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君のいない日曜日 1:凱旋、夢の始まり(シンドバッド×ユナン)

登場人物:シンドバッド、ユナン

CP傾向:シンユナ

マギ本編その後の100%妄想、一作目です。
シンドバッドか帰ってきた世界、そこは彼が生きていた世界ではあったが……
という書いてる自分だけが楽しい系シリアス。

※マギ本編の登場人物はほぼ亡くなっています。悪い予感がした人はご注意です!






1.凱旋、夢の始まり





 何もないように感じる空虚な空間を彼は飛行していた。右も左も、上下も見えない。黒なのか白なのか、色があるかもわからない不思議な空間だった。ただその男は明確に一点を目指して前へ前へと進む。
 周囲が一瞬光りに包まれ次の瞬間暗闇へと変わる。そして真っ暗だったその空間にふと一つの星が現れた。近づくにつれ光明が強く差し、遠かったそれにだんだんと近づいている事が分かる。
 彼ににやりと口元に笑みを浮かべると、さらに速度を上げて光に近づいた。そこにあったのは光の円。先の見えない不確かなものだ。だが、男は勢いを緩めず、恐れる事なく光に飛び込んだ。
 その先は見たこともない光景の世界だった。時間は夕暮れなのか少し薄暗いが、沈みゆく夕日に赤く染まった世界が目に映る。
 大小様々な島々が宙を浮き、雲海の上を漂っている。見慣れないその世界を前にして、彼は明確にわかっていた。

「ああ、やっと俺はこの世界に帰ってきたんだ!」

 長い時をかけ、試行錯誤を繰り返し、帰れる方法を探し続けた。旅の途中で孤独の苦しみも人のありがたみも味わった。それはかつての奴隷時代とはまた違った苦しみであり、彼はさらに色々な事柄に気づいた。
 知的な生命体にも逢った。おそらくは別世界の住人だろう。そこで辛酸も喜びも味わい、長い時を得てようやく答えを見つけた。
 そうしてこの世界に帰るすべを見いだし、完成させて帰ってきたのだ。正確な日数を数えたわけではないが、有に三年はかかった。

 さあ、この三年で世界はどうなっているのだろうか?

 あれほどの戦いがあったのだ。多少の地形変動は予想していたが、変わりすぎていてまるで別世界のようにも思える。これは冒険好きの心が疼くというものだ。開けた世界は様変わりしていたが変わらず美しく。初めて空を飛んだときのような高揚感を感じる。
 まるで初めて冒険に出る子供のように、初めて航海に出る船乗りのように、彼――シンドバッドの心は踊っていた。
 皆はどうしているだろうか。
 謝らなければいけない人たちがたくさんいる。
 好きだと言わなければいけない人たちがたくさんいる。
 やらなければいけない事も、やりたい事もたくさんある。
 それに世界は大きく進歩したことだろう。彼にとって今、世界そのものが冒険の大舞台なのだ。
 期待感に胸を高鳴らせて、高速で空を駆ける。空気に滞留する白いルフの量は劇的に減っているが、違う方法で空を舞える彼にとってさほど問題ではない。
 さて、何処の大地へ向かおうか。

「…シ……ッ…ド」

 そんな折に微かな声が頭に響いてきた。とてもか弱い。だが懐かしく感じる声だ。直感で自分を呼んでいるのだと感じた。

「誰だ?」

 ふと動きを止めて滞空し、声を拾う事に集中する。飛んでいると風の音で聴こえが悪いからだ。

「シン…バッド、戻……来たの…い」

「ユナン! その声、ユナンだな!?」

「そ…だよ。……はあまり時間が…い。そこから東に見……大陸の、森……へ来て」

 声はかすれたり途切れ途切れだが、東と言われただけで分かる。東に見える大陸は一つしかないからだ。

「わかった」

 だから見ればすぐにわかった。大きな大陸がひとつ浮いており、そこに山脈がそびえている。その麓にずんぐりとした広大な森が広がっており、さらに手前にぽつぽつと明かりが見える。
 シンドバッドは軌道を変えるとすぐさま大陸へと近づいた。
 近くへ寄るに連れて、ユナンの声がはっきり伝わる。

