【登場する人】
ナタク、太乙、道徳、普賢、雲中子
【CP】
ナタ乙(のつもり)
【備考】
原作軸だけど深く考えてはいけない。
ややシリアスなようなギャグなような……??
当社比でナタクの性格は丸めです。ご注意ください。
久々に喧嘩をした。
太乙に大怪我をさせて以来、その回数も随分と減っていた。喧嘩をしても、ナタクは力任せに言い聞かせようということはしなくなっていた。ただ今回はうっかり、手を出しそうになってしまったのだ。
いつも頭に血が上ると、この暗くて狭い宝貝に閉じこめられた。九竜神火罩。太乙の所持する世界最硬と言われる宝貝だ。内側も強力な防御力を誇るそれを、今になって壊そうという気にすらならない。
少しだけ懐かしい暗闇は、確かに頭を冷やすのには丁度良く、外の音は何も聞こえなかった。
あの時以来、力に頼ることは減っていたのに、今日は腹が立って物を壊してしまった。反省すべきは誰の何処なのか、もう分からないほどナタクは子供ではない。
そんな事をぐるぐる考える彼の前に、一筋の光が差し込んだ。
「どういう……ことだ?」
普段なら、数時間は放置される牢が、何の前触れもなく突如開いたのだ。
ナタクはいつもより早い気がすることに違和感を覚えた。いや、そんなものではない。謎の焦燥感。いつもと何かが決定的に違う。
ナタクは一瞬だけ眩しさに目を細めると、すぐさま太乙の姿を探す。大概開ける時は近くにいるはずなのだ。
なのに……そうだ、太乙がいない。珍しい事に彼の姿はどこにも見えなかった。
その刹那、異変は起こる。金光洞からガラスが叩き割られるような破砕音が聞こえた。
また実験の失敗で爆発でもしたのか?そんな疑問もふと浮かぶが、すぐにそれも打ち砕かれる。煙はない。そして立て続けて聞こえる破壊音、次々と物が壊れる音が断続的に聞こえる。明らかに異常だ。
ナタクは急いで外へ出ると宙を飛び、勢いよく玄関口の戸を開ける。
「何……だ、これは……」
そこには荒らされた後が無数にあった。勿論、爆発ではない。普段見慣れていた部屋は無惨としか言えない状況で、破壊の申し子たる自分でも心がざわめいた。
「ナタク!!」
背後から急いで飛んできたらしい道徳真君が駆け込んでくる。
「太乙はどうした!? お前たち、一緒じゃないのか!?」
破壊された部屋を一瞥して、道徳は声を張り上げる。
「違う。俺はあいつの宝貝に閉じ込められていて外にいた。いきなりあいつの宝貝が開いたから、それで……」
普段は元気いっぱいか、ある程度落ち着いている道徳が苦虫を噛み潰した顔をする。
「くそっ!やられた!! 狙いは太乙だ!!」
もぬけの殻になった部屋へ注意を払いながらなだれ込む。破壊の跡はどうやら裏口に続いているようだ。
太乙はナタクを解放するため咄嗟に九竜神火罩を操作して外したのか、主を失った宝貝が部屋に転がっている。肝心の防壁部分はナタクに使っていた。身を守る術を諦め外へ逃げたのだろう。
「ナタク、太乙はどこにいるか匂いで探せるか?」
ハッとなって嗅覚に集中する。ここは太乙が普段使っている住居だ。太乙の匂いだらけで鼻が利きにくい。しかしその中に見知らぬ匂いを見つけて、ナタクは駆けだした。
「ここには太乙の匂いがありすぎる。敵の匂いしかわからない。これを追えばいいんだろう?!」
匂いを辿って、やはり裏口から出る。そこには争った形跡があるのみで、既に誰もいなかった。
「太乙は無事か!?」
「もうここにはいない。だが、つい先程までここに誰かと居たようだ」
干してあった洗濯物が散らばり、無惨にも踏みつけられている。咄嗟に隠れたのだろうか、物干し竿も真っ二つだ。その争った形跡は、乾元山の端、すなわち下界へと続いている。
「太乙が攫われてしまった。だが、あいつを敵の手に渡すわけには行かない」
方向を確かめると、道徳は直ぐさま懐から何かを出してナタクに渡す。
