不満を述べつつも悪い気はしない。
「ふふ、そうだね……だったらね。少しだけでいいから、このまま僕を抱きしめていてほしいな」
「は!?? え、えっと……こ、こう、か???」
対面している為、羞恥心がないこともないが、褒美に欲しいと言われたからにはやるしかない。シンドバッドは顔さえ見えなければ大丈夫だと自分に言い聞かせて、恐る恐るユナンをそっと抱きしめた。
「もっと、ぎゅって」
「え、あ、おう」
どうせ顔は見えていないんだと腹をくくって、苦しくないように気をつけながらユナンを抱きしめる。華奢で折れそうな体だが、故に守らなければという庇護欲を掻き立てられる。ふわりと香る匂いは、体をいつ清めているか知らないが、薬草のような香りがした。
「うん、ありがとう」
ユナンのか細い手が辿々しく背中に回るのを感じる。少し低い体温も、こうしてくっついていると不思議と温かく感じる。そして、心動の音も、いつもよりしっかりとはっきりと伝わる。クローンでも、いま彼は生きているのだ。
彼はそれ以上何をするでもなく、幸せそうに腕の中に収まっている。
「ねえ、知ってる? マギって王の器の近くにいると、すごく落ち着くんだよ」
「そうなのか? あ、だから定期的に俺の近くに現れていたのか」
「それもあるかもね。でも腕の中は初めてだ。うれしい」
本当に嬉しそうな声で告げるものだから、思わずシンドバッドも照れてしまう。
「お、おう」
「これまで生きてきた中でも幸せなことはいっぱいあったけどね。僕は今、とても幸せだよ、シンドバッド。生きてきて良かったって、心から思えてる」
そっと目線を落とすと、本当に幸せそうにユナンが笑っている。そこから目が離せなくなりそうで、慌てて顔を背ける。これはやばい。これはまずい。
「そうか……。あ、あのだなユナン」
「どうしたの?」
「あー……悪い、俺もまだまだ男でな」
自分で言うのも照れるし、実際に顔が火照っている自覚はあるが、愛する者と密着しているのだ。それくらいは男なら理解してほしい。
「っ!!!」
「その、好きなやつと密着してると色々と悶々するものがあるんだよ」
「ご、ごめん!! 僕はとっくにそういう感情が消えているから気づかなかった!」
慌ててユナンと離れるが、微妙な空気に胸が痛い。ユナンもそんな感情はないといいつつ、背けた顔から見える耳まで真っ赤になっているのが見える。
これはやばい。更にやばい。これまで愛人ができても可愛いと思った事はあまりなかったが、それがユナンだと思うと、一気に何かが溢れそうだった。
「やっぱりヤったらまずいよな……?」
だが相手は余命幾ばくかの病人のようなものだ。ここは理性を総動員すべきところだろう。
「……う、うん。寿命が二日ほど縮みそうな気がする。それで良ければ僕はいいよ」
「いや、ダメだろ普通に」
うっかり手を出しかねない提案をユナンはしてくるが、理性総動員のシンドバッドは必死に耐えた。それで早くユナンを失うほど、自分は愚かではない。ないはずだ。
「キスなら、いいかな」
チラ、と振り返りながら火照った顔をユナンが聞いてくる。
「良いのか? 俺の自制が効かなくなったらどーすんだよ!?」
と、言いつつも、確かにキスくらいなら許される気がして、胸の心動が跳ねる。
「大丈夫だよ。君が僕を殺すはずがないもの」
「どこから来るんだ、その自信は……」
「それにね。好きな人と合わさって死ぬのなら、それもまた本望だよ」
ユナンの腕がシンドバッドの首に回る。しょうがなく体を支えてやるが、未だにシンドバッドは理性と戦っていた。だが、ユナンの魅惑的な微笑みに、この戦いは敗れる気配を感じた。
それでもユナンが大事だ。傷つけたくはない。
「む、俺は嫌だ。最後の一分一秒まで、俺は俺のマギを手離したくない」
「ふふ、分かったよ。我が王の仰せの通りに」
しょうがないな、とでも言うように、ユナンはシンドバッドの頬に口づけた。
顔が近づいて来ただけで心臓が口から飛び出そうになったのに、この仕打ちだ。本人は至って楽しそうにしてやったり顔でにこにこ笑っている。
「そういって仕掛けてくるのかよ」
「僕の性格の悪さ、知ってるでしょ」
知らないわけがない。良い意味でも悪い意味でも、彼は伊達に長生きしていない。
けれど、誰かと寝てきた数と、キスをした数なら何となく負けてはいない気がした。もちろん、男性を相手にした事はないのだが。
ふと何かの紐が切れた音がした。さっきまで必死に繋ぎ止めていた何かであると思うのだが、シンドバッドはもう考えることを止めた。
「腰が抜けても知らないからな?」
シンドバッドはユナンの髪の間から腕を差し込み後頭を固定すると、ゆっくりと覆い被さった。
→4:つごもりのひとひ
一番書きたかったあたりの三話目です。
むしろここを書くために、全てを書かなければならなくなったとも言う(笑)
いや、笑えないですね。
ユナンさんの溜めてきたものを、全てちゃんとシンドバッドに伝えるために
どうしたらいいのか、どういう展開にすればいいのか、悩みました。
結果、けっこうgdgdになりました。
これが能力限界というものですね?
でも書いていて本当に楽しかったです。
また左様が右にお手つきしないまま終わってしまうCPを書いてしまったけど、気にしない!
ちなみに『たまゆら』は古語でわずかな間、しばし……といった意味。
『幸ひなり』は幸福や幸運といった意味です。なんとも安直なネーミングですね。
ほんとセンスがないので毎回苦労してます……。
次回から暗い展開になるのが目に見えているので、ここで少しでも楽しんでいただければ幸いです。
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