「森の西の奥、山脈の麓に、小屋みたいな祠があるはずだよ。少しボロボロで剥げているかもしれないけれどね。僕はそこにいる」

「なに、もう見えているさ」

 ユナンの指定した先には、ぽつんと小さな祠がある。雨がやっとしのげるくらいの簡素なものだ。流石にこんな貧相なところで暮らしているわけはないだろう。シンドバッドは一気に近づいて着地した。

「良かった、真っ直ぐ来れたようだね。シンドバッド」

「まぁ、なんとかな」

 祠の傍では、既にユナンが待っていた。いつ見ても若々しく色白で美しい姿を保っている彼だが、少し痩せたのだろうか。今はいつもの緑色の服ではなく、ゆったりした白のローブを着ており、いつもの帽子も勿論被っていない。少しばかり違和感も感じるが、ゆるりと編み込まれた白金の三つ編み髪と、朝空の水色を溶け込ませたような瞳は昔のままだ。
 しかし、長い間留守にしていた世界で、やっと会えた知人だ。こんなに嬉しいことはない。自然と近寄る。

「随分世界は様変わりしていたんだな。お前のナビがなければ何処に行けばいいか迷うところだったよ、ユナン」

「あはは、君がいなくなった後、世界が割れちゃったからね」

 大体想像はできていたことだ。既にダビデと神位の立場争いをしていた時、世界は崩壊しかかっていた。それを全く知らないわけではない。要因は自分にもある。

「大陸も浮かんでるしびっくりしたぞ」

 それだけは想定外だった。あの後の世界の事は全く知らない。

「僕も最初は驚いたけど、逆にあれで良かったのかもね。国境も領土も何もかもバラバラになって、あれから暫くは国同士の争いがなかったから」

「へぇ、そうなのか」

「どの国も復興に力を入れて、互いに支え合わなければならない時代だったんだよ。失くしたものが多すぎたんだ。君というトラブルメーカーもいなかったことだしね」

「口の悪さは相変わらずだな。ま、今回に限っては否定はできないが」

「冗談だよ」

 からかうユナンが楽しそうに笑う。シンドバッドもようやく肩の力が抜けた気がした。
 いつぶりだろう、誰かとこうやって会話するのは。昔はギャーギャー言いながら、よくくだらない事で喧嘩したユナンだが、今はこのやり取りさえ大切なものに思えた。

「改めて、おかえりなさい。シンドバッド」

「お、おう。ただいま」

 差し出されたユナンの右手に手を重ねる。所謂握手だ。重なったユナンの手は冷えきっていて冷たかった。こんなところで一人、長いこと待たせてしまったみたいだ。少しだけ申し訳ない気分になる。
 だが、シンドバッドの目は世界へ向いていた。色々聞きたくて仕方がない。

「なあ、皆は今どうしてるんだ? 会いに行くにも世界情勢くらいは知っておかないとバカにされるだろうしなあ。勿論、自分で見に行くのも楽しみだけどよ」

「その前に、今日はもう日も暮れるから、僕の家で休んで行くといいよ。あまり物がないところだけど。ついでに色々、この世界で起きた事について話してあげよう。と、いうか君に伝えておかなければいけないことがあるんだ」

「え? あ、ああ。そうだな。確かにもう日が落ちる。このままだと真っ暗な空を飛ぶ羽目になるしな。わかった、それなら遠慮なく邪魔させてもらうぞ」

「じゃあ」

 ユナンは頷くと、山肌に沿って先導する。シンドバッドは後ろをついて行きながら、樹木と山肌しか見えない中を見渡しながらついて歩いた。
 この森は原生林に近く、おそらく獣もそこそこ潜んでいるだろう。人の手が入っているようには見えない。