「発信機だ。わかっているな、ナタク。すぐさま匂いを追って追跡しろ。太乙は防具を外していった。完全に丸腰だ」
その言葉を聞いた途端、ナタクは飛び出していた。後ろから更に声が届く。
「俺も応援を呼んだら直ぐ駆けつける! 目的を見失うな! あと無茶はするなよ!」
滑空するナタクはその言葉を一度だけ心で反復すると。誰にも届かぬ空の中で、一言呟いた。
「安心しろ、絶対に渡さない」
匂いを辿り下へ下へとナタクは降りていく。崑崙山の真下はおおよそ人が入り込みにくい山岳地帯で、視界も足場も悪い。だが宙に浮けるナタクにとってはさしたる障害にはならなかった。
無学なナタクでも敵が何かは察しがつく。崑崙の頭脳を欲する者、そしてその相手は人ならざる力を持っていること。匂いも普段からみかける妖怪の類のもので、特徴があり追いやすい。
しかしナタクは途中から、あえて太乙の匂いで後を追っていた。金光洞を出てしまえばその方がわかりやすい。
匂いとは不思議なものだ。長らく一緒にいると、その匂いを薄く感じる。あれは移っているからだろうか。太乙の匂いだけは昔から嫌いではなかった。ただずっと傍にいると忘れてしまうのだ。不思議な感覚だった。
着いた先は薄暗い谷底だった。まだ削れていないごつごつとした岩肌の合間を小さな川が流れている。匂いはそこで途切れていた。
敵は水に潜って匂いによる追跡を避けたのだ。だが相手は太乙を連れている。いずれそう遠くない川岸に上がる。または既に上がっている。そう踏んだナタクは躊躇なく川下へと飛んだ。太乙を連れているなら、この流れの速さの中で川上へ泳ぐのは厳しいだろう。それに、金鰲島は川下の方が近い。
念のため水中に目を凝らしながら川を下ると、程なくして川岸に目標を見つけた。
痩せこけて背の曲がった肌の赤い妖怪。背丈はナタクと同じくらいか、少し低いか。背中にカマキリの羽のようなものがついている。
隣にはおそらく気を失っているであろう太乙が手足を縛られて転がっている。遠目にだが息はあるようで、ナタクは知らずと胸をなで下ろす。
しかしナタクの接近には音が伴う。敵は聞き慣れない機械音を耳にすると、すぐさま警戒態勢に入った。太乙のもとへ駆け寄ろうとする。
だが、遅い。既に照準を合わせ飛ばしていた乾坤圏が妖怪の片腕を吹き飛ばしていた。容赦はない。
谷に妖怪の悲鳴が劈く。だが妖怪は倒れはしなかった。膝をつきながらも目をギラギラと輝かせて太乙を見ている。
「こいつは返してもらう」
太乙と妖怪の間へ、視線を遮るように割り入りながらナタクは再び腕を構えた。妖怪はその様子を見ても動じることなく、太乙の居た箇所を見据えている。
「どうシて……どうシて……」
口を開いた妖怪は、さぞ恨めしいのか涙を流し始めた。その異様な雰囲気に、ナタクは手を止める。
「そいつさエいれば。おれは……またあそこへもどレるノニ」
ナタクに聞く耳はなく、淡々と返す。
「知らん」
その言葉に反応したのか、虚空を見ていた目をぎょろりとナタクへ向けると、妖怪は掠れた音で喋りだす。
「オマエだって、いらないンだろう。おれはずっとみていたンだ」
「何だと?」
言葉がナタクへ突き刺さる。
どこでそのような情報を手に入れて来たのか、ナタクには知りようもなかったが、見知らぬ者に過去を言い当てられる不快感は強かった。
「どうシようもなく、うるさいとおもっテいるンだろう」
甘言だと理解しているのに、体が凍りつく。確かに思っていた頃があるからだ。
「ほんとうはウトましいとおもっテいるンだろう」
そうだ。確かに思っていた。それは拭うこともできない事実。今でも仲を違えてしまう。だからまんまと攫われてしまった。
「いなくなっテもいいンじゃないか」
嫌な汗が出た。会話を始めてごく僅かな時間だが、ナタクに焦燥感が生まれる。狙いはそれだと分かっているのに。
妖怪は手を止めたままのナタクを見据えたまま、笑みを曲げる。