「お前は相変わらずこういう辺境で暮らしてるんだな」

 前の世界で住んでいたと言われる大峡谷の谷底にはついぞ行くことはなかったが、マスルールが確か話していたのを思い出す。とんでもない辺境だったとか何とか。

「ひどいなぁ。これでも、かなり絞り込んで厳選したところなんだよ?」

「だってこれ、普通の山どころか岩肌だけの山脈だろ……?」

「ふふ、忘れたの? シンドバッド、僕はマギだよ。例えシステムがなくなってもね」

 歩いていたユナンが突然ぴたりと止まると、その岩肌に向けて、スッと手をかざす。すると音もなく前方の岩肌が消えて道が現れた。視覚を操作する幻影魔法だろうか。これでは現地住民も迷って入ってくる事はないだろう。

「な、なるほど」

 道の先には荘厳な入り口が見える。普段住まいの家にしては造りが豪勢である。というか、一種の神殿のようだった。
 だが、これは一般人には到底見つからないだろう。正しく隠れ家だ。

「ようこそ、僕の最後の隠れ家へ」

 ユナンはシンドバッドに入るように促すと、パチンと指を鳴らす。すると入り口のドアすらも自動で開き始めた。それくらい手で開けろよ、と思わないでもないが、硬そうな物質でできた扉は重そうに動くので致し方ないと思うことにした。

「俺にバレたから最後になるのか?」

「あはは、そんな意味ではないよ」

 軽口にユナンが笑う。ああ、これは何かを隠しているいつものユナンだ。何も変わっていない。その事に安堵する。世界は変わっても、人は早々に変わらないのだ。
 だが、扉に近寄ろうとしたユナンが体勢を崩すのが見え、慌ててシンドバッドが抱え止めた。

「おっとと、ごめんよ。暫く外に出ていなかったから、筋力落ちちゃったかな……」

「これだからインドア派は」

 どこにもつまずいたようには見えなかった。まるで力が抜けたような崩れ方だった。致し方無いとユナンを腕に抱えながら扉をくぐると、そこは洞窟のような不思議な空間だった。
 まず居間があり、目の前に机があった。椅子は四つほどで、椅子も机もかなり使い込まれているのがわかる。目の前には先程の神殿を思わせるような白っぽい造りの豪勢な扉。その脇に奥から湧き出ているのか綺麗な澄んだ水が流れており、細い水路を通って炊事場に流れ込んでいる。
 その炊事場を挟んだ左手側にあるのが、真っ黒で重厚そうな鉄の扉。否、鉄ではない、鉄っぽい材質の黒い何かだ。この部屋の中ではあまりにも異質すぎて逆に浮いている。というか黒い扉と神殿の入り口のような扉で、既にこの部屋の雰囲気は異質だ。
 右側にも扉があり、それは簡素な木材でできている普通の扉だった。それと神殿のような扉との間には、道具が色々追いてある棚が二つあるだけ。豪華とも質素とも言えない造りだ。そもそも生活感が、あるようで無い事に気がついた。生活している形跡がほとんどないのだ。

「変わった家だな。本当にお前、ここに住んでるのか?」

「ごめんね、何もない家で。一応最低限のものは置いてあるはずなんだけど……」

「何食って生きてるんだ……? 水だけには困らなさそうだが」

 下ろして、と言われてユナンを地に下ろす。今にも崩れそうで不安なので椅子に座らせてから自分も向かいの椅子に腰を下ろした。
 周囲を見渡しても、驚くほど生活感がない。一体どういう事なのだろうか。

「さて、どこから話そうか。色々聞きたいことがあるだろう?」

「これだけ世界が変貌してたらなぁ。俺がいない約三年の間に、この世界で何が起きていたかくらいは知りたい」

「三年……三年かぁ。じゃぁやっぱり、この話からしないといけないね」

「三年だとそれぞれの国がやっと安定し始めたくらいか。俺の建国時も軌道に乗って落ち着くまでそれくらいだったしな。で、皆はどうしてるんだ?」

 その問いに、ユナンは相変わらずの寂しそうな顔を見せると、一呼吸置いて残念そうに呟いた。

「ごめんね。皆はもう、いないよ」

「は?」

 思わず耳を疑う。ユナンが何を言っているのかわからない。理解できなかったというのが正しい。

「だって、君がこの世界を去ってしまってから、もう三百年近く経つのだもの。君を知っている者は、おそらくこの世界にもう僕しかいない」

 だが、次のユナンの言葉に、シンドバッドの思考は完全に停止した。
 真実を告げるには辛いのか、それとも上げる顔がないのか、ユナンは俯いたまま囁くように話す。

「何……だって……」

「正確には288年だ。そんなに長い時を生きられる人間はいない。僕が今ここにいるのは、マギとして君の帰りを待つ役割を選んだからなんだ」

 愕然とするシンドバッドの前で、ユナンは彼が落ち着くまで大人しくしていた。世界があまりにも変わりすぎている。その現実を受け止める時間は必要だろう。
 世界に自分を知る人間は、自分を除いてもう誰も居ない。それがどれだけ悲しいことで、どれだけ淋しいことか、転生を繰り返して来たユナンは知っている。

「じゃあ、みんな……もう」

「そうだね。魔法で無理やり延命している僕以外は……」

 シン、と空気が静まる。水がわずかに流れる音だけが部屋を支配する。
 その沈黙からシンドバッドの悲しみを察して、ユナンは勇気を込めるために拳を握りしめた。これだけは伝えなければいけない。

「でも、皆から、君への言葉や想いをたくさん預かっているんだ。だから僕は今まで生きてきた。彼らが君に託したかったものを守り、伝えるために……」

 長い長い時を生きてきた。否、この体は本物じゃない。シェヘラザードの秘技と同じで、この体はクローン体だ。禁呪に等しい魔法と技術を、忌みながらもこの為だけに使った。痛みも、苦しみも、果てなき孤独も、会えない可能性がある悲しい未来も、全てを受け入れる覚悟で、ここまで来たのだ。

「ユナン……お前」

「もともと延命魔法の知識はあったんだ。でも、君はいつ帰ってくるかわからない。だから僕の本体は眠り続けるしかなかった。……この体と命はね、もし君がこの世界に帰ってきた時のために、一週間だけ生きられる分の魔力をクローンに流れるように、アラジンが用意してくれていたものなんだ」

 ゆえに今が最期の灯火。ここが終の棲家なのだ。シンドバッドにかける皆の全ての想いと、彼が今後、世界の向かうべき道先を示すためだけに、滑稽なまでに干からびながら生きてきたのだ。

「そんな、そんな事が……」

 ないとは言い切れなかった。アリババがジュダルと世界の果てに飛ばされたという話は有名だが、戻ってきた時に時差が狂っていたと聞く。
 同じ現象が起こっていたのだ。だが三年足らずがまさか三百年近くかかるとは思っていなかった。
 本来なら誰一人として知己の者に会うことはなかっただろう。
 だが彼は、ユナンは待っていてくれたのだ。膨大な時間を。微かな時間でも会えるために。

「俺はお前がいなくなるまでに、全ての事を聞き出せばいいんだな?」

「そう、子孫も、国も文化も世界も残ってる。だから君は知らなくてはならない。その礎を築いた皆の想いを。そのために僕は残ったんだ」

 痩せ細ったマギは、それでも生きてくれていた。先程足元が心許なかったのも、本当に筋力がないのだろう。

「なんで……お前はそこまでするんだ?」

 最後、あの時、シンドバッドは全ての人類を裏切ったにも等しかった。親しい臣下達も仲間も捨てた。アルバに乗せられたわけでもなく、自分の我欲という意思で聖宮へ行き、アリババに問われるまで、やるべきことにブレはなかった。
 途中までは本気で人類の救済はルフの書き換えだと信じていたのだ。謝るべきはこちらであって、その心を裏切った自分にそこまでする理由がない。