「みノがせ」
たった一言の要求。是であることはない。
ナタクが戸惑ったのは、過去を言い当てられたからだ。
「それは、昔の話だ」
無知であった自分。他人を傷つけても痛みがわからなかった。だから人を傷つけても良いという道理はなく、大切なものを傷つけて、失いかけて初めて痛みを知ることになった。
それらを知った後に残った物は、無知への恥と後悔だった。もう二度と同じ過ちは繰り返さない。
「こいつは、大切な匂いだ。今は俺になくてはならない存在だ。だからお前が消し飛べ!!!」
金磚に光が集まり一直線に閃光が放たれる。それは正確に妖怪を射抜いた。だがそれだけで消えなかった光は水面の上を走ると、そのまま対岸の山を抉り取る。
轟音と破砕音とともに土煙が舞い、視界が遮られる中、一つの魂魄が空へと飛んで行った。
ナタクはそれを見届けると、すぐさま太乙の元へと近寄った。
「おい!」
声をかけるも、ナタクにはどうして良いか分からない。人を助けた経験も知識も殆どなかった。
何とか腕と足の縄を解くも、上体を起こせば良いのか寝かせたままの方が良いの悩み、とりあえず頬を撫でる。ひんやりと感じた肌は、触っていると温かみを帯びているのだとわかる。
「太乙、目を覚ませ。俺はどうすればいい」
川へ連れ込まれた時に多量に水でも飲んだのだろうか。呼吸をしている事は確認したはずだ。顔に張り付いた髪を意味もなく払い耳へかける。焦燥が募る。
「起きろ、太乙」
「……………う……」
閉じていた瞼が一度震え、そしてゆっくりと瞳が開かれた。
「……ナタ…ク……?」
「太乙!」
視界が明瞭に開けていなくとも、その鮮やかな髪の色でそれが誰か、太乙はすぐさま理解した。何が起きたのかも。
「ああ、来て……くれたんだね。ありがとう」
安堵したのか太乙が柔らかな笑みを見せる。普段より幾分力弱いが、ナタクはそれを見るとようやく落ち着いた。生きた心地がしないと云うのはこういうものなのか、と始めて思った。
「い……痛っ!!!」
意識を覚醒した途端、痛みを感じたのだろう、太乙が体を曲げる。
「怪我があるのか?」
見たところ傷はなかったはずだ。腕と足に縄の痕が残っている以外に外傷は見受けられない。
「うわー、これは……両足やられてる」
「血は出ていない」
「逃げられないように骨を折られたかな……とても……痛い」
折られた箇所を太乙が示す。下衣を上げると、そこには大きな外傷こそなけれど強く打ち込んだような痕があった。
「あとね、君にとっては些末な事かもしれないけど」
「どうした」
「めちゃくちゃ寒い。なんで私ずぶ濡れなの!?」
「……だろうな」
そうだ、師は全身濡れ鼠なのだった。ナタクは黙って混天綾を脱ぐと、太乙の肩にかけてやった。
程なくして、崑崙山より救援の者達が駆けつけた。先に道徳真君、続いて普賢真人、雲中子である。
「遅れてすまない。連絡を飛ばしていたら遅くなってしまった。だが、ナタクだけで問題なかったようだな。狼煙を上げる必要すらないとは恐れ入る」
道徳は迷うことなく二人を見つけて降りてきた。
それもそうだ、これだけ派手にやっていれば上からでも簡単に見つけられるだろう。少しばかり地形が変わっているが、もともと人が入る事も少ない山奥だ。太乙を取られる事を考えれば安すぎる代償であった。
「やあ、何とか持って行かれずに済んだよ」
「太乙、大丈夫かい? 随分濡れているようだけど」
「強制寒中水泳の後らしいよ」
崑崙山は人間界から見ると雲の塊に見えるようになっている。つまりは下にいる限り太陽光が地上に届くことはなく、この一帯は常に肌寒い。
そんな中、太乙は横向けに寝転んだまま、混天綾に包まっていた。上体を起こそうにも足が折られているので体を支えることができないのだ。
「少し待ってね。太極符印、対象のデータスキャンを開始」
普賢は太乙の側へ降り立つと、待機させていた太極符印をすぐさま展開させる。