「それはね、君が僕の王様で、僕が君のマギだからだよ」

「!!!!!!!」

 それは、ずっとずっと聞きたかった言葉だ。
 否、一度聞いた。帰ってきたアルバから、報告を受けるように一度だけ聞いた。

「貴方のマギを名乗るユナンと戦ったわ、邪魔が入ってしまって殺せなかったけど」

 力を失い、幼い娘の姿になった彼女は確かにそう言った。だが、既にそんなものを欲していなかったシンドバッドには、そんな言葉は右から左だった。心が聖宮にしか向いていないシンドバッドには、到底届く言葉ではなかったのだ。
 だが、今ならわかる。その覚悟が。
 あれだけ頑なに自分のマギにならなかった『一番欲しかったマギ』が、とうとう自分を『王の器』だと認めたのだ。
 だが、同時にユナンが何故、あの極限になるまで自分を王の器に選ばなかったかも理解できた。
 己の欲が危険すぎたのだ。行動も思考も、例えダビデを含めなくとも、ユナンのマギの本能を持ってすれば自分は畏怖の対象だった事だろう。思慮深い彼の事だ、悩んだ末に自分のマギにはならず、悩んだ末にあの距離だったのだ。それが今になってようやくわかった。
 きっと悩んで悩んで、悩み抜いて、ようやく自分を認めてくれたのだ。
 そして今、目の前にいる。相変わらずの少し寂しそうな笑みを浮かべながら。

「僕も、近いうちに逝く。でもそれまでに君にたくさん、たくさん話したい事があるんだ」

 身を切られるような言葉だった。最後に残った者もいなくなる。
 だが、同時にシンドバッドは歓喜もしていた。

「ああ、俺もだ。話したかった事がたくさんあった」

 感動で、腕が奮える。マギなどもう必要ないシステムの世界で。そのマギももう長くない世界で。それでもようやく自分のマギを手に入れたのだ。その高揚感は、やはり王たるゆえんなのだろうか。

「でも今日はやっぱり、活動限界だね。この体では、あまり長い時間起きていられないようだ」

「そうか、普段はあまり動かしていない体なんだな」

「普段は筒の中で寝てばかりだったからね」

 ユナンは一つ長く息を吐き出すと、乞うようにシンドバッドを見上げる。

「悪いけれど寝室まで連れいってくれるかな。右の部屋が寝室だよ。長く放置されていたから、あまり綺麗ではないけどね」

「あ、ああ。わかった」

 そう言われてユナンの傍に寄ると、そっと抱き上げる。中身がすかすかなのかと思うくらいに軽かった。まるでピスティを抱えている時のようだ。
 思わず怪訝な顔をしてしまったのをユナンは見ていたのか、困ったように解説してくる。

「この身体は、所謂クローンでね。僕の本体は洞窟の奥でずっと寝てるんだよ。延命だけはしてある、ただのよぼよぼの何かだけどね。だからこの体は必要最低限の栄養しか摂取していないんだ。軽いでしょ」

「肉食え肉」

「しょうがないじゃない、食べて生きるより動かないほうが合理的だったのさ」

 戯言を交わしながらユナンを運ぶ。
 相当長い時間、待ち続けた事だろう。帰ってくる保証も、その希望も何もなかったと言うのに。
 こんなにか細くやつれた腕で、山の奥で待ち続けたというのだろうか。
 寝室に入ると、そこは意外と整然としていた。簡素なベッドが二つに、あまり柔らかそうではないソファと机。使われていない暖炉が一つ。あとはタンスが一つと雑貨棚が一つだ。
 シンドバッドは簡素な寝台の上にユナンをゆっくり下ろすと、周囲を見渡した。棚の中に薄っすらと埃が被っているシーツを見つけて、軽く叩いて裏を向ける。そこはあまり埃を被っておらず、見る限り何とか使えそうだった。
 しばらくここが居住スペースになるはずだ。何があるかは確認しておきたかった。
 簡素ではあるが、幼き日に体験した貧乏生活に比べれば雨も風も凌げる遥かにマシな家である。食料品は水以外全くなかったが、いつ帰るかわからない自分のために用意しておくなど不可能だっただろう。
 幸い森が近いため、食べられるものを見繕うのは問題なさそうだった。
 何より面白いのは、この小屋には湧き水が存在していることだった。居間にも流れていたが、こちらにも小さな水路が流れている。その水路は外側へと続いていた。
 そんなシンドバッドの思考を読み取ったのか、ユナンが言葉を添える。