「……体温、脈拍ともに低下を確認。領域内の気温上昇、湿度低下を実行」
太極符印から放たれたフィールドが太乙を包み込み、瞬間的に体感温度が上昇する。直接治療することはできないが、普賢の持つ宝貝は仙界唯一の至宝だと太乙は唸るしかなかった。
高度な技術と知識、細やかな対応、高い仙人力が求められる太極符印はそのスペック故に十二仙クラスでないと扱うことができない。最新の叡智を扱うに老いた仙人は面倒ぐさがり、武闘派の仙人では能力を活かしきれない。太乙も所有候補に上がったのだが、戦闘のセンスがなさすぎて宝の持ち腐れになるのは目に見えていたので辞退し、普賢へと至る。要するに、適材適所なのだ。
「太乙は少しの間、動かないでね。雲中子は太乙の治療を、身体データが取れ次第渡すよ」
「あいよー」
暖かな風が取り巻き、ようやく太乙は平穏を取り戻した。足は激しく痛むが、すぐさま命に関わることではないし、耐えられないほどではない。
雲中子は太乙の側に救急箱を置いて片膝をつくと、太乙を覗き込む。
「どこか怪我は? 痛みはあるかい?」
「両足の骨が折れていて笑えない感じかな。気を失っている間に逃亡防止にやられたみたいだけど、これは暫くは歩けそうにないね」
「あ、そ。じゃぁとりあえず痛み止め、っと」
雲中子は箱から薬と水を取り出すと、太乙の口に放り込む。扱いがぞんざいすぎる気がするが、太乙はとりあえず水を借りて飲み込んだ。
「でも最悪は免れてたようで良かった。腱は切られてないから、骨折さえ癒えれば問題ないと思うよ」
雲中子が顔を上げた先の空中にモニターが出現する。普賢による太乙の身体スキャニングが完了したのだ。
「ありがとう、普賢」
「部屋はめっちゃくちゃだったけどなー」
「そこ、心も折れるから今は言わないでくれるかな」
道徳の横やりに気分が陰鬱になる。
何者かが侵入した際、太乙は九竜神火罩の脱着のための機会を巡り、攻撃を避けに避けた。反撃に転じられるほどの腕はないが、かろうじて受け流す程度はできる。
だが、避ける、または受け流すという事は、つまるところ破壊ダメージが他に行くということだ。家に帰らずとも惨憺たる状況になっていることは、想像するに難しくない。
「スキャンが完了したからそちらのモニターに出力するね。治療は雲中子に任せるよ。太極符印を索敵モードに移行。地形データをローディング、一部データに修正箇所あり、誤差修正。生命反応のリモートセンシング開始」
雲中子が頷いてモニターに触る。赤く点灯しているのは両足の脛の部分だけで他に異常はない、幸い毒の類も盛られていなかったようだ。
「そういや山が崩れるのと敵の魂魄が飛んだ所は遠くから見たが。ナタク、敵の妖怪はどんなだったか思い出せるか」
手持ち無沙汰そうにしている道徳が、手頃な倒木の枝を手折りながら話を進める。ナタクも太乙を任せてやや手持ち無沙汰だった。あまり言葉を紡ぐのは得意ではないが、できる限り記憶を手繰り寄せる。
「背丈は俺と同じか、少し低いか。ひょろっとした赤みがかった妖怪で、背中からカマキリのような羽が生えていた。……太乙を連れ帰ればどこかへ戻れると話していた」
太乙が狙われやすいとは聞いていたが、明らかにピンポイントで太乙を狙ってきた。ナタクの事情を知っていたのも、九竜神火罩が使用できない状態を襲撃されたのも、おそらく全て把握済み。意図されたものだろう。
「それ、最近、金鰲島から勘当されたスパイじゃないかな」
普賢が何か思い出したのか太極符印を操作する。
「普賢、お前どこでそんな情報を……」
「金鰲島の比較的セキュリティーの甘い部分にハッキングしたら見られる情報だから、あちらが故意に流してるんだと思うよ。勘当された理由は精神錯乱とあったから、スパイとしての任を果たせなくなったのかも。野放しにして運良く有益な方向に働けば良し、人間界で悪さをしようが金鰲島にとって害ではないし、僕たちに始末されてもされなくても良し。というところかな」