「水だけは生きていくのに欠かせなかったんだ。湧き水だから、どこの水でも飲めるよ」

「なるほど」

「あと汚いものは極力流さないようにね」

 寝台に横になると、ユナンはようやく落ち着いたのか、雄弁に語り始めた。喋るのは疲れたと言っていたのに、それでもまだ語りたいのだろう。
 シンドバッドが長い間、人と喋ることがなかったように、ユナンもまた相当な時間、誰とも話してないに違いない。
 シンドバッドは手頃な椅子を一つ、寝台の近くまで引き寄せると、ユナンの様子を伺う。

「そうだ。いつからお前は俺のマギになっていたんだ?」

「少なくとも君がいなくなる前からだね。もっと詳しく言うと、決意したのは仮死状態のアリババくんがこの世界に帰ってきてからだよ。それまで君に関わる気なんてなかった」

「その割にはよく王宮に来ていた気がするが」

「王の器だと認められなくても、マギは王の器が恋しくなるものなんだよ」

 だからあんなに遭遇し、ちょっかいをかけられ、ドタバタと喧嘩をしていたわけか。今となれば懐かしい昔話だ。あの時は本気で腹が立つ事もあったが、こう素直に本音を言われると悪い気分はしない。

「あの時は大変だったよ。正直に言うとね、僕は君が王様すぎて怖かったんだ。でも本能は君が僕の王様だって告げてた」

「そこは本能に従うべきだろ」

「あのねぇ、シンドバッド。人間は本能を理性で抑えられるからこそ人間なんだ。僕はマギであり、人間だった。だからもう破滅を呼ぶ歪んだ王国を作りたくなくて、王を選ばなかったんだ。……結局、選んでしまったわけだけどね」

「もっと早く言え。それになんですぐに傍に来ないんだ」

 もしあの時、ユナンが傍に来ていたら、自分を引き止めていたら。別の道があったかもしれない。そう思うのは少し傲慢だろうか。

「そうだね。そこはちょっと後悔してる」

「……ならいい」

 心底申し訳なさそうにするユナンの頭をくしゃりと撫でる。これまでなら怒られそうな動作も、今のユナンはくすぐったそうに目を細めて許してくれる。

「さて、とりあえず眠気が来るまで、できる限り話をしようか」

 ユナンは寝台で目を瞑り、ぐったりとしながらも、まずあの後に世界で起きたことをかいつまんで話した。
 世界の大陸が浮き、沈み、分断され、または結合された。故に世界中の国境が変わらざるをえなかったこと。世界が一帯となった復興のこと。新たな新天地の開拓。政治、戦争、それは歴史と呼べるものだ。

「つまり、この世界には散らばっているが、皆の子孫は生きているんだな」

「そう。君は伝説みたいな存在だしね。子孫の皆に会いに行くかどうかは好きにすればいい。僕の仕事はね。君に思いを届ける事なんだ。皆、すぐに君が帰ってこないから、それはもう君へのメッセージにプレゼントに遺品に、託したいものだらけでね。ジャーファルくんなんてカンカンに怒りながら10冊くらい何かを執筆してたっけ」

「げ……アイツらしいな。さぞや怒ってただろうなあ」

「覚悟すると良いよ。集めた遺品は全てあの黒い扉に入っているから。僕が居なくても君なら開けられるはず……」

 あの異質な黒い扉はそのための保管庫だったのか。妙に納得する。

「あの部屋はそのために作られたものなのか?」

「そう、最初はね。他の世界への道を見つけて、アルバが帰ることになったんだ。彼女はこの世界に未練がなかったからね。それが君がいなくなって十数年頃の話。その時、アルバが去り際に言ったんだ。「シンドバッドが亜空間に飛ばされているなら、時差の違いで戻ってくるのは何十年、何百年後かもしれないわよ」ってね。そこからだよ。確かに二十年待てども君が帰らないのだもの、そのあたりから遺品や送りたいものを作っては長寿になるであろうマギに預けるのが流行ったわけさ」

 アルバの予言であれば信憑性は高い。実際自分が帰って来れたのは今になってしまった。
 しかもシンドリア王国や商会の皆に関しては突然失踪したも同然だ。自分の事ながら一言言ってやりたい気持ちはよくわかる。