普賢が呼び出したモニターにデータを表示する。先程までここにいた赤い羽の生えた妖怪だ。ナタクを肯定のために、一つ頷いた。
「なるほど、それで太乙を誘拐して金鰲島に戻れば、迎え入れられると考えたのか?」
道徳はもぎ取ってきた材木を宙へ投げると、莫邪の宝剣の剣さばきで木の板に加工する。おそらくは太乙の副え木用だろう。降りてきたのに戦う機会を失ってしまい、やや体力を持て余し気味というところか。
「太乙誘拐は彼らの悲願みたいなものだからね」
「うわぁぁぁ勢い余って殺されなくて良かったー。ナタクの顔みた時、ちょっと泣きそうになったよ」
誘拐よりも暗殺のほうが格段に楽だろう。誘拐したものを人質にして、取り返されるくらいならとそのまま殺害することだってあり得る。そう考えると救い出された事は幸いだ。無傷とはいかなかったが、後遺症が残るような傷でないなら万々歳だろう。
「敵はわかった。んじゃあ、次は防犯……だな」
喜ぶのはまだ早い、と言うように道徳が切り出す。
「計測によると敵は上から飛来していたようだから、太乙を連れ去った者の他に彼を上空まで運んだ者と、彼にこの計画を唆した者がいると思う。……けど、これで警戒態勢が上げられると見ていいから、ひとまずは安心かな」
カマキリの羽だけで大空を飛ぶことはできない。彼らの羽は風をもって初めて遠くへ飛来できる。風に乗ってあの高度に到達することは不可能だ。だが滑空することはできる。ならば他に彼を上空へ連れて行ったものがいるはずだ。
乾元山は現在、崑崙山の後方にある。金鰲島側を前だと考えた場合、一番後ろにあるとも言える。守りやすいが上部に他の洞府がなく、奇襲を受けやすい。
「え、それって、私の乾元山の位置が真ん中に……」
「なるね」
「そりゃそうだ。今回は俺が比較的近くで修行していて居合わせたから良かったが、気配を感じて向かった時には遅かった。配置ミスだな」
「そもそもあんな端じゃなくて真ん中に居た方が僕も良いと思うなあ」
太乙が後方を進言したのには意味がある。彼が喧騒を嫌うというのもあったが、ナタクの宝貝による被害を考えていたからだ。しょっちゅう喧嘩していた時と違い、今はさほど大きな喧嘩はない。既に口実は失われており、太乙に反論する言葉はなかった。出てくるのは言い訳くらいだ。
「うっ。今回はね、閉じ込めたままのナタクを開放する事に意識を割いて逃げていたから、ちょっと遅れを取っただけだよ」
薬は即効性だったのか、みるみる痛みが緩和されていく。崑崙山に戻るまでの一時処置にすぎないが、太乙は少しばかり気が大きくなっていた。
道徳が副え木用に加工した板と紐を持って太乙の側に座ると、てきぱきと足に巻いていく。
「おー、だから九竜神火罩が落ちていたのか」
「どういうことだ?」
「九竜神火罩は本来捕獲が目的の宝貝だし、私専用のシェルターのようなものだから、操作が離れたら開かないようになっているのさ。更に目視である程度の距離は飛ばせるけれども、見えないところへ飛ばすのは接触事故の可能性が高まる。また遠すぎると操作情報が伝わらなくて開かない」
「太乙、そんなに喋って大丈夫?」
治療は道徳に任せて、太乙はスラスラと喋る。
「ここで喋らないと私の出番がないんだよ。えー、つまりナタクを開放せずに九竜神火罩ごと連れて行かれてしまうとナタクが閉じ込められたままになってしまうんだ。一番の良策はナタクを開放した上で九竜神火罩を奪われないことだよ。次点の策としてはナタクは開放できなくても九竜神火罩を残しておくことで、他の誰かに開放を委ねることかな」
「俺は閉じ込められる寸前だったということだな」
あの暗闇に長時間放置されると思うと、ゾッとする。ようやく、あの不自然な開放に合点がいったナタクは、少しばかり師に感謝した。一瞬の判断で、一番先に自分を優先させたのだ。
「お前の宝貝、地味にめんどくさいよなー! やっぱり宝貝は振ったら切れるくらい単純でいいんだって」
道徳が軽々と莫邪の宝剣を振ってみせる。きっちり結ばれた紐の端が音もなく切れた。莫邪の宝剣は至ってシンプルな宝貝だ。生粋の武人にとっては、下手に小細工するより戦いやすいのだという。
「高威力になればなるほど、敵に奪われてしまった時を考えると……ね」
普賢がはにかむ。普賢の太極符印にも当然セキュリティーがかけられている。手に入れてすぐさま使えるような宝貝ではないが、ある一定の能力を持つ最新宝貝には出来る限り施してある。
「ちなみに九竜神火罩は拾うだけで動かせないくらいにはセキュリティーも世界最高だよ!」
「太乙の家のセキュリティーはイマイチだったけどな!」
「そこは言わないでおくれ!!!」
思わず太乙は顔を覆ってしまう。何度か誘拐も暗殺もされかけたことはあったが、ナタクを弟子に迎えてからはめっきり途絶えていたのだ。
当然、ナタクに敵うようなスパイを、敵の陣中に送り込むことは相当難しいからだろうが、封神計画の発令も勿論噛んでいることだろう。あれ以来、金鰲島側と直接的に事を構えることはなかった。
「あ、まずい。流石にこれは元始天尊様に怒られるかな……」
ふと師の顔が脳裏をよぎる。『常々、警戒を怠らないように』そう言われていたのだ。
肩を落とす太乙に、普賢が優しい声音で諭す。
「太乙、あのね。例えセキュリティーが甘かったとしても、一番悪いのは人攫いなんだよ。起こったことは過ぎたことだから、次は必ず防げるようにみんなで反省すればいい。だから大丈夫。被害者である君だけを責める人なんて崑崙にはいないよ」
「そうだね。……普賢は優しいなぁ」
普賢の言葉に、ついしんみりしてしまう。
「ね、道徳」
「あ、ああ……そうだな」
普賢に笑いかけられてしまえば、道徳とて横槍を入れるわけにもいかず、曖昧に笑みを浮かべる。
なんとなく空気が和やかになったところで、その沈黙は破られた。
「こ、これは!!!」
「で、さっきから真剣な顔で黙ってる雲中子はどうしたのさ」
突如、隣にいた雲中子が騒ぎはじめた。先程から会話などそっちのけに、彼は真剣にモニターを操作している。対人コミュニケーションスキル以外は何かと器用な男だ。全て右から左のような顔をして、おそらくそれなりに聞いてはいるのだろうが、聞いているから反応するかといったら否だ。
「とても綺麗に折られている!!」
普賢のスキャニング結果を皆に見せながら、雲中子は簡潔に説明した。
「……私、骨折したって言ったよね?」
これは訂正ではない。ツッコミだ。しかし雲中子にそのツッコミは通じなかった。
「残念なことに腱は切られていないとは聞いた。せめて複雑骨折していれば良かったのに!!!」
「それ良くないよね!?」
さらりと飛び出す爆弾発言に雲中子の本性を再確認する。彼は医者ではない。生物学者なのだと。
「今からでももうちょっと折らないかい? これでは私が楽しくない!」
「嫌だよ! 折らないよ!!」
太乙を覗き込みながら雲中子が拳を握る。その形相に太乙は再び悪寒を感じた。
「わくわくしながら降りてきたのに! あーーっせめて骨接合術したかった!!!」
「知らないよ!! 頼むから他人を実験動物にするのはやめてくれるかな!?」
「ナタクが弟子にいる君に言われたくないなー」
「私は故意に足折ったりなんてしないよ!?」
雲中子は科学者ではあるが、相応の道士としての修行もきっちりこなしてきた仙道である。本気になれば再び足を折られかねない。太乙は思わず足を腕で庇った。
「あー、日常って感じだなー」
「あはは、そうだね」
二人を眺めながら、道徳と普賢がのんびりと会話する。