「でも劣化するだろ? 普通の書物でさえ百年持ちこたえさせるのは難しいはずだ」

「そう、そこでね。ジュダルが「別にアイツに遺してやるもんは何もねーけど」とか言いながら作ってくれたのがあの黒い部屋。あの部屋は彼の永続魔法がかかっていてね。入れる者は限られているし、部屋が潰れたり壊れたりもしない。何より、中にあるものが劣化しない魔法がかかっているのさ」

 だから黒であんな異様なオーラを放っていたのか、と思い返して苦笑する。何だかんだ言いつつ最高の贈り物をしてくるあたり、ジュダルの性格が読み取れる。

「あいつ言ってる事とやる事がめちゃくちゃなんだが、最後までどっちつかずで結局白龍に絆されたんだな」

「そうなんだよ……面白いよねー」

 次第にユナンの瞬きが長くなって、返答が減っていく。

「さて、今日はこのあたりにしておこうか」

「まだ、話したいことが……たくさん……あるのにな」

「明日があるさ」

 ウトウトしているユナンの頬を髪を払うふりをしてさり気なく撫でる。今なら許される気がしたからだ。驚くほど冷たかったユナンは、就寝前だからか、布団に入っているからか、ちゃんと暖かかった。
 ほっとする反面、ふわりと笑うユナンに胸が高鳴る。

「うん、また……明日、朝になったら……起こしに来て。早起きは……少し苦手なんだ」

「お、おう」

 寝顔は何度か見たことがあったが、相変わらず見慣れることはなかった。美しい白金のマギ。

「ここにあるものは、全て……君が使っていいから」

「見ておく、後は任せておけ」

 壊れていたり修理が必要そうなものもあったが、そういうのは過去に何度も体験している。いつぞやに崖下に落ちた後のサバイバル生活に比べれば、造作もないくらいだ。

「ありがとう……」

 最後に感謝の言葉を述べると、ユナンはすぐさま夢の世界へと落ちていった。

「ああ、おやすみ、ユナン」

 大人しすぎる寝息は、顔を寄せるとスースーと聞こえる。まだユナンが生きている証拠だ。
 シンドバッドはしばらくユナンを見ていたが、やるべき事を成すために重い腰をあげた。
 これから幾日か、激動の日々が始まる。そんな気配を感じて、彼は部屋を出た。

 その夜、シンドバッドは残された家具や設備を全て確かめた後、空腹を感じながらも水を飲み、騙し騙しで早々に就寝準備をした。ソファーは少しホコリを被っていたが上等なもので、寝心地は意外と悪くない。野営や野宿よりよっぽどマシだ。
 寝る直前に自動で灯りだしたランプには驚いたが、何せ250年以上の月日が経っているのだ。これぐらい技術が進化していてもおかしくないだろうと納得する。
 同時に、本当にユナンの言っている事が虚言でも何でもない事を理解して、思わず苦い顔をしてしまった。タイムスリップしたような気分だ。
 だが、悲しい知らせばかりではない。すっかり寝入ったユナンの方向を一度見て、まだこの世界は自分と繋がっていると安心する。そして彼がそこに存在している事へのありがたみを感じながら、シンドバッドは瞼を閉じた。色々と考えたい事はあったが、疲れきっている彼が寝入るまでそう時間はかからなかった。


2:あわい優ばむその残滓





「これが!私の!シンユナだーーーーー!!!!!」をするためだけに書きました。
序章ですが展開の読める驚きの暗さです。
タイトルだけで展開読めるとか逆に恥ずかしいよね。

この話はTwitterでぽろっと
「マギ本編後のシンユナがあるなら、誰もいなくなった世界でシンドバッドを待ち続けるユナンさんとか見たい。誰か書いて」
とか言ってたのが始まりです。
当然、誰も書かないので自分で書くしかないわけですが、既にその妄想の時点で長くなることがわかってました。
何故って、本編で二人ができなかったことを全部詰めたいからですね!?

そんなこんなで5話まで続く、5万文字を軽く超える話ですが、お付き合いいただけましたら嬉しいです。
あと、ほんと捏造や矛盾オンパレード……というか捏造しかありません!
文字数がすごいので誤字脱字誤変換もあったらごめんなさい。流石にむり……^w^;

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