太乙と雲中子が二人で騒いでいるのは普段からよくあることで、間に入ると良いことはないなど、とうに知れ渡っている事実だ。雲中子は折りたがっているが、流石にやってしまうと後でいたるところで叱りを受けるだろう。それくらいは理解しているはずだ。
つまり二人は戯れているのだと解釈した道徳と普賢は、互いの顔を見て頷くとさっさと移動の準備を始める。
「さて、毒も盛られていないようだし、罠や敵襲もないようだから、そろそろ崑崙山へ帰るぞー」
ナタクも二人の行動を見ると、太乙を淡々と抱き上げる。
副え木があるため、負荷をかけなければある程度動かすことができるのだ。ナタクはその事に少し関心した。それでも痛まないか気を遣ったつもりだが、当の本人は雲中子と言い合っているのでいらぬ心配だったのかもしれない。
「今回私は普通に副え木だけで治すからね!? 君の変な薬とかいらないから!」
「副え木だけとは、既に治療にあらず!極めて野蛮!!」
「立派な治療だよ!?」
結局のところ、彼らの言い合いは崑崙山に戻るまで続いた。
「いやー、今回はひどい目に遭ったねえ」
崑崙山に戻って一日が経ち、太乙とナタクはようやく乾元山へ帰ってきた。
あの後、ひとまず雲中子の洞府で休みがてら治療を受け、そのまま元始天尊の元で説教を粛々と受けた。そして休息ののち、洞府を持つ仙人たちの集会が行われ、今後の方針が話し合われて解散となった。
様々な個性を発揮する仙人の集会はとても賑やかで、やや骨に響く。
ようやく戻って来た乾元山は連れ去られた時のままの有り様であったが、この方が落ち着ける。片付けも他の仙道が後々手伝いに来てくれるようだ。
「あの騒がしいのは暫くはいいかな……」
ひとまず今日は小休止。
太乙を乗せた車椅子を押すナタクは、師に言われるまま散歩に出てきた。
雲中子の嘆きの声を完封した太乙は、無事に自力で骨折を治癒することになった。
師、曰く
「こう見えて私は高位な仙人様だからね。こんなの一週間もすれば治癒術で治せるよ」
らしいのだが、本当かどうかは謎だ。当然その間の護衛はナタクが受け持つ。足腰に負担となる九竜神火罩は治るまで使用を控えるべきとのことなので致し方ないだろう。
ナタクが人の世話をしたことは殆どないのだが、これも経験だろうと道徳に激励された。あそこまで言われてはナタクに断りようがなかった。
空を泳ぐ雲を眺めながら歩いてきた先はつい先日までナタクが閉じ込められ、突如開き動揺した九竜神火罩があった場所だ。収納されたため、今はそこにはない。
「あの時、びっくりしただろう」
太乙はナタクと同じような事を考えていたのか、ふと話しかける。
「ああ、驚いた」
ナタクは太乙を見ぬまま、素直に肯定する。
「ごめんね、巻き込んで。でも君が助けに来てくれたと知ったとき、すごく嬉しかったんだよ。ありがとう」
「……ああ」
改めて礼を言われると、目を合わせてもいないのに妙にこそばゆくて、ナタクにはそれしか言えなかった。
例え師でなくとも、崑崙山の仲間が連れ去られたら誰だって助けに行くだろう。そう、誰であっても当然なのだ。それが偶然、自分の師であっただけ。ナタクは整理のつかない慌ただしい心を、そう思うことにして片付けた。
「あ、そうだ。連れ去られた私を君が助けに来てくれた時ね。意識の遠くで、なんだかとても嬉しい事を言ってくれた気がするのだけど……一体それが何だったか思い出せないんだよね」
思い出したいのか太乙が唸る。当然、ナタクは答える気などなかった。
「大した話ではない」
だが発言への否定はしない。
それを聞いて、太乙は朗らかに笑った。
「そうかい。残念だなあ」
またゆっくりと車椅子を押す。ふわりと風が通り過ぎ、頬を撫でていく。
普段は傍にありすぎて忘れてしまう匂いを、ナタクは鼻で捉えた。
次はなくさないようにしよう。そう心に封じ込めながら、洞府へ踵を返した。
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